結婚も離婚も勢いで。そんな夫婦が再婚に至った理由とは

売り言葉に買い言葉。どんなに仲のよい夫婦でも喧嘩は必ずします。でも今回は一度最悪の結末を迎えた二人も夫婦はまたやり直せることを教えてくれました。

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同じ相手と“仲直り”再婚

◯ 話してくれたのは...夏山りみさん(仮名)

京都生まれ。短大卒業後家事手伝い。22歳で結婚後37歳で離婚。40歳で同じ人と再婚。今も夫と二人三脚で会社を経営。長女23歳、長男20歳、再婚後授かった次男が8歳。夏川りみさん似のエキゾチック美人。

夫 滋賀県生まれ。近江商人の家庭に生まれ、大学卒業後不動産会社を起業。地元に密着した建設業、飲食業、人材派遣業など幅広い事業展開。

2度結婚した主人と出会ったのはスポーツジム。私21歳、夫はひと回り上の33歳でした。半年くらいは顔なじみ程度でしたが、ジム主催の旅行で一気に親しくなりました。当時私には年下の彼がいましたが、まだ学生ということもあり、男友達としてお付き合いしていました。そんなとき主人が現われ、すごく大人に見えたんですね。鍛えているだけあって、見た目は27歳の若々しさ、中身も「俺に任せておけ」という亭主関白タイプで、次第に惹かれていきました。

最初から私との結婚を強く望んだ主人はその彼と話し合い、彼は身を引き、私と交際がスタート。すぐに三島由紀夫の『葉隠入門』内の「見合ったものと結婚するのがいちばんいいんだ」というような1フレーズを読み聞かされプロポーズされたのです。主人は不動産会社を経営し、経済的にも豊か。私は舞い上がったまま、よくよく相手のことも知らず、勢いで結婚してしまいました。

そもそも私の実家は公務員で母は専業主婦。毎日同じ時間に同じ車両に乗って帰ってくる父を母は玄関で迎え、靴を揃え、家族一緒に夕飯を囲むような時計の流れに乗った生活。ところが主人は商売人の家庭で育ち、時間が不規則。新婚生活はオフィスの4階でスタートしたので、しょっちゅう帰ってきたり、仕事を持ち込んだりでペースがつかめず、心が休まりません。私は白黒はっきりしたい性格でしたが、主人ははっきり答えてくれない。価値観の違いを日々感じるようになり、実家に戻りたい気持ちが募っていきました。今思うと本当に勝手だったと思います。

しかし4年目に長女に恵まれ、一転して幸せで幸せで私は子育て一直線に。数年後には長男にも恵まれます。そのころは好景気で主人の会社も事業を拡大する中で、経理だけは人任せにしたくないと、嫌々ながらも私がやるようになっていました。もちろん経験はなかったのですが、何事も真面目に取り組む私は、簿記の勉強を独学でして、仕事を手伝うようになっていました

しかし子供が成長するにつれ、早起きしてお弁当を作って、その残りをつまんで、送り迎え。会社に着くと膨大な量の仕事が待っていて、夕方また子供たちを迎えに行って夕飯の支度。ベビーシッターさんを雇いながらも、超ハードな毎日。ろくに寝ず、24時間使って家事・子育て・仕事に一生懸命。もっと子供と一緒にいたいのに、主人は仕事のこととなると私に頼ることが増え、十分な子育てができないことがストレスになっていました。

そんな私の想いとは裏腹に、浮気が発覚したのです。女性と頻繁に食事に行っている形跡がレシートからわかったり、百貨店の外商担当に渡された領収書の明細書に婦人服と書かれていたり、証拠は筒抜け。私は身を粉にして頑張っているのに、一体主人は何をやっているのかと愛情からの嫉妬より、猛烈に腹立たしい気持ちでいっぱい。携帯電話もない時代で、今ほど情報を得ることができず、勝手な想像を膨らませては怒りまくっていました。

