どん底の私を救ってくれたのはモデルの仕事。モデル高垣麗子さん「40歳の実像」3

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男運ないよねって言われます(笑)

穏やかな毎日から突然どん底へ

元夫がいなくなった時、娘は8カ月。出産後、モデル復帰もしたばかりの頃でした。「これ夢だよね!?」と何度も思うような出来事でした。実はその時、人生初のインフルエンザにもかかっていた私。状況がのみ込めないまま、フラフラになりながら泣いている娘にはミルクをあげないといけないし、人の目を気にしてなかなか外にも出られない毎日。本当にどん底でした。母が近所の人に謝っている姿を見て「お母さんは何も悪くないのに」って、そんなことをさせている自分にも腹が立って、本当に辛かったです。モデルの仕事ももうできなくなるかもしれない。これからどうしよう……。私って他に何かできたっけ?って

体調も回復し、1週間後、必死に仕事に向かって

この件が起きてストップした仕事もありましたが、オファーをいただいた仕事は変わらず行かせていただきました。撮影のロケバスに乗ると車内のテレビで私のことがニュースで流れていて。周りのスタッフが慌てちゃって「麗ちゃん、パン食べる?これ美味しいよ」って(笑)。その優しさに泣きそうになりながら撮影をしました。とにかく働かなくちゃ、日常に戻らなくちゃって、毎日必死でした。
日々の仕事と向き合っていくうちに、月日も流れ、事実関係が徐々にわかっていくと少しずつものごとを冷静に考えられるようになっていきました。今後のことを考えた時、まず最初に思ったのは娘を守らなくては、ということ。どんなに泣いても悩んでも目の前には幼い娘がいる。彼女にとってどういう選択をすればいいのかを第一に考えました。
結果、私が選択したのは、離婚という決断。
起きた問題を受け入れて同じ方向を向いて進んでいけるか、一緒に乗り越えられるか。すごくすごく悩んだのですが、夫婦別々の道を選びました。

モデルの仕事は一生続けたい

私は2回離婚しています。
1回目の離婚の時もそうですが、18年来のマネージャーには救われました。心配するからと親にも話せないことも彼女と事務所の社長には話せました。あの時も7キロ痩せてしまって。親知らずを抜いても帰り道に冷麺を食べるくらい食いしん坊な私が、食べられないって相当だって。辛くて辛くて一人でいられなくて毎日事務所に行っていました。マネージャーからは「今、仕事が減ってしまってもきっと必ずもとに戻る。あなたの今までの仕事に対する誠実さをみんなわかってくれているから、這ってでも仕事には行って一つずつ誠実にやってきなさい」と言われました。社長にも「どんなことがあっても絶対仕事があなたを助けてくれる。だから辞めちゃだめ」って。
15歳でモデルデビューしましたが、どちらかというと根暗で人前に出るのが苦手なタイプ。モデルという職業が自分には合わないと思っていたし、何度も辞めようと思いました。それでも、一人で私たち子ども3人を育ててくれている母の助けになれば、という気持ちもあったし、必死でした。あ、もちろん友達と遊びに行きたいという当たり前の欲求もあったし(笑)!
20代前半までは、自分の性格とやらなければいけないお仕事のギャップについていけないことも多かったかな。

40歳。だいぶ図太くなりました(笑)

みんなには「男運ないよね」って言われます(笑)。そこは今後、養っていかなくてはいけないことなんですが。私に起きた出来事は、もちろん誰しもが経験することではないし、経験しなくてもよかったことかもしれませんが、結婚したことは後悔していません。結婚したからこそ娘がいるわけだから。
周りの皆さんは、気を使って離婚のことについて触れないようにしてくださるのですが、昨年40歳を迎えたし、みんなきれいごとばかりじゃなくて、それぞれ何かしら問題を抱えているのは一緒かなって。だから今回、包み隠さず話させていただきました。どん底から這い上がれた証拠です(笑)。40代はたくさんの経験をして逞しくなる世代。自分で決めた道を信じて、これからも全力で突き進もうと思っています。これからもどうぞよろしくお願いいたします!


シャツ¥21,000(エストネーション)

撮影/曽根将樹(PEACE MONKEY) モデル/高垣麗子  ヘア・メーク/森野友香子(Perle Management) スタイリスト/竹村はま子  取材/石川 恵
※情報は2020年4月号掲載時のものです。

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