『旦那が突然死にました。』著者・せせらぎさん「今の人生を自分の手で輝かせるしかない」
大好きな夫とかわいい2人の子ども。平凡ながらも幸せな日々がずっと続くと信じていた……。コミックエッセイ『旦那が突然死にました。』で描かれるのは、「配偶者の突然の死」という現実。突然奪われた当たり前の日常。悲しみに暮れる間もなく、やってくる死後の手続き、仕事、育児……。悲しみと絶望の中で新たな人生を模索する著者のせせらぎさんに話を聞きました。
※掲載中の内容は、VERY2021年9月号(8/7発売)取材時のものです。
❝「打ち合わせが終わった」と
連絡をもらうだけでドキドキするほど
本当に好きだった❞
「その日」は突然やってきた
旦那さんが亡くなったのは、たまたま夫婦喧嘩の最中でせせらぎさんが子どもを連れて実家に帰っていたときでした。
あまりに突然のことで、現実を受け止めることができませんでした。連絡を受け駆け付けたときにはもう、死亡確認が終わっていて救急隊も帰った後で……。刑事さんたちがやってきて。ビニールをかぶせた靴を履いたまま部屋に上がって現場検証しているのを見て、「ああ、ドラマみたいだ」と思ったことを覚えています。「なんでこんなことに?」「あなたは何をしていたんですか?」「スマホのパスワードは?」と立て続けに質問されました。死因のわからない段階だったので、警察は事件性があるのか調べなくてはならないのだと頭では理解はしていても、いったい何が起きたのか、こっちが聞きたいという心境でした。私が実家に帰っているとき、夫はたった一人で亡くなっていたのです。健診も受けていたし、命にかかわるような持病もなかったのにいったいなぜ、と思いました。当時は夫婦喧嘩の真っ最中。これまでも小さな諍いや喧嘩はあったけれど、彼に対してここまで腹が立ったのははじめてでした。なぜ、こんなときに? もしも私が実家に帰らずそばにいたら結果は違っていたのではないかと、何度後悔したかわかりません。友人は「こんなタイミングでないと、きっと別れられない運命だったんだよ」と言ってくれましたが。
今思えば彼は体調が悪くて、しんどかったのかもしれません。家族で出かける時間になっても起きてこなくて、寝起きに普段は言わないようなひどい暴言を吐かれて、「人としてそれはどうなの?」と許せなくなってしまったんですよね。それから数日間、会話もせず、目も合わさずに過ごして、私はそのまま実家に帰りました。それがまさか永遠の別れになるなんて思ってもみませんでした。葬儀の手配、銀行口座や保険の手続き。人が死ぬと残された家族がしなくてはいけない作業が膨大にあります。警察署で死亡届を書かされたとき、手が震えてしまって彼の名前がなかなか書けませんでした。認めたくない、信じられないと思いながら何枚もの書類にサインをしました。
「最愛の人」を亡くすということ
亡くなった旦那さんはどんな方だったのですか?
私にとって唯一無二の存在でした。新卒で入ったデザイン会社で上司と部下という関係で出会い、付き合うようになりました。仕事をする上ではとても厳しい人で、新入社員の頃から何度泣かされたかわかりません。結婚することになったときは彼を知る社内の人はみんな驚いていました。飛行機に乗り遅れたり、部下の結婚式を寝過ごしてすっぽかしたりといいかげんなところも多かったけれど、仕事に対して妥協を許さない姿勢や、多くの人に愛される人柄を尊敬していました。
こんな人には私の人生の中で二度と出会えないだろうと思って結婚した最愛の人です。彼といる時間が人生の中でいちばん楽しくて幸せで、子どもが生まれてからもそれは変わりませんでした。子どもを抱っこしながらでもいつだって手をつないで、仕事のある平日でも毎日2時間は夫婦でしゃべっていたと思います。「いま打ち合わせが終わった」とか仕事中に連絡をもらうだけでドキドキするほど、本当に好きだったんですよね。仕事上の師匠であり、恋人であり、子どもたちのお父さんでもある。そんなかけがえのない相手を突然亡くして、これからどうしていいのか全く先が見えなくなりました。
彼が死んだ次の日くらいからは、無意識のうちにスマホで「死別 幸せ」とか検索していました。こうなったからには、夫に先立たれても最高に幸せに生きている人を見つけたかったんですよね。でも、たいていそこにあるのは、愛する人を亡くして、つらい悲しいという体験談ばかり。子どもは当時まだ1歳と3歳でした。そんな状態で夫を亡くした人がこれからどうしたらいいのか。誰も教えてくれないし、どこにも書いてありません。私は、当時勤めていた会社を辞め、育児の合間に彼の仕事を手伝っていたので、夫の死と同時に仕事も失い、交友関係も希薄でした。何も持たない状態で真っ暗闇に突き落とされたようなものです。
