【ブラインドサッカー黒田智成さんの妻・黒田有貴さん】パラスポーツに全てを捧げた選手や家族の「パラリンピアン」STORY 

障がいがあると「できない」「危ない」と思われがち。しかしパラリンピックでは障がいを感じさせない迫力あるプレーに歓喜するはず。耐え抜いた先に得るものがあると知っている選手たちは、新型コロナウイルスによる延期も〝プラス1年〟の力に変えました。何度も壁にぶち当たり、乗り越えて巡り合ったパラスポーツに全てを捧げた選手や家族の、試合では見ることができないSTORYを紹介します。

二人三脚で目指した晴れ舞台。夫や共に戦ってきた仲間が気持ちよくプレーできることが私の一番の願いです

黒田有貴さん(42歳・東京都在住)

ブラインドサッカー日本代表強化指定選手黒田智成さんの妻

ブラインドサッカーは、視覚障がい者が鈴の入ったボールで行うサッカーで、日本に入ってきたのは’01年。当時、筑波大学の大学院生だった黒田智成さんは、いち早く講習会に参加し、競技を始めました。有貴さんは、彼の同級生でしたが、誘われて練習相手をするうちに、面白さに魅了されました。「プレーヤーがまだ少なかった’02年に、日韓親善試合に参加することになり、手伝ったのをきっかけに、自分たちでクラブチームを設立しました。’03年に開催された第一回日本選手権では、運営にも携わりました」。智成さんは’04年に教員になったあとも、選手を続け、有貴さんと智成さんは、新たにクラブチーム「たまハッサーズ」を立ち上げました。「’05年ベトナムでのアジア選手権以後、アルゼンチンでの世界選手権、仙台でのロンドンパラリンピック予選等には、代表チームスタッフとして帯同しました。当初は手弁当でしたので、渡航費用にはボーナスをつぎ込みましたね(笑)」。
そんな二人三脚の年月を経て、’08年、2人は結婚しました。パラリンピック出場は、この競技を始めた当初から、共通の大きな目標でした。「’04年に正式種目になって以来、ロンドン、北京、リオと一度も予選を通過できず、パラ出場は悲願でした。東京では、開催国枠での出場が決まっていたので、すごく楽しみで、気合いも入っていたんです」。ところが、’15年のリオ予選敗退後、それまでのスタッフは退き、刷新されたスタッフと交代することになったのです。「黎明期から、選手を支えるというより、自分事として一緒にやってきたので、正直、複雑な思いはありました。でも、監督を務める『たまハッサーズ』にも、ブラインドサッカーを愛する仲間がいるので、そちらの練習に注力しようと気持ちを切り替え、励んでいました」。ところが、そんな矢先に、パラリンピック延期が決まったのです。「もう1年この緊張感が続くのか、と思いましたね。練習もままならず、試合もないので目標も立てにくい。でも、夫はくじけず、『グラウンドでの練習ができないなら、できることをやろう』とオンラインで練習を始めました。ブラインドサッカーは、奥の深いスポーツで、私のようにはまってしまい、プレーに参加する健常者もたくさんいます。視覚以外の感覚をフル活用して、イメージどおりのプレーができると、今までにはない感覚を味わえるんですよ。パラリンピックで、多くの方が、その面白さを感じてくれると嬉しいですね」。

    夫で日本代表選手の智成さんとの晴れやかな2ショット。
    たまハッサーズでの練習風景。ボールに入った鈴の音や仲間の気配、ゴール後ろのガイド役の声を聴き分けて、選手が走り回ります。
    鈴が入った専用ボールと、アイマスク。国内ではアイマスクをすれば健常者でもプレーできます。
    ’18年東京で開催された日本選手権では監督としてチームを指揮。(撮影/神田正人)
    ’08年に結婚。「両親は、一生彼を支えていくのは大変だと心配しましたが、私も彼に支えられていることをわかってくれて、今では応援してくれています」。

撮影/西あかり 取材/秋元恵美 ※情報は2021年8月号掲載時のものです。

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