カツセマサヒコ「それでもモテたいのだ」【「共感できなかった」に振り回されています】

「登場人物に共感できなかったの

「登場人物に共感できなかったので、星は二つにさせていただきました」
小説を二冊刊行して、そのうちデビュー作である『明け方の若者たち』は晴れて映画化もされ、今も全国の劇場にて絶賛上映中(宣伝です!)なわけですが、原作となる小説の感想で割と頻繁に見かけるのがこの「登場人物に共感できなかった」である。
世はまさに、大共感時代。
「私が前から思っていたことがこの小説では言語化されていました! スッキリ!」とか「自分の人生を描かれているような映画だった! 本当に泣けた!」とか、とにかく作品に触れた人が自分の感情や記憶と結びつけて「わかる〜!」って言いたくて、「それな〜!」って思いたくて、そのためにエンタメを鑑賞するような人たちが肌感覚では増えているように感じる。
言いたいことはどんどん言いづらくなっていく時代だ。本心なんて上手に包んで隠さないと、うっかり誰かを傷つけたり、自分が傷ついたりするかもしれないから、本音は奥底にしっかりしまいこんで、ついつい当たり障りのない言葉を探してしまう。
だからこそ、誰かが自分の本音を代弁してくれやしないかって、なんとなくネットで探して見つけて「いいね!」して、それで安心したくて、私たちはSNSという地獄絵図をじっと見つめているのかもしれない。
そんな「共感」をエンタメに求める時代に、自分の作品で減点対象とされがちなのが冒頭の「登場人物に共感できなかった」である。
思い当たる節はたくさんあって、たとえば私の書く作品の多くは、登場人物の倫理観がちょっとバグっていたり(私にとっては「ちょっと」なのだけれど、もしかするとこれが一定の人には「とても」かもしれない。こういうところがわからないからモテない)、言動が極端だったり(「私と飲んだ方が、楽しいかもよ(笑)?」とか現実で言う人は滅多にいない)、主人公が妙にメソメソしていたり(叶わない恋だとわかっていたくせに失恋を数年間引き摺るとか)する印象があって、そりゃあ共感できない人もいますよね、むしろその気持ちに共感できちゃう感じですわ、と、一旦受け止めて、反省してみたりする。
しかし、反省の一方で「じゃあ誰もが共感できる作品を作ろうじゃないか! よーし、やったろう!」とは到底思えないから、不思議なものである。
「その方がヒットするよ! 万人受けするよ!」と言われても、なんだかそれが、本当に自分の書くべきものなのか?というところに一丁前に疑問が湧いて、筆が止まる。
モテたい! たくさんの人に読まれたい!とは確実に思っている。
でもその一方で、いや、「共感」なんてものは一部の人にだけされていればいいのよ、その一部の人たちを大事にすれば、それでいいじゃないか、と、頑なに「大共感時代」から目を背けようとする自分もいる。
「事実は小説よりも奇なり」みたいなことをよく言うし、それを実感する瞬間も多い人生だ。それでもどこかで、私はノンフィクションに勝つために、フィクションを書いている気がする。
車が空を飛ぶとか、タイムマシンで過去に戻れるとか、そんなスペシャルな表現でなくとも、現実世界ではとても言えないようなセリフを言う人物がいてもいいし、リアリティさえあるならば小さな奇跡をいくつ起こしてもいいと思っている。それがフィクションの魅力であり、武器だからだ。
その結果、共感できない人物が主人公になっても仕方ない。むしろ、その人物こそが、辛い現実からの逃避先としてエンタメに訪れた人を救う鍵になるかもしれないし。
きっと誰かが作った「共感100パーセント!」みたいな作品がヒットした時には、今後も強く嫉妬してしまうんだろうなあと自分で想像がつく。でも、どこかにいるであろう「万人受けはしないだろうけど私/俺は好き」と言ってくれる人のために頑張ることの方が、今の自分には大事かもしれないと思って、重たい筆をなんとか走らせている。

この記事を書いたのは…カツセマサヒコ

1986年、東京都生まれ。デビ

1986年、東京都生まれ。デビュー小説『明け方の若者たち』(幻冬舎)が大ヒットを記録し、2021年12月31日に映画が全国公開。二作目となる小説『夜行秘密』(双葉社)が発売中。

イラスト/あおのこ 再構成/Bravoworks.Inc