23歳のスキージャンプ選手・小林陵侑の素顔に迫る!

W杯における「日本人初の世界チャンピオン」。スキージャンプ男子W杯で総合優勝を果たして以降、小林選手を紹介する言葉には常にこの枕詞がつく。2年前には1ポイントも獲得できなかった舞台で、断トツの成績を残して優勝できた要因とは…。そして、2022年に控える冬季北京オリンピックへの展望も語ってくれました。

【小林選手のプロフィール】

1996年生まれ。岩手県出身。小学1年からスキージャンプを始め、高校卒業後にジャンプ界の〝レジェンド〞葛西紀明が選手兼監督を務める土屋ホームに入社。昨シーズンは日本人初のW杯総合王者に輝いた。兄の潤志郎、姉の諭果、弟の龍尚もスキージャンプ選手。

身長より大きなスキー板を履いて急斜面のジャンプ台を滑り、より美しく、より遠くへ飛ぶことを競う「スキージャンプ」。今、このスポーツで世界の頂点に立つ日本人選手、小林陵侑を知っているだろうか。
スキージャンプがメジャースポーツではない日本でさえ、スポーツ番組だけでなくバラエティー番組にも出演する人気上昇中の 22 歳。スキージャンプが盛んなヨーロッパでは、リスペクトを込めて「宇宙人」「皇帝」「サイボーグ」と表現されることもあるらしい。スタジオに現れた世界王者は、プロフィールに記載された174㎝よりひと回り大きく見えた。今にも雨が降り出しそうな屋上での撮影を余裕の表情でこなすと、スイーツを口にしながら静かに話し始める。

「僕らの世代って、たくさんいますよね、すごい人。シンガーのRIRIさんとか、知ってますか? そういう人たちと一緒に、日本を代表する一人に挙げてもらえるのはうれしいです。でもまあ、僕の場合はまだ世界を追いかけている途中だし、僕は僕にできることしかできないんで。それに刺激を受けてくれる人が少しでもいたら、いいんですけど」

子どもの頃から洋服が好きで、ウィンタースポーツ界屈指のファッション好き。写真撮影は自身にとっても趣味の一つだから、多くのスタッフに囲まれてカメラを向けられてもまったく動じない。手足が長く、スタイルは抜群で、モデルのような表情やポーズを作ることもできる。今までの日本ジャンプ界にそんなキャラクターの選手はいなかったから、私服姿の彼にスタジオで会うと、注目される理由がよくわかる。

「世界王者になった達成感みたいなものは、全然ありません。選手としてはまだまだだし、難しいのはこれから。うれしいこと? うーん。でもまあ、僕は洋服が好きなので、こうやってファッション誌の取材を受けたり、アーティストさんやタレントさんと知り合って、刺激を受けることがおもしろいと感じています。そういう刺激を受け続けるためにも、ジャンプで結果を残し続けなきゃいけないんですけど」

小林がブレイクしたのは、ほんの1年前 のこと。約4カ月をかけて世界 19 会場を転戦し、計 28 戦で争われた2018―2019シーズンのワールドカップ。小林は圧倒的な強さで 13 度の優勝を記録し、日本人男子選手としては史上初となるワールドカップ総合優勝の快挙を成し遂げた。
中でも、年末年始の8日間で行われる4連戦、通称「ジャンプ週間」での総合優勝は世界を驚かせた。ドイツとオーストリアの開催国だけでなく、ウィンタースポーツが盛んなヨーロッパで「ジャンプ週間」は特別なもの。グランドスラム(全勝優勝)を成し遂げた選手は過去に2人しかいなか ったから、「リョーユー・コバヤシ」の名前は世界的なニュースとして拡散した。
グランドスラム達成者の一人で、現在は テレビ解説者のスベン・ハンナバルト(ドイツ)は小林をほめまくった。 「リョーユーは現時点では別の星の人間。完璧な技術がある」
 男子選手なら、 47 歳の今も現役で活躍する「レジェンド」こと葛西紀明。女子選手なら、2018年の平昌(ピョンチャン)オリンピックで銅メダルを獲得した高梨沙羅。「スキージャンプ」と聞いて「?」な JJ 読者も、彼らが活躍している競技と言えば、「!」となるかもしれない。小林は、日本スキージャンプ界がその登場を待ち焦がれた〝葛西の後継者〞だ。
そんな小林も、デビュー当時は「まったくダメ」だった。ルーキーイヤーの2015-2016シーズンはワールドカップ総 合 42 位。翌2016-2017シーズンは、 たった1ポイントも獲得することができずに戦いを終えた。
風向きが変わり始めたのは3年目の2017-2018シーズン。平昌オリンピックでは個人ノーマルヒルで日本人最高の7位に入賞し、団体戦では日本チームの最終ジャンパーを務めた。ワールドカップは過去最高の総合 24位。しかし本人は、このときかなりの危機感も持っていたという。

