田中美佐子さんからのメッセージ「何もかもできなくていい。何かができればいい」<後編>

ドラマ「きのう何食べた?」で、「あんなにきれいな60歳いる?」と話題沸騰。最近では、UQモバイルの「60歳以上、国内通話し放題」のCMで、頭いっぱいに色とりどりのカーラーをつけたおばちゃん姿でも注目を集める田中美佐子さん。まさに今、60歳からの自分の人生を思う存分に謳歌しているようです。

90年代トレンディドラマの常連。屈託のない愛らしい笑顔は90年代当時のまま。まさに奇跡の60歳です。

田中美佐子さん(60歳)

41歳で女優を休業したら、自然に妊娠。出産は43歳

 30代後半から40歳は体調が優れず、体を壊しがちな日が続いていました。ある日バタンと倒れ、疲労で入院。そういったことが何度かあって、医師から「20代とは違います。倒れるということは、無理をしている、と体が本人に教えてくれているんですよ」と言われ、年齢的にも無理はできないと痛切に感じました。  一方で、女優としても40代は転換期。女としての役から母親役に変わるタイミングですが、自分と役とのすり合わせが難しくなっていることを感じていました。確かに、私が20代の頃も40代で活躍されている女優さんは少なくて、その葛藤を乗り越えてきた人をたくさん見ていました。仕事が好きでやっているはずなのに、体力的にも精神面でも徐々に苦痛になって、そこにしがみついて頑張るより、一度休憩して心身ともに休もうと決意して、41歳で女優をひと休みさせていただくことに。すると、ストレスもなくなり、体調も回復して健康になり、復帰しようと思っていた矢先に、妊娠したのです。43歳でした。  妊娠を告げられたときは、喜びよりも、年齢的にこの体で健康な子が生まれるのか不安のほうが大きかったですね。夫も感無量の表情で無言。ひと言「君の健康が心配」と。妊娠期間中は子どもを迎え入れる準備をしながら編み物や読書をして穏やかに家で過ごしていましたが、低血圧から高血圧体質になり、体調は不安定でした。最初で最後の妊娠だと思ったので、できることなら自然分娩で産みたいと思ったのですが、高齢出産でしかも逆子だったので、諦めるしかありませんでした。  それが、9カ月と3週目の検診の前日、お腹の中で子どもが破裂するほどの勢いで動いたんです。ずっと続いていたつわりのような気持ち悪さもすっと治まり、病院に行くと、奇跡的に逆子が直っていました。自然分娩で出産できると思ったら、「心配だから帝王切開でいこうね」と言われてガッカリ。かえってどうしても自然分娩で産みたいという思いが強くなり、それからの検診をボイコット。でも、予定日が過ぎても生まれる気配がなく、予定日を2週間過ぎると病院から「胎盤の栄養がなくなり、子どももお母さんも危険な状態になるから、すぐ病院に来てほしい」と言われ、観念しました。  入院を控えた前日の夜、尋常でない痛みに襲われ、最初は気がつかなかったのですが、それが陣痛の始まりでした。痛みが周期的になり、何とかこらえて翌朝病院に行き、8時間後に3,370gの女の子を出産しました。これはもう運命としか言えないけれど、43歳にして自然分娩で出産しました。

40代の子育ては正直、大変。自然に生きることが大事です

 43歳からの子育ては、40代で子どもを産んではいけないと思うくらい大変でした。いちばん子育てを相談したい相手の母は70歳を過ぎ、自分が入退院を繰り返している状態。夫は子育ても家事も助けてくれたし、感謝していますが、母親としての辛さについて相談する相手がいなかったんです。子どもの躾のことから、そもそもママってどういうもの?という根本的なことまで悩みは尽きません。ママ友が回し読みしている本を借りて読んでも、40代の私にとっては、薄っぺらい言葉にしか思えませんでした。一度娘を叩いたことがあって、夫にとても怒られたとき、一番愛しているこの子にどういう母親を見せていけばいいんだろうと悩みました。最終的に行き着いたのが、ナチュラルに生きようということでした。母親だって一人の人間。悲しくて辛いときも、子どもにそのまま見せよう、泣きたいときは泣こう、ストレートに自分の気持ちを出すしかないと思いました。必死で生きている母親の姿を見せれば、娘もきっと理解してくれるんじゃないかなと思いました。  娘は17歳になります。親馬鹿ですが、いい子に育ってくれました。「お母さんありがとう、大好き」といつも言ってくれるので、それだけで十分。

