ミラノの星付きリストランテの分身/ひと皿の向こう側
店名の“ALTER EGO(アルテレーゴ)”は、イタリア語で“分身”を意味します。そう、【ALTER EGO】は、ミシュラン一つ星を獲得した、徳吉洋二シェフ率いるミラノの【Ristorante TOKUYOSHI】の東京の“分身”なのです。
この店で供されるのは、“Equilibrio[エクイリブリオ]”(“バランス”の意)と名付けられたコースのみ。【Ristorante TOKUYOSHI】のスペシャリテと、日本の食材をイタリア料理で表現した驚きと美味しさ満載の料理が、スープペアリングという斬新なスタイルで次々と登場します。徳吉シェフと、彼が全幅の信頼を寄せる“分身”、平山秀仁シェフとで作り上げるクリエイティブなイタリア料理のめくるめく世界に、ぐいぐいと引き込まれていきます。
コースの最初に登場するのが、誌面でも紹介したこちらの「Pizza Delivery」です。元々の名前は「アンナのピザ」。徳吉シェフが、フラワーデザイナーの奥様に捧げた一品ということで、米と白ポレンタをサクッと揚げた軽やかな生地に、モルタデッラとトマトソース、そして色とりどりのエディブルフラワー(特に色が豊富なビオラ)がトッピングされています。ピザが入った箱も、ミラノの店と同じものを使用。
この、花のように美しい一皿は「鰹 生ハム」(スープ/ケッパー 台湾胡椒)。カツオは静岡県焼津の【サスエ前田魚店】から届く活け締めのカツオ。もっちりとした食感で旨味が強く、嫌な鉄臭さがまったくありません。
「生ハムに魚を合わせたいと考え、まず生ハムの色にインスピレーションを得て、イメージを膨らませました。生ハムの色と同じような色の魚……ということで、最初はマグロを使っていましたが、前田さんの素晴らしいカツオに出会ったので、季節によって、マグロとカツオを使い分けていこうと思っています」(平山シェフ)
生ハムは、パルマ・ガローニ社の“バリック”を使用。ワイン樽の中で24カ月熟成させた希少なもの。塩味はそれほど強くはなく、香り豊かで旨味がとても強い生ハムです。イタリア料理人垂涎のイタリア・ベルケル社のスライサーでごく薄く、口当たりも滑らかにカット。
カツオは煮切った酒とみりん、醤油にさっと漬けます。
「フレッシュなカツオに発酵調味料が加わることで、発酵食品の生ハムと同調するイメージです。え、この組み合わせでいいの? と、不安に思われるかもしれませんが(笑)、食べていただければ納得していただけるはずです」(平山シェフ)
カツオを生ハムで巻いてパクリ。その後でケッパーと台湾胡椒のスープを一口。口の中に、恐らく初めて経験する旨味の世界が広がるはずです。まさに“エクイリブリオ”、見事なバランスの世界! そして、スープペアリングのアイデアの素晴らしさを実感します。
「日本人と欧米人では唾液の量が違うそうで、唾液の少ない日本人はご飯を汁物と一緒に食べるという食事のスタイルがあります。また、日本人は口中で味の変化を楽しむ“口中調味”の食文化もあるので、日本の方にはスープペアリングを楽しんでいただけると思います。スープで口中をリフレッシュさせたり、味を加えたり、料理によって役割を変えているので、そこはきちんとその都度ご説明してより楽しんでいただけるようにしています」(平山シェフ)
そしてこちらがデザートの「Cannolo Siciliano」。揚げたての生地にフレッシュなリコッタチーズを絞り入れ、砕いたピスタチオとおろしたレモンの皮を振りかけます。
毎日作るというリコッタチーズ。2時間ほどで出来上がるそうです。できたてのリコッタチーズ、揚げたての生地の組み合わせで、シチリアの伝統菓子が生き生きと感じられて気持ちよく別腹に。
白トリュフで有名なピエモンテ州のアルバに1年、ミラノの【Ristorante TOKUYOSHI】で3年勤めた平山シェフ。気になる日本の食材はありますか?
「今は鹿が気になっていて、いつか登場させたいと思っています。また、ミラノの店のシグネチャーディッシュ『GYOTAKU』を是非、東京でも出して欲しいというリクエストもいただいているので、北海道産の美味しいイワシを使って作ってみたいですね」(平山シェフ)
コースは月替わり。初夏〜夏、秋〜冬と今後の展開が楽しみです。
【アルテレーゴ】
東京都千代田区神田神保町2-2-32
☎03-6380-9390
18:00〜20:00、20:30〜の二部制
コースは¥15,000(ミネラルウォーター、コーヒー付き)のみ
*ワインペアリングはプラス¥6,000(ともに税別)
日曜休み 2019年2月4日OPEN
撮影/牧田健太郎 取材/齊藤素子 構成/川原田朝雄
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筆者プロフィール:
「モキチ」ことライター齊藤素子。銀座・泰明小学校卒業。OLやギャラリー勤務を経て、1995年『VERY』創刊時にライター稼業を始める。食や旅のページを中心に雑誌やWEBで活躍中。その一方で、世界初の腰痛専門WEBマガジン『腰痛ラボ』では編集長を務める。