離婚しようとまで告げられた夫婦関係、修復のきっかけとなった”考え方”とは

お互い好意を持って結婚したはずなのに別人と思えるほど嫌いになる時期もある。でもその原因は、ほんの小さなボタンの掛け違いだったりします。今回は、夫婦関係の修復の物語です。

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◯ 話してくれたのは...麻岡よしみさん(仮名)

東京都生まれ。大学を卒業後、商社に勤務。26歳で結婚。2歳違いで長男、次男を出産。子供たちが小学生になったのを機にGAPでアルバイトを始め、その後、外資系アパレルの立ち上げに関わり、女性誌のスタッフ一般公募に合格し、現在もライターとして活躍中。麻丘めぐみさん似の笑顔美人。

夫 東京都生まれ。大学を卒業後、証券会社に勤務。東海地方や近畿地方での勤務を経て、現在は東京に勤務。旅行と運転が趣味。真面目で堅実。友人からも優しい人と認識されている。

旅好きな私たち夫婦。週末はほぼ夫婦であちこち出かけます。正直、私は行った場所は覚えていないくらいでどこでもいいし、どんなスケジュールでもよくって、2人で行くことが楽しいんです。そんな私たちも、30代後半は夫から離婚を切り出されたこともあるくらい不仲な夫婦でした。

夫とは大学の同級生。お互いサークルのボランティアリーダーをやっていたことで仲良くなって、20歳からお付き合いが始まりました。卒業後、夫は証券会社、私は商社にそれぞれ就職し、26歳で結婚。私は仕事を続け、30歳で退社後、長男・次男を出産しました。

そして次男が2歳、私が34歳のとき浜松に転勤。私は英会話教室で子供たちに英語を教え始めました。そもそも主婦だけじゃなくて、何かキャリアを持って、仕事をしていきたいタイプ。

ところが2年後、今度は名古屋に転勤になりましたが、英語を教えるのはとても楽しかったので、夫やベビーシッターさんの助けを借りて、週末だけ浜松に通い、仕事を続けました。さらに2年後に静岡に転勤。その頃は、英語の仕事で受験生を抱えストレスがあったこともあり、一旦辞めたんです。

でも私は常に何かしていたい人なんですね。もともと服が好きで、今度はGAPでのアルバイトを決めてきたんです。ところが夫は売り子なんて恥ずかしい、言語道断と大反対。そう言われても、ほかに静岡で働き先もないし、転勤で転々としていたので友達もいない。夫の言うことは無視して、我を通してGAPで働き始めました

結果それが不仲になるきっかけになりました。仕事は楽しくて、昼間は接客業、たまに夜にディスプレイ替えの仕事もあり、私はそれもやりたいけど、だめだと言われて喧嘩。一事が万事、他の件でももめごとが増え、家の中は険悪な雰囲気に包まれていきました。

そうすると悪循環。本当は早く帰宅できるはずの夫の帰宅時間もどんどん遅くなり、土日にも仕事に行くようになり、そうすると1人で子供の面倒を見なければいけない訳で、私は私でますますストレスが溜まっていったんです。あの頃は、週末外食するときも映画を観に行くときも常に子供たちと私の3人だけ。夫をポツンと家において出かけていましたね。

そんな様子を友人に相談すると、「浮気に違いない」と吹き込まれ、ますます猜疑心を持つようになって、完全に夫婦関係に亀裂が走り、冷え込んでいきました。しばらくしたある日夫のほうから「離婚しよう」と告げられたのです。私は何言ってんだとは思ったけれど、「わかった」と答えました。本心で離婚してもいいなと思ったんですよね。

一方で、以前から長男は中学受験をさせて東京の学校に入れたいと計画していたので、夫の仕事がどうあれ、私たち3人は東京に戻ろうと思って、名古屋にいるときにまだ計画段階で売りに出されたマンションを購入していました。偶然にも離婚話が出た頃にマンションが完成し、長男も6年生になり、夫とはもめたままで、息子たち3人と東京に戻ったのです。そんな環境の変化もあり、夫は相変わらず帰りが遅いし、突き詰めて離婚の話ができないままでいました。でも、今思うとそれがよかったんですよね。

帰るとやっぱり東京は楽しかった。それに私の両親が近所に住んでいたのですごくラク。親に離婚話があることを話すと、それもいいんじゃない? とあっさりしたもので、いずれその方向で話がまとまると思っていました。