プロポーズは私から。35歳で結婚しました

 22歳でデビューし、立て続けに映画やドラマに出て、30代半ばまではものすごく忙しかったです。仕事が忙しくても、その後遊びに行っては寝ないでまた仕事に行ったこともありました。  周囲の女優さんと話していると、結婚は難しいと感じている方が多く、女優でありながら一生寄り添う人を見つけるのは無理かなと諦める気持ちもありました。でも私は結婚したかった。最終的にどういう人と結婚するのがいいかと考えたとき、あまり好きすぎると大変だから、生活を共にしてラクな人、そして私の仕事を理解してくれる人がいいと思いました。そういう気持ちで周囲を見まわしたとき、数カ月付き人をしてくれた夫がいました。誠実な人柄をわかっていたし、夫は私の好き嫌いも全部知っているうえで尊敬もしてくれて、私を人として見てくれていました。「結婚しない?」と私からプロポーズ。彼はとても躊躇していましたね。自分は男として何もできていないと恐怖心を感じたようで、すぐには受け入れてくれませんでした。後から聞いたことですが、義父に相談をしたら、「美佐子さんはお前を支えにして生きているんだろう。お前が主夫となって守ってあげなさい」と言われ、その言葉で決心がついたようです。今思ってもお義父さんには感謝しかありません。結婚が決まってほっとしたし、嬉しかった。35歳でした。

夫婦のカタチは変わるもの。今はそれぞれの人生を大切に

 令和の年に還暦になると気づいたときから、何となく通り過ぎるよりは、これからの生き方について考えてみようと思いました。友人から、60代は足がまだ動くとき、70代は病院とうまく付き合っていく時期で、80代は介護に入ると聞いたとき、60代の10年間でやりたいこと、やれることは精一杯やろうと思いました。  私は結構いろいろなことに興味を持つタイプで、雑誌も死ぬほど買って読んで研究したりするんです。テニスも続けたいし、書道もやってみたい。小さな目標を持って、その日にできることを楽しむ姿勢に変わりました。生き方を考えるとき、故郷に心が帰ります。亡くなった両親を思い浮かべても、島根県の隠岐島に気持ちが帰っていました。私も故郷を大事にしたいと思えるようになったので、家族でよくお参りした大好きな熊野大社を起点に御朱印巡りを始めることにしました。御朱印帳は功徳の証し。お棺に入れてもらう人もいるそうですね。娘がこれを一緒にお棺に入れて燃やしてくれると思えば、1カ所1カ所感謝して神社を巡れるかなと思いました。  私たち夫婦は、40代50代は一緒に子育てをして駆け抜けてきました。これからはそれぞれが自分の人生を生きながら、共に寄り添い生きていく夫婦のカタチに変わるのではないかと思っています。自然に、子ども1番、夫2番、女優3番になってしまって……。それもまあいいかなと思ってきたけれど、これからは女優としても、今の年齢でできる役を精一杯やっていきたい。それが61歳の私の目標のひとつです。

田中美佐子さんの美の秘密③

誕生日や卒業式といった自分の節目に、娘が手書きで、イラスト入りの葉書を送ってくれます。ラミネート加工をし、ときどき見返しては癒される、私のお守りです。

記念日に届く娘からの葉書は宝物

田中美佐子さんの美の秘密④

還暦をきっかけに始めた御朱印巡り。軽井沢の「しなの木神社」の御朱印は、開くと神社のシンボル・しなの木が立ちあがる飛び出す御朱印。若い神主さんが考案した限定もの。

今のマイブームは始めたばかりの御朱印帳

田中美佐子さんが40代に伝えたいこと

40代は肉体的にも精神的にも辛い時期。自分だけでなく周囲を見ても、身嗜みをきちんと整えていても、後ろ髪が整ってなかったりしてみんな必死。そんな時期は自分にも人にも優しくあれ。

●Profile ’59年島根県出身。’81年ドラマ「想い出づくり」でTVデビュー。’82年初主演映画『ダイアモンドは傷つかない』で日本アカデミー賞新人賞を受賞。その後も映画、ドラマ、舞台などで活躍。主演ドラマは「十年愛」「Age,35 恋しくて」など多数。近年はドラマ「獣になれない私たち」「きのう何食べた?」映画『寝ても覚めても』『糸』などに出演。来春1月には主演舞台「よみがえる明治座東京喜劇」が控える。

前編はここから

田中美佐子さんからのメッセージ「何もかもできなくていい。何かができればいい」<前編>

ドラマ「きのう何食べた?」で、「あんなにきれいな60歳いる?」と話題沸騰。最近では、UQモバイルの「60歳以上、国内通話し放題」のCMで、頭いっぱいに色とりどりのカーラーをつけたおばちゃん姿でも注目を集める田中美佐子さん。まさに今、60歳からの自分の人生を思う存分に謳歌しているようです。

2021年1月16日 20:00

2020年『美ST』12月号掲載 撮影/興村憲彦 ヘア・メーク/樅野知子 スタイリスト/袴田知世枝 取材/安田真里 構成/和田紀子

美ST