高校生で、若くして介護を担う”ヤングケアラー”となった町 亞聖さんが当時を振り返って思うこと

本来、大人が担うような介護や家事の責任を負っている子どもは「ヤングケアラー」と呼ばれていますが、日本では、まだ実態は把握しきれていません。子どもであるがゆえに行政に相談したり、支援を求めたりするすべを知らず孤独な闘いをしている子どもは少なくありません。今回は、そんなヤングケアラーを見守り、支えようと活動しているみなさんから、お話をうかがいました。

町 亞聖さん(50歳・埼玉県出身) フリーアナウンサー

日本テレビアナウンサーから’23年にフ リーに転身。「介護での経験を伝えたい という想いからアナウンサーに。今後も生きづらさの声を届けていきたいです」。

介護に費やした時間を肯定するために。
自分自身が納得する選択を
適切なタイミングでサポートすることが必要

「国の定義では、ヤングケアラーとは家族の介護や身の回りの世話を担う18歳未満の子どもを指しています。しかし、18歳以上でも家族の状態で他の若者たちができることを諦めざるを得ない状況にある子は、ヤングケアラーだと思います。私は当時18歳でしたが、間違いなくヤングケアラーでした」と語るフリーアナウンサーの町亞聖さん。受験直前の高校3年の冬、お母さまがくも膜下出血により車椅子の生活に。状況が把握できないまま介護を担うことになり、環境が一変しました。

「弟は中学3年で妹はまだ小学6年でした。人の手は頼れない時代で、私がやるしかない状況。逃げ出すことすらできずに母親代わりになりました」。当時は友人に相談することも気が引けたと言います。「同じ思いをしていない人に簡単にわかってもらえることではないため、『わかる』と言われるのも複雑な気持ちでした。SOSの発信の仕方さえわからず、前向きに笑い飛ばすことで自分に起きたことを受け止めていました。振り返って思うことは、『わかってくれない』ではなく、わかってもらうためには当事者が語ることが必要であり、何に困っているかを明確にすること。また進学や家計を大きく左右する奨学金や高額療養費制度など、後から知ったのでは遅い情報は、得ようとしないと天から降ってこないので必死に摑みにいってほしい」。 問題が可視化できれば何の支援が必要か、繫がるきっかけに。ヤングケアラーが介護に費やした時間を肯定し、自分自身が納得して後悔しない人生を歩めるかの選択ができるよう適切なタイミングでサポートすることが、周りの大人の役割だと町さんは言います。

「ヤングケアラーの『私がやらなきゃ』という想いも尊重してほしいです。私は母の介護に全身全霊で取り組みました。その選択もありなんです。もし親が、適切な医療にかかれていなかったり孤立しているならば、なんらかの声をかけ続けるなど、親への支援も必要です。子どもを助けるだけでは問題は解決しません。そしてケアを経験した子どもたちは私も含めて、介護を経験したから福祉の道に進む人が多いですが、自分で選択肢を狭めないでほしい。福祉だけでなく、違う世界に進んで経験を生かすことが、逆に知らない人への理解を広げることに繫がります」。

家族でつけていた〝お母さん 日記〟。「読み返すと涙が出てしまいますね」。
町亞聖さん著書『十八歳からの十年介護』(現在は『十年介護』で小学館文庫から出版)。町さんの波乱万丈の人生の記録です。
「『私が諦めたら弟と妹も諦めることになる』と、二人の存在が覚悟を決めるきっかけに」。
家族で過ごすお母さまの病室。「母のおかげで『医療』と『介護』という生涯のテーマに出合えました」。

撮影/山田英博 ヘア・メーク/若宮祐子 取材/孫 理奈 ※情報は2022年3月号掲載時のものです。

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