【LIFE STYLE】パリ近郊 花とともに暮らす㉚ Goutte d’eau (雫)

 

靄の朝、いつもの田舎道を犬と一緒に歩き出す。

A

道の両側の青々とした麦が随分大きくなってきている。長く真っ直ぐ続く道の、その先を目線で追うのだが、靄が煙むり、ぼやけてはっきり見えない。この道をいつも歩いているが、その風景がどんなものだったかさっぱり思い出せない。いつも、しっかりとその先にあるものを見ていると思っていたが、それは思い込みで、実はぼんやりと眺めていただけなのかもしれない。

月曜日が始まった。この数日間、冷たい小雨が降ったり止んだりが続く。今日もどうやら雨模様のようだ。そんな題名のついた、昔流行った曲が頭の中に流れた。

B

庭に戻るとほんのりと陽が射してきた。その光に照らされ目の前にある長く伸びたバラの枝がキラキラ輝いている。目を近づけて見ると雫がぽつぽつと、幾つもついていた。
丸く垂れた小さなその水滴は、手が枝に少しでも触れれば、ぱっとはじけて落ちてしまうような感じがした。その重たさで自然に、ぽとん、と落ちる瞬間を見たいと思い、しばらく待っていたが何も起こらない。犬が隣でそんな私を神妙に、じっと待っている。禅僧のようにその前に座り続けるには、雑念と雑用が多すぎる自分に気が付き歩き出した。

家に戻り電話を手に取る。
もう薪スト-ブに火を入れることもないだろうと思っていたのだが、寒い一夜を過ごし、冬の間に全部使い、なくなった薪を又配達してもらうことにした。

C

春が来た、と小躍りしていた晴天の日、青い空に映える芽吹き出した木々。そのままジェットコ-スタ-に乗って、ポカポカの春へ進んでいきそうな予感までしたことを思い出す。後ろから誰かに服を引っ張られ一歩、後ずさりしたような気になったが,晴れた後には必ず雨は降り、自然も一歩進めば、後戻りしたり、止まったりするものだ、と自分に言い聞かせ、ちょっと沈んだ気持ちを取り戻した。

 

D

窓際にあるムスカリの青い花が色を増し、また少し伸びた。
裏庭には水仙が咲いているのが見える。昨日まではまだ蕾だったような気がする。
珍しい品種でもない誰でも知っているような黄色い花、大きな口を開けて元気よく歌う子供のようなこの花にも雫がついているのが見える。

E

今朝見た雫はきっともう落ちているだろう。

大きな音もたてず、誰の気を引くわけでもなく、雫はあちらこちらで、ぽとん、と落ちている。そして、その下にもし水たまりがあれば、かすかに水の輪ができているだろう。

急ぐことはない。
春は今、静かに、そんな風に進んでいるに違いない。

 

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【PROFILE】
西田啓子:ファーマーズフローリストInstagram@keikonishidafleuriste
フランス・パリ近郊花農園シェライユ在住。パリの花のアトリエに勤務後、自然を身近に感じる生活を求め移住。以来、ロ-カルの季節に咲く花を使いウエデイングの装飾や、農園内で花を切る事から始める花のレッスンを開催。花・自然・人との出会いを大切にする。
https://keikonishida-fleuriste.jimdo.com/