半年後に夫が東京に転勤になるまでの間、短い別居期間がありました。それがいい意味での冷却期間になったんです。夫は何度か東京に帰ってきていたのですが、たまに会うときにもめるのも面倒臭いので、お互いすごく他人行儀に接していました。気恥ずかしい感じです。

私も東京駅まで車で迎えに行って、その足でワインやチーズを買って、子供たちが寝てから話す時間も取れるようになっていました。でも夫婦の話をするより、日常会話ばかり。離れているから話すことが結構あるんです。そういう時間を持つようになると、静岡では私は愚痴しか言ってなかったなと振り返るようになり、反省心が生まれてきました

当時住んでいたマンションの前は田んぼで寂しい雰囲気。友達もいないし、気持ちをぶつける相手が夫しかいなかったんですね。あとで聞いたのですが、夫は夫で、1人ぽつねんと取り残された家でいろんなことを考えたそうです。あまりにも私の話を聞かなかったことに反省したようで、そのせいか久しぶりに会話が弾みました。家も買って、子供もいる、やり直せるかなーという気持ちがお互い生まれてきたのです。

夫は親兄弟ではないのだから、1人の人として接してみよう、そう思うと他人行儀な感じって悪くないのかもしれないと思えました。夫も全く同じ気持ちだったようです。2人の共通の認識として、どちらかが悪いのではなく、他人同士が暮らしていくには思いやりが大事なんだなーっていうことをようやくお互い学べたのです。

それから2年後、42歳のとき、女性誌のライター募集の試験を受けて、見事採用され、出版社で仕事を始めました。仲直りして以来、さげすむようなことは言わなくなっていたのですが、派手なことが嫌いで堅実な夫はマスコミの世界も好きじゃない。だから私がマスコミで働くことに二の足を踏みました。夜中まで仕事をすることもしょっちゅうで、再び機嫌が悪いことが増えていったのです。

前回の反省もあったので、私は悩んで、同じく主婦の先輩ライターに相談したんです。すると、「あなたのお陰です」を言いなさいとアドバイス。半信半疑なものの、「こうやって仕事をできるのはあなたのお陰。出張に行けるのはあなたのお陰」と言いまくったのです。そうしたらその効果が凄くて、すっかり夫は気をよくしたんですね。

男性の編集長からも、「男は馬鹿だから、感謝されると喜ぶよ。喜んでもらうことが男は一番嬉しいんだ」と。それで、何かしてくれた時は、大げさに喜ぶようにしました。これも効果てきめんなんですよ。師匠の言うことは聞くものですね。実際、もめることが一切なくなったんです。

その後2回夫の単身赴任があって、夫が東京に戻るより、旅行気分で私が週末に単身赴任先に出向き、あちこち旅するようになりました。夫が計画してくれることに対し、いちいち喜び、ほめる姿勢もずっと続けました。私が働くようになって、経済的にも余裕が生まれ、うちの場合おおまかに生活費は夫、レジャー費は私、と分担しているのですが、働いているから旅行にも行けることや、面白いと思えたり、美味しいと思えることは全部パパが教えてくれたよ、となんでも口に出して必ず言うようにもしてきました。夫婦は言わなきゃダメですよね。黙っていたら理解できないままです

私は仕事は続けているし、入稿や撮影でご飯を作るのが大変なときもありますが、夫が帰ってくるのが早いので、それまでにできるだけ食事の準備をして、一緒に食卓を囲めるように心掛けています。お互いにとってちょっと譲れないことも、そこをもう一歩努力すると夫婦はうまくいくものです。

その分、月2回・2時間プロに掃除を頼んでいます。10年近く続けていますが、こんなにいい精神安定剤になるとは最初は思っていませんでした。無理はしないことが大事。自分が元気でいると相手にも思いやりを持てるんです。

他人行儀に気を遣うことは、今もずっと続いています。夫もそうしてくれています。それって夫婦には大事、ほめるのも喜ばせるのも意識的にやらないと。だからこそ、一緒にいられるだけで幸せだって心から思えるんです。

とはいえ、夫はゴミ出しだけはしてくれませんけどね(笑)。そうそう、浮気も全くの誤解だと後にわかりました。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2018年掲載時のものです。

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