当然責めると、売られた喧嘩は買う夫は、口論がエスカレートして次第に暴力をふるうようになってきたのです。直接手が出たこともありますし、物を投げられたり、ゴミ箱を蹴ってべこべこにされたことも。主人のことが嫌で嫌でしょうがなくなり、主人とこの生活から離れ、離婚さえすれば私と子供はバラ色の人生が待っていると妄想を描いていました。きっかけは忘れましたが、喧嘩からの勢いで「別れよう」ということになり、差し出した離婚届に主人も判を押したのが結婚15年目。後から聞きましたが、主人はまさか私が離婚届を提出するとは思っていなかったそうで、それくらい勢いに乗って離婚してしまったのです。私は37歳になっていました。

子供2人を連れて実家に戻った私は幸せいっぱい。離婚という選択で、どれだけ私が嫌で辛かったか夫に伝えることもできたし、尚且つ思いを果たせたような気分。そして、十分にできなかった子育てをゆっくりして、前から興味のあったインテリアコーディネーターの資格を取る学校にも行き、自分に合った仕事を探し始めました。

結婚中は役員報酬をもらっていたので、蓄えもありました。羽を伸ばしたように自由を満喫し、充実。そのときは幸せでした。しかし、半年を過ぎるころから父のいない子供、夫のいない私、と言う現実をまざまざと見せつけられる場面が増えてきました。当然いるべき父親がいないことで子供が不憫な思いをするようになっていたのです。私は本当に欲通しい人間だと思います。勝手でしょ? 落ち着いたころに人生を振り返り、結婚も離婚も勢いで行動してしまった自分の浅はかさを実感しました。同じことを繰り返しているのです。

一方主人からは半年過ぎるころから復縁したいと電話が来るようになっていました。同時に、私の後任の経理担当者が早々に辞めてしまったことで大層困っていたので、離婚後1年目から週1回会社に行って経理をやるようになっていました。とはいえ、復縁する気は全くなし。でも主人からの復縁攻勢は日に日に増していました

人生とは不思議なもので、そんなとき偶然霊感の強い方に出会い、「あなたとご主人は別れられない関係よ」と言われたのです。それがきっかけで我に返ると、流れは復縁に向いて動いているのに、私だけが逆らっているように思えました。子供にとってもそのほうがいいに決まっています。主人との価値観の違いは埋まっていませんでしたし、信頼関係があると言えませんでしたが、何はともあれ子供たちの父親という事実がいちばん重要に思えました。別れている間女性の影がなかったことも高ポイント。人生に逆らわず生きたほうが自然なのかもしれないと気持ちが動き、主人にOKサインを出しました。

そうやって私は3年ぶりに我が家に戻ったのです。「私さえ我慢すれば」と思って復縁したのですが、慣れとは恐ろしいもので、以前嫌だったと思ったことが日常になっていて、前ほどの辛さは感じなくなっていました

そして以前は「主人に言われたから」「主人のためだから」と勝手に主人を軸にして努力が報われずに腹を立てていましたが、「私がこうしたいから」「私が楽しいから」と自分に軸を持ってくるように方向転換。そうすると世の中には白でも黒でもないグレーがあるのだということがわかりました。所詮、夫婦であっても価値観を共有することは無理なんです。例えグレーであっても毎日、平穏を繰り返すことがいちばん大切だと思えるようになっていきました。

復縁後も浮気は収まりませんでしたよ(笑)。懲りない人です。発覚したときはまた離婚されるのではないかと主人は相当ビビりましたが、私にとっては浮気なんて個人レベルの小さなこと。私にとっては屁の河童。それよりも、リーマンショックで経営が悪化し、加えて主人の身体に腫瘍がみつかり自律神経も弱っていったときは本当に辛かった。

でもそのとき思いました。復縁するときに知人が「仕事も家庭も両方大事にしないといけない」と。女性はどちらかに偏りがちでどちらかに手を抜いてしまいますが、「それで幸せな人生はない。幸せな人はどちらも大切にしている」と言われたんです。

主人が病気のときこそ大切にしてあげないといけないと実感し、全力で看病し一緒にカウンセリングも受けました。その甲斐あってか病状は回復に向かい、今は一緒に歴史番組や時代劇を見たり、社会情勢について討論したりする平和な時間にすごく幸せを感じます。以前に比べて収入は減りましたが、激動を乗り越えて神様がくれた宝の時間ですね。

撮影・取材/安田真里 刺繍/みずうちさとみ ※情報は2015年掲載時のものです。

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