元SPEED今井絵理子さんインタビュー”なぜ国会議員になったのか、そしてパートナーとの現在地”
沖縄出身の女性4人によるダンス&ボーカルユニット・SPEEDのメンバーとして、12歳でデビュー。”White Love”をはじめ数多くのミリオンヒットを記録するなど一世を風靡した。し大人気に。その後、ソロとして歌手活動や講演会など幅広い活動を続けてきた今井絵理子さん。2016年に参議院議員選挙に立候補して初当選され、現在、政治家として、障がい者支援だけでなく女性活躍や環境問題など、幅広い分野で活躍する働くお母さんです。そんな今井さんに、母親としての思い、女性としての思い、そして、議員としての思いを語っていただきました。
ーーところで、歌手から、議員になられたきっかけは?
先ほど、息子とともにボランティア活動をしていたお話をしたのですが(※前回記事参照)、その際、私の師匠であり、永田町のお母さんのような存在の山東昭子現参議院議長と何度かご一緒する機会がありました。そこで、立候補しないかというお声をかけていただいたんです。
ーー何歳のときですか?
32歳でした。参議院議員の被選挙権は30歳からなので、当時は非常に若かったですね。
ーーこんな言い方をしては失礼ですが、当選後は大変だったのでは?
ええ。完全にゼロからのスタートでしたから。 議員の一日の動きすらわからなかったですね。ただただ同じ境遇の親御さんからいただいた声を、政策に反映したいという思いだけで無我夢中でした。
ーーこれもまた、失礼な言い方ですが、政治家って何をしているのだろうと思ってしまうのですが、どんな感じなのですか?
国会会期中は、本会議や委員会などで議論をし、自民党の本部では朝8時頃から夕方まで、様々な分野の部会(勉強会)が開かれ、官僚や、専門家の方々と意見交換をします。初めて部会に参加したときは、議員のみなさんが、朝からあまりにも熱い議論を交わしている姿に驚きました。そういう場面は、各議員さんたちのSNSで発信される以外は、あまり報道されないですよね。議員は、朝から晩まで、議論と勉強、そして地道な政治活動の連続です。これまで全く知らなかった世界を知ることができてよかったと思います。
ーー最近では、医療的ケア児支援法にも関わられていらっしゃいますね。
そうなんです。医療的ケア児さんというのは、たんの吸引など医療的ケアを必要とするお子さんのことなんですが、今、約2万人おられます。親御さんが24時間365日つきっきりでサポートされており、学校にも付き添わなければならないケースも数多くあります。もちろん愛する我が子のためですから、みなさん頑張るんですが、精神的体力的な負担は大変なものです。そこで、自民党から共産党まで政党を超えて、いろいろな方が集まって、医療的ケア児支援法を作ることで、学校や保育所などに看護師を配置して、親御さんの負担を少しでも軽減できるようにしようと。また、地域によって支援体制にばらつきがあったのですが、どこに住んでいてもきちんと支援やサービスが適切に受けられて、相談できるよう、支援センターを作るという内容も含まれています。でも、法律を作ったことがゴールではなくて、それが実現するよう、しっかりと見守っていかなければ思っています。
ーーそれは、ご自身がお子さんの障がいについて、どこに相談していいかわからなかった経験も生きていますか?
そのときの経験があるので、今、周囲で困っていらっしゃる親御さんの気持ちはよくわかります。少しでも、お力になれたらいいなあと。障がい者政策や福祉に関しては、イデオロギーや考え方の違いは超えて、みんなで前に進めていきたいと思うものの1つですね。
ーーそういえば、国会で手話で質疑をされたことがおありだそうですね。
手話を交えて質疑をすることの承認を、議院運営委員会にお願いした際、与野党関係なく応援して頂いて実現に至りました。さらに、質疑者が、例えば自民党だったら、拍手するのは自民党という形が通例なのですけれども、私の質疑が終わると、野党からも拍手をいただきました。それぞれ、考え方や理念などは様々ですけれども、政治って1人ではできなくて、理解してくれる方々がいてようやく1歩前進。ですから、丁寧に他の議員さんにも説明をさせて頂いて、一緒にやっていこうという仲間をつくっていくことが大事なのだなあと思います。
ーー最後に、パートナーとは今はどうされているんですか?
すでに発表はさせていただきましたが、仲良くさせていただいています。実は、今回出版した本にも書いたのですが、「このことに触れないほうがいいのでは?」というご意見もありました。でも、私の中では、大切な人生の1ページですし、自分で書くべきだと思いました。
ーー結婚されるご予定は?
将来については、息子を含めて、3人で話し合って考えていきたいと思っています。結婚だけがゴールというわけではなく、いろいろな選択肢があっていいなと思っていますので、自分らしくやっていけたらいいなと。彼は、手話を覚えて、日常生活に困らないくらいにまでなりました。息子とも仲良く話しをしてくれています。
また、いいニュースがありましたら、ぜひ、お聞かせくださいね。
ーーはい、ありがとうございます。
自由民主党・参議院議員。‘83年沖縄生まれ。’96年にSPEEDのメンバーとしてデビューし、‘00年に解散、後はソロとして活動を開始。’04年21歳で長男を出産。‘08年、息子の聴覚障がいを公表し、NHK『みんなの手話』の司会を担当。講演、ボランティア活動など幅広く活躍。’16年参議院議員選挙に全国比例区より立候補して初当選。’19年には内閣府大臣政務官に就任。現在は自由民主党・内閣第一部会長代理を務めている。
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撮影/吉澤健太 取材/秋元恵美 今井さん衣装/カーディガン¥17,600(ソーノ/ミラク)イヤリング¥2,970(mimi33/サンポークリエイト)