都心での生活を捨て、海女になって得た「今生きているという実感」

40代ともなれば、仕事も人間関係も安定し、変化を望まない方が多いもの。でも、目まぐるしいスピードで変化するこの時代、これから先もずっと現状維持は叶うのでしょうか。今回は、今あるモノや状況を、思い切って捨て、新しい暮らしや生き方を手に入れた方々にお話を伺いました。

上田茉利子さん(38歳・三重県在住) 海女

「『私は今生きている!』とひしひし感じます。この感覚は都会では得られなかった」と語る上田茉利子さん。三重県の地域おこし協力隊を3年間経験し、今年7月に独立。石鏡町で海女として暮らし始めました。大学卒業後は東京の広告代理店に入社。「広告の仕事に憧れ12年間働いたものの、顧客とスタッフの間で板挟みに合うストレスフルな生活。自分自身の素直な気持ちと行動が乖離し、自分をコントロールできない生活でした。唯一の気分転換は週末に海に行き、スキューバダイビングやシュノーケルをして潜ることでした」。漠然と「したい仕事はこれではないのでは……」と思っていたときに、 “海女業も可能になる場合も”という地域おこし協力隊募集の一文が目に留まりました。

「ちょうど父の退職と妹の就職が決まったタイミングでした。母は私が11歳の時に若くして亡くなり、妹はまだ3歳でした。今でいうヤングケアラーですよね。なのでこれからの人生は自分のために生きようと思いました」。

「行動を起こす年齢は人それぞれ。何歳でもいいと思うし、やる気が起きた時がタイミングだと思う」と上田さん。地域おこし協力隊に応募する前にしたことは、“都会で暮らしていく中で本当に欲しい物は何だろう”と自問することでした。「物欲はあまりないし、アマゾンはあるし、東京へはたまに行ければいい。移住をすればコンビニはないし、遊びに行くにも1時間以上はかかる。けれども私の中での第一優先は海女になりたい気持ちでした。辞表を出すときは震えるほど怖かったのですが、『ダメならダメで仕方ない、動いたことは無駄にはならない』と、離れることを決めました」。

2年間は本当につらくて、きついことも多々あったそう。けれどもくじけず本気で海女になりたい気持ちを、行動で示し続けた上田さん。「今は先輩海女には、『あそこにおるから頑張って採ってこい』と教えてもらい、サポートしていただいています。作った野菜を分けてくださるなど、気遣いがありがたいですね。独特で早口の言葉も聞き取れるようになりました(笑)。海の仕事が好きですし、辞めたら後悔するという想いで今に至っています。でもたまに都会へ出稼ぎに行く時にはハイヒールを履いた海女でいたいとは思っているんですよ(笑)。『こう生きなきゃいけない』という自分で決めていた思いを手放せたことは大きかったですね。今は人の温かさに触れ、海女の生きざまを感じられる生活が楽しい。今後は技術や知恵もつけて、採れる海女を目指したいと思っています」。

    「天変地異が起きても、食べられる物は自分で採れるから大夫という変な自信がつきました。原始的な生活をしているなと、たまに感動していま(笑)」。
    「 初めて潜った時にはウニなどわずか3個でしたが、今日はアワビが2㎏。今までの最高は5㎏です」
    漁は1日2回、海に出ているそう。
    現在、海女として生計を立てている方は40人程で、メインに活躍している方は75歳ぐらい。現役の最高齢は84歳です。

撮影/前川政明 取材/孫 理奈 ※情報は2021年12月号掲載時のものです。

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