安藤優子さん「こうあるべき」なんて苦痛以外のなにものでもない
──VERY3月号でインタビューしたフリーキャスター・ジャーナリストの安藤優子さん。記事では「結婚し、早く子どもを産むべき」「育児や介護はなるべく家庭の中で担うべき」などと女性が「役割」を期待され続ける背景にあるものをお聞きしました。母校の博士課程での研究成果を『自民党の女性認識 ──「イエ中心主義」の政治指向』として出版した安藤さんは「女性はこうあるべきなんて、苦痛以外のなにものでもない」と言います。本誌には掲載しきれなかったエピソードも伺いました。
安藤優子(あんどう・ゆうこ)
キャスター・ジャーナリスト。1958年生まれ。東京都立日比谷高校からアメリカ・ミシガン州ハートランド高校に留学。同校卒業。上智大学外国語学部比較文化学科卒(現:国際教養学部)。上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科グローバル社会専攻修士課程を経て、同専攻博士課程後期・満期退学。グローバル社会学博士号取得。1986年、テレビ朝日系「ニュースステーション」のフィリピン報道で、ギャラクシー賞個人奨励賞を受賞。その後はフジテレビ報道と契約。1987年から連日、ニュース番組の生放送でキャスターとして取材、放送を手掛けてきた。フジテレビ系では「スーパータイム」「ニュースJAPAN」「スーパーニュース」を経て、同系の「直撃LIVE グッディ!」MC等を務めた。
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「普通」を押し付けられるのは勘弁してほしかった
──本誌のインタビューでは「完璧なお母さんでないと育児できない」と若い人が思うようなことがあったら悲しいという話もされていました。
とにかく、日本の社会は型にはめるのが大好きなんですよ。「素敵なお母さんはこうあるべき」とか、基準や標準が作られるから、そこから外れるといけないのかなと感じてしまう。何とか平均に合わせたくなるような社会構造が作られてきました。でも、同じ品質とか成果を個人の生き方に求められることほど息苦しいことはないと思います。自分の話になって申し訳ないのですが、私は人と違うということを大事にしてきました。だから、普通はこうです、と言われても「それはちょっと勘弁してほしい」と思うことはやりたくなかったんです。私がテレビに出るようになった頃、アナウンサーの女性はロングヘアに原色系の明るい色のスーツが定番でした。でも、私は「今日の服装よりも自分が取材してきたことや今伝えたいことを聞いてほしい」という気持ちの方が強かったのです。だから、自分の言葉よりも前に出る服装はやめようと決めました。以来、ダーク系のテーラードジャケットやパンツスーツが私の定番になりました。
「あるべき論」は早く消滅してほしいです
──人と同じは嫌と思ってはいても、「どれを選ぶ人が多いですか」「どんな服装の人が多いですか?」などと、周囲と足並みをそろえたくなることが多くあります。
これが社会の基本とか普通と言われることに対して、私は嫌と言い続けるのはとても勇気のいることです。こんな言い方をしていいのか分かりませんが、私は「こうあるべき」なんて、余計なお世話だし、苦痛以外のなにものでもないと思っているんですよ。だって、みんなが同じなんてありえないでしょ。人と違うことを誇りに思える。それこそ、本の中にも書きましたけれど、個人の尊重ということだと思うのです。人間にとって一番大切なことはやはり自由であるということだと考えています。どんな生き方を選ぼうと自由だし、その選択は最大限尊重されるべきです。専業主婦になって、一生懸命子育てや家のことがしたい。それはとても大切なことだと思うし、バリバリ働いて、企業のトップを目指したり、組織に属さず自分で起業したりするのもいいと思う。働きたくないという考え方にもそれもそうだ、と頷きます。その前提にあるのは個人の尊重です。どんな生き方をしてもいいと、自分や他人の選択を尊重してほしい。今回の本に込めたのも、この尊重があれば、おのずと社会が私たちに注ぐ「視線」というものは変わってくるのではないかという思いです。
「こういうのもありだよね」でみんなが楽になる
──「私は私」と考えたいのに、周囲の人から「お母さんとしての合格最低点」はもらえるようにがんばろうと考える自分がいます。
よく、「安藤さんはキャリアウーマンですね」などと言われますが、「なぜ? 私は普通に生きているだけなのに」と毎回困惑してしまいます。この前読んだ曽野綾子さんの本の中に「当たり前を重ねることが日常であり人生」という話がありました。全くその通りだと思います。私はキャリアウーマンを目指しているのではなくて、当たり前の日常を懸命に生きているだけです。仕事は私の生きる道だし、家にいて色々な料理を作ったりするのも大好きです。誰かに強制されているわけではなくて、自分がやりたいと思ったことをするから楽しいのであってカテゴライズされるのは嫌なのです。色々な人がいて、私の生き方とは違うけれどこういうのもありだよね、と思える。そんな、ゆるやかで寛容な社会であってほしいと願います。母親は、父親はこうあるべきという規範のためにどれだけ多くの人が疲弊してきたかと思います。その人がこう生きたいと思う方向に、足枷なく進める社会が、本来当たり前であって、「あるべき論」みたいなものは早く消滅してほしいです。1970年代には、「私作る人、ボク食べる人」というコピーが物議を醸しました。今は「私は作る。あなたも作る」が基本だと思いますし、夫婦どちらか一方が家事育児をメインでするのではなく、周囲の人とゆるくつながりながら子育てができる世の中であってほしいです。
『自民党の女性認識 ──「イエ中心主義」の政治指向』
(明石書店)2,750円
自民党は長らく、女性を従属的な「わきまえる」存在と見なし、「イエ中心主義」の政治指向を形成してきた。戦後の保守再生の流れの中で、そうした「女性認識」はいかに形作られ、戦略的に再生産されてきたのか……? 国会に女性が増えない原因を解き明かす画期的試み。
取材・文/髙田翔子
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