カツセマサヒコ「それでもモテたいのだ」【一瞬でも誰かの「特別」になれた男】

「ちょっと聞いてほしい話がある

「ちょっと聞いてほしい話があるんだけど、飲もうよ」
この文言が定型の誘い文句になっている男の友人がいる。山本という仮名にしたい。山本はいつも困ったり、悩んだり、誰かに話を聞いてほしがったりしている。それは大体、異性絡みのことだったから、話せる相手に同性である私が選ばれるのは妥当といえば妥当にも思えた。
「あの小説さ、ほら、お前が書いたやつ。あれ、本当に、俺のことだと思ったんだよね」ビールが三杯くらい進むと、大体山本は、そう言う。
「もう、あの主人公は俺なのよ。だから、お前なら話がわかるんじゃないかっていつも思っちゃうの」
これっぽっちもわからんよ、と思いながら、うんうんと頷く。すると、山本による本日の「聞いてほしい話」が始まる。
「いや、今ね、いい感じの人がいるんだけどさ」「ああ、この前の?」「あれ、話したっけ」「うん。美大出身のデザイナー」「それ、とっくに終わったよ。いつの話してんの」
二カ月前である。たった二カ月が、山本の中では「とっくに」終わる。
「今はさ、まあ、人妻なんだけど」やめとけよ、という第一声を伝えるより早く、山本の話は進んでいる。
「昔からの知り合いなんだけどね?夫とうまくいってないんだって。子育てとか、ほぼワンオペで頑張ってんだって」「それは、きついね」
その人とは、結婚するより前からよく二人で飲みにいっていたらしい。ストレスから解放されたいときに、お互いを呼び出し合うような関係が続いていたのだという。このご時世、嫌なことがあったときにすぐに呼び出し合える友人なんて、なかなか珍しいと思う。大事にしたほうがいいね、と、当たり前のことを山本に伝えた。
「うんうん。で、この前も、久々に会おうよ、って言われたから、会ったわけよね。二年ぶりとかかな?」「うんうん」「やっぱワンオペが超大変みたいで。もう、このままだと、自分が自分じゃなくて、『ママ』になっちゃうんだって。その子、一人の時間とか、しっかり楽しめるタイプだったから、そりゃ、きついよなーって」
愛情じゃ、乗り越えられないものもあるのよね、と、山本は付け足す。確かにこの国、というかメディアは、愛情がまるで全知全能、完璧で万能なものであるかのように謳う。
「そしたら、その子、妊娠中からずっと、酒飲んでなかったのよね」「あー、酒好きなら、しんどいよね」「そうなのよ。で、今回も流石に飲まないだろうと思ったから、ファミレスで会ったんだけどさ」「ほお、ほお」「そしたら、その子、一人で来たのよ。子供、夜まで実家に預けてんだって」
本気で会いに来てくれてるじゃん、と茶化すと、そうなんだよ、と山本は嬉しそうに笑った。
「でね、でね、聞いてよ。その子がさ、ファミレス入るなり、『卒乳するんだ』って言ったんよ」「へえ?」「それで、『目撃者になってよ』って、言われてね?」「ほお、ほお」「そしたら、なんとその場で、真っ昼間から飲酒解禁したのよ。二年越しの一杯を、夫じゃなくて、俺と!」
山本は私に乾杯を促した。はたから聞いている限りだけれど、確かにそれは、山本が彼女の「特別」になれた瞬間だと思った。彼女は、山本がこれまで見たどんなCMよりも美味そうに、お酒を飲み干したのだという。
「この話がしたくて、今日は呼んだんだよ」
珍しく山本が充実しているようで、私は少し釈然としない気持ちで、その話を聞き終えた。もちろん、話を聞いてあげたんだから、会計は向こうが持った。なんて美談は登場しない。

この記事を書いたのは…カツセマサヒコ

1986年、東京都生まれ。デビ

1986年、東京都生まれ。デビュー小説『明け方の若者たち』(幻冬舎)が大ヒットを記録し、2021年12月に映画化。二作目となる小説『夜行秘密』(双葉社)も発売中。

イラスト/あおのこ 再構成/Bravoworks.Inc