【LIFE STYLE】パリ近郊 花とともに暮らす㉛ 桜の木の下で。
お湯を沸かそうと水道の蛇口をひねった。
水の音を聞きながら目の前にある小さな窓から外を眺める。
朝のひかりに照らされて、丸く切り込まれたツゲの木から、はみ出すように伸びる若葉が眩しく浮き立つように見える。
この家に移り住み10年を超えたが、一階は窓が多く、視線を少し動かしただけで外の庭の様子が見える所が一番気に入っている。古い木の枠でできたその窓は、冬になると隙間から冷気がス–ッと入ってくるのだが、その分、夏は風がいつも流れているようで気持ちがいい。鳥の動く気配や鳴き声、風に揺れる木々の葉などが家の中にいても感じられ、庭の中にいるような錯覚を覚える時もある。
外の風景がまた変わった。
流し台に立つと見える、向かいの建物の白っぽい石の壁面に、うっすら桃色が加わっている。壁際に立つ大きな桜の花がぱっと咲き出したのだ。南向きのその桜は庭中のあちらこちらにある桜の木の中でも早めに花が開くせっかちさんだ。今日の優しい朝陽に照らされ、桜の花のもつその柔らかさが増し、空気まで薄いピンク色に染まっているように見える。
南向きの窓辺に、スルッと、と何かが動く気配がした。そっと覗いてみると窓の外で小さなトカゲが身体を少しひねり、細長い尾っぽを自分の顔に向けじっと止まっている。春の陽気が感じられるようになると、ここにトカゲがよく日向ぼっこをしている。そう言えば、去年の今頃、最初のロックダウンで学校が閉まり自宅学習する子供と一緒に、その窓辺でトカゲを見ながら一緒に陽に当たったことを思い出した。
麦畑の隣りにある、庭のはずれに桜の枝を切りに出かける。
シャクヤク畑の中に数本、並ぶようにある桜の、その一本の木の下に立つ。思うままに自由に伸びた枝に咲きみだれる、ほぼ満開の花を空高く見上げると、枝の先から、ブーンとうねるような蜜蜂の飛ぶ音が聞こえた。花粉に集まる蜂たちの目覚めの時が来たようだ。
満開の桜の下を通ると気がへんになる、と言うようなことを坂口安吾は小説の中で書いた。
幻想的な風景を想像しその世界の虜になったが、今見上げている狂おしいほどに咲く桜の姿は、恐ろしいと言うよりも晴れやかで、今日のこの日を蜜蜂の羽の音と共に、ただ祝福してくれているような感じがした。
桜の下に立つといろいろなことを思い出す。
物語の中の桜、人波を避けて歩いた川沿いの桜並木、もやっとした春の空気、公園から一枝持ち帰ってきた同居人、家族と出かけた桜の山。
記憶の中の桜と今日の桜が次々と重なり、繋がっていく。
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【PROFILE】
西田啓子:ファーマーズフローリストInstagram@keikonishidafleuriste
フランス・パリ近郊花農園シェライユ在住。パリの花のアトリエに勤務後、自然を身近に感じる生活を求め移住。以来、ロ-カルの季節に咲く花を使いウエデイングの装飾や、農園内で花を切る事から始める花のレッスンを開催。花・自然・人との出会いを大切にする。
https://keikonishida-fleuriste.jimdo.com/