そのときに思ったのは「こんなにつらい状態のまま生きていくのは絶対嫌だ」ということ。人よりつらい思いをする分、なんの根拠もないけれど幸せが手に入るはず。そう信じて、そのためならなんでもやってやろうと思うようになりました。今まで通りの人生の中で彼だけがいないならもう生きていく自信がありません。死んで横たわっている彼を見て、ああ人は死ぬと、からっぽの物体になってしまうんだなと実感しました。私自身も今日明日突然死んでしまうかもしれない。今までできなかったこと、やってみたいなと思ったこと。なんでも「あ、やりたい」と思ったその瞬間にはじめるようになりました。
❝苦しすぎるから、
新しい自分にでもならないと
生きられなかったんだと思います❞
ヨガ、キックボクシング、
住宅購入、資格取得……
なんでもした
せせらぎさんは、それから何をはじめたのでしょうか
「子どもと一緒に死んでしまおうか」「彼がいないなら生きていても意味がない」……と死を願ったことが何度もあります。ふっと気を抜くと死んだほうが楽かもしれないという思いにとらわれる。そんなときに出会ったのがヨガでした。最初はヨガの最中も号泣していました。ホットヨガだったので、全身の水分が流れ出ているような状態だったと思います。ただ、体験したその日から頭がすっきりして、顔つきが変わりました。体がほぐれると自然と心に余裕が生まれるようで、ヨガをした日は子どもたちにも優しくなれたんですよね。
キックボクシングもはじめ、元々運動とは縁のない人生でしたが今がいちばん体を動かしていると思います。のちに本になるブログをはじめたきっかけも最初は思い付きでした。彼との思い出を友だちに話していたら「ブログに書いたら?」とすすめられて、即はじめました。とにかく3年間、毎日更新しようと決めて、読者が一人もいない頃から毎日記事を書いていました。今思えば、目につくものすべて、やってみなければ生きていられなかったんだろうと思います。ただ、そのときにはじめたことがのちのち自分の糧になっていきました。
彼が死んだ直後は、何もしたくない、家にこもっていたいと思っていましたが、そのまま何もせずにいたら今の自分はないと思います。実家の隣に住みもしないセカンドハウスを建てる決断をしたり、自分の仕事とは直接関係のないFP二級の資格を取ったり。後になって考えてみればちょっとおかしなテンションだったのだと思いますが、明日死ぬかもしれないのに私は何を我慢しないといけないのだろうと、気になることはなんでも即実行にうつしていました。
彼が死ぬ前とで私は性格が180度変わったと思います。大人になると人ってそんなには変わらないものというけれど、友人にも「すごく変わったよね」と驚かれます。もともとはどちらかというと非積極的で無口なほうでしたが、今までは怖気づいて話せなかった相手ともペラペラ話せるようになりました。いくら社会的地位やお金がある人も、いずれ死にます。みんなただの生命体のひとつで行きつく先に死があるのは同じ、と思えば何も怖いことはなくなりました。自分の持つ権力やお金をふりかざしている人を見ると「小っちゃ!」と思いますね。どうせあの世には何も持っていけないのに。
彼が死んで4年近く。この生き方を理解してくれる人もそうでない人もいるけれど、世間が思う「夫に先立たれたかわいそうな未亡人」というイメージに自分を当てはめる必要はないと思っています。彼の死の直後、毎日泣いていた頃に比べれば、自分は変わったと思うけれど、それでもやはり思い出せば涙が出るし、今でも頻繁につらくなります。彼のいない日々は苦しすぎるから、新しい自分にでもならないと生きられなかったんだと思います。自分の心地よさだけを大事に、何を言われても自分勝手に生きてきました。
2人の子どもと生きていく
その後の育児はいかがですか。
シングルマザーになってから、自治体にどんなサポート制度があるのか調べたのですが、一時預かりやショートステイも前々からの予約が前提なので、「今困っている」「急な体調不良で子どもを見ていてほしい」ときには使えないものがほとんどなんですよね。使い勝手が悪いので、ならば自宅で子どもを見ながら仕事すればいいやと思っていたのですが、2歳違いの子どもの世話をしながら、夫の死後の事務手続きやブランクのある仕事をする日々は精神的にもつらく、実家も距離があるのですぐに頼れません。区に相談してショートステイを利用してみることにしました。
ショートステイは子どもが施設に泊まるので最初は利用するのに迷いがありましたが、育児から離れて自分のために使える時間が一日でもあると、帰ってきた子どもと笑顔で向き合うことができるんです。家事代行も試してみました。日常的には使っていないのですが、困ったらここに頼ればいい、一人で抱え込まなくていいというお守りが持てたことで、不思議と家事が進むようになりました。自分でやらなくてもいいと思うとふっと肩の荷が下りたように感じるのです。
せせらぎさんは今「遺された子は発達障害児でした」というブログを書いています。
