カツセマサヒコ「それでもモテたいのだ」【好きな人にだけ好かれてればいいじゃん、と言われましても】

三十四年生きてみて、わかってき

三十四年生きてみて、わかってきたことがいくつかある。炭水化物は深夜二時が一番うまい。一万円札は崩れた途端にすぐになくなる。上司は昨日と今日で真逆の指示を出す。女性が言う「こんなの初めて」は大体二〜六回目。風呂は面倒だけれど入ったら絶対に後悔しない。ベッドの上での男の告白は信じちゃダメ、等々だ。小さい頃は、夢や理想ばかりを語って、無限の可能性を小さな体いっぱいに抱えて生きていた。『新世紀エヴァンゲリオン』がテレビで放送されていた頃、まだシンジ君(『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公です。CLASSY. 読者の皆さんなら、わかってくださりますよね?)の年齢にも達していなかった僕は、十四歳の誕生日になったら正義の組織に招かれて、美人な女の子たちと世界を救うのだと、本気で脳内シミュレーションを繰り返していた。今では世界どころか、鍋のアクを掬うだけでいっぱいいっぱいになっている。いつから自分の可能性を狭めてきたのだろうか。振り返ると、おそらく高校一年で文系・理系の選択を迫られたときが最初の岐路だった。そこから急に、将来の雲行きが怪しくなってくる。「やりたいことなんてそもそもないし、何に向いてるかなんて全然わからないし、てか、大人ってつまんなくね? 毎日満員電車と残業とか、ホント無理なんだけど」大体は、正解。「それでも大人は楽しいよ」なんて笑顔で言ってみるものの、根拠がやけに乏しいし、どうにも説得力に欠ける。会社勤めをしていた頃、月曜の朝は、家を出るまえから「帰りたい」と呟いていた。「二十四歳ぐらいで結婚したいじゃんー? せめて三年ぐらい付き合ってから結婚したいでしょー?ってことは二十一歳ぐらいで付き合わなきゃいけなくてー、つまりハタチぐらいには、カレシと出会ってないといけないってこと!?無理無理〜!」
無邪気に躁状態に突入していた予備校のクラスメイトが頭に浮かぶ。世の中、プランどおりにいくことなんて滅多にないことも、三十過ぎれば大体わかってしまう。これらのように、幼少期の自分に顔向けできない瞬間が、多々ある。今日も何度か嘘をつき、何度か謝罪の連絡を入れた。立派なオトナなんて思えるシーンが本当に少ない。それに加えて、社会が僕に求めてくるハードルが、やけに高くなってきているように感じる。「自己肯定感」「媚びない人生」「自分らしさ」「ありのまま」「丁寧な暮らし」。わかります。わかってます。素敵ですよね、そういうの。でも現実は、現状維持でいっぱいいっぱい。心がリッチになっている余裕がない。ある日の仕事終わり。スマホを開いたら、イベント登壇の依頼が来ていた。「カツセさんに是非、出演していただきたいんです。トークテーマは『どうしてそんなにモテたいの?』です!」完全に怒っていい場面だった。モテたくて始めたのは大学時代のバンドぐらいで、あとは美容師さんに「女ウケいいやつにしてください」とダサいオーダーをしていた時期があるくらいだ。
でも、改めて「モテたいでしょ?」と聞かれたら、全否定する気にもなれない。いや、本音を言えば、おそらく、軽率にモテたい。それは、恋愛的な意味だけではなくて、どちらかといえば仕事とか、人間として必要とされたい、という思いが強い。ベストセラーになった『嫌われる勇気』という本があるが、この期に及んで僕は、嫌われることがやたらと怖い。必要以上に好かれたいし、できるならどの所属や場所でも居心地よくありたい。それを公言することすら、憚られる雰囲気がある昨今がしんどい。「好きな人にだけ、好かれていればいいじゃん」。一緒に登壇したエッセイストが言った。きっとそれは、正しい意見だ。でも、社会では、会社では、現実では、おそらく自分のことを嫌いな人が、隣の席で働いていたりする。そのどうしようもない事実を乗り越えるためには、ダサくても口にしていくしかないことがある。だから今日も、軽率に言う。それでもモテたいのだ。

この記事を書いたのは…カツセマサヒコ

1986年、東京都生まれ。小説

1986年、東京都生まれ。小説家/ライター。デビュー作『明け方の若者たち』(幻冬舎)がベストセラーとなり、2022年に映画化を控える。ツイートが共感を呼び、Twitterフォロワーは14万人に。

イラスト/あおのこ 再構成/Bravoworks.Inc