「平昌オリンピックの時は、実はかなり調子が良くて。だからこそ、トップとの差を感じました。入賞することはできたけど、表彰台に上がったり、1位になる選手との差はめちゃくちゃ大きかった」

トップジャンパーとの差はどこにあったのか。そんな質問に、聞き手のこちらがジャンプのシロウトであることを理解して 「うーん」とうなった。 

言葉で説明するのは難しいんですけど、とにかくジャンプのレベルが違うんです

「言葉で説明するのは難しいんですけど、とにかくジャンプのレベルが違うんです。選手なら、見ればすぐにわかる。オリンピックというデカい舞台で、トップレベルの選手のジャンプを見て、自分に何が足りないのかを考えました。それを見つけて、どうやったら自分で表現できるか。頭の中にあることを試してみたら、うまく噛み合ったんです」

ジャンプの選手は、3月にシーズンが終わると次のシーズンまでの数カ月間はジャンプ台から離れる。その期間を利用して、小林は「自分に足りないもの」を補うイメージを作り上げたという。

「動画とかをたくさん見て、頭の中だけ完璧に整理された状態にしておきました。次のシーズンはイメージを体現する練習から始めて、本当にまっさらな状態で1本目を飛んだ。その瞬間に、『これだ』と思いました。それが2018年の夏。そこからはずっと、調子が良かったんですよ。勝てるかどうかはわからなかったけど」

迎えた2018-2019シーズン。ワールドカップ第2戦の初優勝から始まった快進撃を、本人はあくまでクールに振り返る。

「試合をするのが楽しくて、次のジャンプはどんな感じなのかとか、どんな気持ちになるのかとか、とにかく楽しんでました。で、気がついたら世界一になっていた。いや、まさかあんなにダントツで総合優勝するなんて思ってなかったですけど」

スキージャンプは、ほとんど自分の体ひとつで空に飛ぶ特殊なスポーツだ。BMI(体格指数)が「 19 .5」の小林は、規定により長さ約241㎝、幅約 10 .5㎝のスキー板を両足に着用し、それを空中でコントロールしながら「より美しく、より遠くへ」を目指す。例えばオリンピック種目の「ラージヒル」なら、飛び出す踏切 の高さは大阪の通天閣とほとんど変わらない約 88 m。助走の傾斜角度は「ほぼ絶壁」と体感できる最大 35 度。ジャンプ台から飛び出す瞬間の速度は時速 90 ㎞だから、高速道路を走る車と変わらない。
 高さと速さ、それから気まぐれに吹く風を最大限に活かせば、飛行距離は130mを超える。しかも着地ポーズをきっちりとキメる美しさも求められるのだから、ものすごい勇気と技術、そして経験が求められることくらいは想像できる。ちなみに小林は、昨シーズンのワールドカップ個人最終戦で252mという歴史的な大ジャンプを飛んでいる。それってもう、ちょっと普通じゃない(かも)。

「飛んでいる時は、景色が進むスピードを感じながら『ブオー』という風の音が聞こえるだけ。ほとんど何も言わないけど、ミスった時はたまに『うぇい!』とか『うわ!』とか言っちゃいますね(笑)。一番のポイントはジャンプ台から飛び出す瞬間です。助走のスピードを殺さずに出て行って、風をもらえるか。後から吹く〝カミカゼ〞 のようなものもたまにあるけど、ほとんどはジャンプ台から飛び出す瞬間で決まっちゃうんで。その瞬間にわかるんですよ。だいたい」