発達障害に限らず、一人親が子どもを育てるのは大変です。優しく接してあげたい気持ちもあるし、厳しく言わなきゃいけない場面もあります。それを一人でやろうとするとどうしても矛盾が生じて絶対に無理だと思いました。子どもに真摯に向き合おう、息子をなんとかしようと考えるよりも、まずは自分が健やかな状態でいることが大事だと思っています。難しいけれど、いかに自分の心に余裕をつくるかが重要ですね。
子どもの教育や進路はどの選択がベストなのか、結果は後にならないと誰にもわかりません。それよりも今を幸せに生きていてくれたらそれでいいと思っています。子どもは結局親の言うことなんて大して聞かないし、それよりも周囲の人の言葉や行動を見て気づくこと、教えてもらうことのほうが多いはずです。家は子どもが笑顔で過ごせる安心できる場所であればそれでいい。そのためにも自分の心に余裕をつくっておきたいですね。
❝今もまだ、
どちらかを選べると言われたら
彼といる人生を選びたいです❞
彼は今もそばにいると思える瞬間
漫画の中では、旦那さんが天から見守っているようなエピソードもありましたね。
さっきまで土砂降りだったのに、彼の入るお墓の周辺だけ雨が急に上がって虹が出たり、偶然といえばそれまでだけれど、どうにも偶然とは思えない、もしかしたら「彼がそばにいるの?」と思うような不思議なことはたくさんあります。でもやっぱりなんの確証もないし、彼の姿が見えるわけではありません。それでも、彼は死んだけれど、考え方とか人の縁とかたくさんのものを残してくれました。それを私が受け取って、自分の人生を開いていくことがいつもそばにいるってことなんだろうと思います。
復職して、資格を取り、家を買い、ブログは書籍化……せせらぎさんは、旦那さんの死というつらい現実がきっかけとなり今までと全く違う人生を歩みはじめました。
今はまだ、どちらか選べると言われたら彼のいる人生を選びたいです。今持っているもの、考えて培ったもの、まわりにいてくれる人たち……。彼が死ぬことがなかったら得ることができなかったものばかりです。でも、それを全部捨てることになっても、戻れるものならあの頃に戻りたい。でもいくら願っても彼は戻ってこないから、だったら今の自分を、もう戻らなくてもこっちのほうがいいと思えるくらいに大きく成長させて、人生を自分の手で輝かせていくしかないですよね。
彼が死ぬ直前に大きな喧嘩をして、本当に腹が立って、なんなら離婚も頭をかすめたほどでした。でも、一緒にいられる時間がこんなに短いとわかっていたなら、好きという感情だけを大事にすればよかったです。一緒に暮らしているとどうしても、嫌なところや許せないところが見えてくるものだけれど、もったいないことをしたなと今は思います。彼が死んで、当たり前の代わり映えのしない毎日がいちばん大切で、それにかわるものなどないということに気づきました。私も子どもたちも、誰にとっても、今この人生がやり直しも再スタートもない最後の人生なんだと思って今を生きていきたいです。
昨日と同じような今日を繰り返し
当たり前のように年をとり
愛する子ども達を旦那と一緒に育てていく……
そんな日々がずっと続くものだと
何の疑いもなく思っていました
P.4〈大切だったもの〉より
笑って生きていくと決めた どんなに寂しくても
どんなに苦しくても どんなに大変でも
それは残された子ども達のため
死んでしまったまーくんのため
なによりまーくんと出会えた私のために
まーくんと出会えて幸せだったと言うために
P.163〈笑う日々〉より
『旦那が突然死にました。』
エムディエヌコーポレーション(1,540円)
今日、あなたの大切な人が死んだら? だれもが経験する「大切な人の死」と真正面から向き合った、泣けて笑えるコミックエッセイ。結婚4年目、愛する夫(まーくん)が突然死んだ。3歳と1歳の子どもを残して……。夫の突然すぎる死とその後の日々を綴った話題のブログの書籍化。
せせらぎ
33歳、結婚4年目で最愛の夫が突然死。残された子は当時、3歳と1歳の男の子。ほぼ無職の状態で思いがけずのシングルマザーに。気持ちの吐露として始めたブログ「きみといっしょに」は、その飾らなすぎる正直な人柄が支持を集め、人気ブログになる。思い通りにいかない人生と育児に一人向き合い生きている。現在はデザイナーとして勤務しながら、息子の発達障害について綴る続編ブログ「遺された子は発達障害児でした」などで発信中。
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撮影/古本麻由未(せせらぎさん分) 取材・文/髙田翔子 編集/フォレスト・ガンプ Jr.
*VERY2021年9月号「『旦那が突然死にました。』著者・せせらぎさんインタビュー」より。
*掲載中の情報は誌面掲載時のものです。