小林が感じるジャンプの魅力は、おそらく次の言葉にあるのだろう。

「やっぱ、スピードですね。ジャンプ台を飛び出す瞬間のスピードが、異次元の時があるんですよ。それは最高。マジですごい。自分のイメージどおりの助走から異次元のスピードで飛び出して、最高の風をもらって、誰よりも遠くに飛んだ時は『よっしゃ!』って感じです。このスポーツは結果論的なところもあるんです。頭で考えすぎてもダメ。風? ほとんど運だから、あまり気にしてません。吹く時は吹くし、吹かない時は吹かない」

 平昌オリンピックでヒントをつかんだ。それを頼りに自分を変化させて、その〝結果〞として「世界一」の称号を手に入れた。
まだ 22 歳の世界王者だ。 11 月8日の誕生日で 23 歳になるということは、大卒の社会人1年目と同学年でもある。子どもの頃からスキー一本に懸ける生活を続けてきたのだから、〝普通〞に憧れる瞬間だってあるに違いない。ところが彼は、「は?」という表情を浮かべてあっさりと否定した。

「居酒屋で騒いだり、ですか?(笑)大学生になりたいと思ったことは一度もないんですよ。大学生って、たぶん、好きなことができる時間がたくさんあるんですよね。でも、大学生なら絶対にやらなきゃいけない勉強が、僕は全然好きじゃない。イヤなことをやる人生に魅力は感じません。僕はシンプルに、いい服をたくさん着て、たくさん遊びたい。なんか、言葉がアレですけど(笑)」

シーズン中は、週末ごとに〝世界のどこか〞にいる忙しい日々を過ごしている。その街が都会ならショッピング、そうでなければホテルに引きこもってネットショッピ ングかゲームを楽しむらしい。とにかく、好きな洋服を着る、好きな洋服を探す時間が楽しい。だから、できればどんな場所でも自分の好きな服を着たい。その気持ちが強すぎるあまり、公式の場で日本代表のチームウェアを着用せず、関係者に怒られたこともあった。

「僕はアスリートで、服が好きで、だからカッコよく見られたいと思う。憧れられる存在になりたいという思いは、やっぱりありますよ。中学生だった頃、ソチ・オリンピックのラージヒル団体で日本が銅メダルを獲ったんです。僕にとってそれが衝撃的だったってことは、たぶん下の子たちにとっては、僕がワールドカップで総合優勝したこともめちゃくちゃ衝撃的ですよね。だからこそ、結果が出ているうちは、いい意味でカッコつけたい。目標や夢を与えられる選手でありたい」

世界王者として臨む2019-2020シーズンは、 11 月にワールドカップの開幕を迎える。中国・北京で開催される2022 年冬季オリンピックまで、あと3シーズン。世界の頂点に立つ1年を経験したことで、目標ははっきりと定まった。

「次のオリンピックで金メダル。それから、もう1回くらいワールドカップの総合優勝を獲りたいですね。でも、それだけ時間があれば、たぶんあと2、3回はどん底を見ると思います。それがわかっているから、もしそうなってもバタバタしない。僕は1年前までまったく勝てなかったから、結果が出ない時期があっても焦りません」

明確なビジョンは2022年の北京オリンピックの先にも広がっている。

「もしかしたら、2030年に札幌オリンピックが実現するかもしれないんですよね。そこで飛べたら最高です。そう考えても、この調子を崩さず、僕自身が進化したい。ジャンプって、必要な要素がありすぎるから一番になるのが難しいんですよ。だから、一番になることにこだわるより、まずは〝自分のジャンプ〞にこだわりたい」

9月 29 日、グランプリジャンプ第7戦は20 位に終わったが、小林は「忙しすぎて体のケアを怠った」「でも、そんなに悪くない」と少し笑ったらしい。その余裕が、最高にカッコいい。

小林選手が自らスーツケースを引いて持ってきてくれた用具

たったこれだけの装備でジャンプに挑む。

撮影こぼれ話

自分で写真を撮るのも好きだという小林選手は、カメラマンさんが使っていたフイルムカメラにも興味津々。このページの撮影が終わったあと、そのカメラを借りてスタイリストさんをパシャリ。普段とは違うカメラのさわり心地を楽しんでいました。

 

撮影/松本昇大 スタイリスト /Ritaken ヘア・メーク /Misu〈ADDICTCASE〉 取材/細江克弥 編集/岩谷 大 写真提供/AFLO
※掲載の情報はJJ12月号を再構成したものです。