40代で再婚して1年、「毎日が最高に幸せ」と感じられる理由とは

婚活も若い方が有利だし、マッチングアプリも年齢がシビアだし、もはや合コンにも呼ばれないし…大人になったら、出会いなんてないと思いがち。40代の出会いはもっと気軽で意外なところから。自然体がいいみたいなんです。

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結婚は早まらないほうがいい

◯ 話してくれたのは...美香子さん(仮名)

神奈川県出身。中学から大学までエスカレーター式の女子校に通い、22歳で外資系航空会社に就職。CAとして8年間務め、30歳でメーカーに再就職。秘書として活躍後、39歳の結婚を機に退社。40歳で離婚し、45歳で再婚。モデルの美香さん似のファニー美人。

夫 青森県出身。大学卒業後大手商社に就職。25歳で結婚するも数年で離婚。39歳で再婚。アウトドアが好きなスポーツマン。野球観戦が趣味。

毎朝ピシッとスーツを着て家を出る背筋の伸びた夫の姿を見るたびに、「この人と一緒になって良かったな」と思えるんです。前の結婚はしんどいことばかりだったので、再婚して1年ですが、毎日が最高に幸せです。

恋愛経験はそこそこあったのですが初婚は39歳。大学卒業後は外資系航空会社のCAとして25~29歳までタイに勤務。そこで日本企業に勤務する彼と交際しますが一歩踏み出せないまま別離。30歳で帰国後再就職し、4歳年下の同僚の彼と交際。でも彼が海外留学や大学院に行き直すなど、細々と交際を続け、結局は結婚に至りませんでした。

私には、優しい母の存在が大きくて、母以上に親密になれる人がなかなかできなかったんです。私は頼られるより頼りたくなる方で、母は力強い存在でした。また、女子校育ちのせいもあり、気軽に男友達を持てなくて、構えてしまうところもあったんです。

やがて友人主宰の食事会で元夫と出会いました。第一印象はステキな人。でもだからと言って、私から進めていくことができなくて、その場を傍観していたら、元夫の方から4歳年下で自営業など、積極的に話してくれました。その後も会うことになり、数度目かの食事で「結婚を前提に付き合ってほしい」と交際を申し込まれました

出会って日も浅く、すぐに返事できずにいた最中、母がステージ4の胃がんで余命半年と告知されたんです。もう大ショックで、元夫に相談したら、熱い人なので「すぐ結婚しよう。ドレス姿を見せてあげようよ。ね?」と問われ、「そうだよね」と流されるままにOKの返事。車で家に送ってくれた時に、すでに挨拶し、「いい人じゃない」と気に入っていた母も賛成してくれました。翌週に両親に挨拶、その翌週に北海道の彼の両親が来て、3カ月後に結婚式。元夫は行動力のある頼れる人。どう生きてきたか、どんな信念で仕事をしているかなどは詳しくは知らなかったけれど、「きっと運命の人なんだ」と思いこんで、スタートしたのです。

ところがいきなり母の治療法でもめました。元夫はがんの最先端治療を調べて、高額な治療費も払うからトライしようと言ってくれたのですが、主治医からそれなら病院を出て行ってほしいと言われ、保守的な父と兄も反対。最終的に母が今の病院に残ると言いました。自分の誠意を受け入れられなかったことで、元夫は気を悪くし、ここからことごとく価値観のズレが出てきました。

明らかな違いは、厚生年金や健康保険に対する考えでした。元夫は「稼げば払う必要がない」というポリシーから督促状が来ても支払わないまま。それが理解ができず、私はお小遣いの中から自分の分だけを払っていました。それには育った環境が大きく関わっていました。私は実家も余裕があったので苦労せず、また中学から私立。それをぬるま湯と非難されました。

元夫は地方の商業高校出身で、力さえあれば勝てるというハングリー精神が人一倍強い。社会の一員というよりも、自己中心的に物事を判断します。私の常識では明らかにおかしいと感じることが溜まっていき、結婚して数カ月で生活する不安が増えていきました。

何より悩まされたのは、女友達の存在でした。彼の仲良しグループで、結婚式の受付をしていた彼の2歳年下のCAの女性に、よくメールをしているんです。当時携帯を開けなくても1行目までは横から読めたんですね。不審に感じるとつい携帯を見るようになって、コントロールできない自分も情けなかったのですが、彼の甥っ子の写真を送ったりしてるんです。ある日、「その女性はどういう関係?」と聞くと、「妹。ただの友達」とはっきり否定して、会話が続かず怒ってしまいます。

私も上手じゃないから感情的になってうまく聞けない。ナーバスになり始めていた頃、母の介護で家を空けている日に、グループで家に遊びに来た中に彼女もいて、彼女の誕生日会をしていたことがわかったり、彼女がフライトで北海道に行った際、彼の実家を訪ねて、「言わない方がおかしい」と義父が私に気を使って連絡して、発覚。彼に問い詰めると、「母が彼女が行くと喜ぶから、母の幸せを取る必要はないだろう」って怒って言われました。

浮気をしているわけではなさそうですが、結婚前に付き合っていたのか、どういう関係なのか、気持ち悪いくらいはっきりしないままでした。元夫も「そんな詮索する性格とは思わなかった。もう無理かも」と言うのです。そ

れなら彼女に会いたいと言っても会わせてくれないので、FBのメッセージ機能で、直接どういう関係なのかを聞きました。すると「友達ですが、奥さんの気持ちもわかるからもう連絡とりません」と。それで一旦解決したと思いました。

ちょうど結婚して半年たった頃。さらに、腑に落ちなかったのが、元夫は結婚半年で妊娠するのが普通と思い込んでいて、その兆候がないため、早いと思いましたが、婦人科で検査を受けていたんです。するとある夜、夫が寝た後に、携帯にLINEがきたのを見てしまうと、「嫁に子供ができなかったら、俺の子供を産んでくれる?」と夫が書いたのに対して彼女が「そんなこと言ったら可哀そうだよ」と、軽いやり取りを楽しんでいるような内容でした。それを見たとき、手から汗が出て、一気に体温が下がり、ガタガタと手の震えが止まらなくなりました。携帯を壁に投げつけて、夫も気が付き、もう修羅場。

「何でもないと言っただろう。もうやめて」と大激怒し、私が「別れたい」と言ったら、向こうも待ってましたとばかり。最終的にはそのまま元夫が家を出て行きました。離婚なんて想像すらしたことなかったけど、もう無理でした。

黙っていられなくて母にも相談し、離婚を勧められました。そこから手続きに入り、浮気とは言えないので、行政書士に介してもらい、実家が出した結婚費用を戻してもらうということで落着したのが結婚1年後。と同時に母も亡くなりました。Wショックにしばらくは外にも出られず、私は精神的におかしかったと思います。

でも美容関係の会社に再就職し、徐々に新生活を始めましたが、3年後に父の介護が必要となり退職。人生を諦めたように介護をしている中で、病院などで、自然で優しい人と関わるようになり、「なんで私はこんなに張り詰めているのだろう」と我に返ったんです。それまではキレイでいたい、誰かと出会いたいと、占いに行ったりして、力が入っていました。でもその環境の中で「何でもいいや」って思えるようになると、途端にラクになれたんです。

そんな時、女友達にふるさと納税の返礼品を持ち合う食事会に誘われて、珍しく参加しました。そこで今の夫が隣に座りました。妙に話が合い、2人で二次会三次会と行って、会社を辞めて父の介護をしていることを話したら、「僕は母の介護ができなくて後悔している。君は偉いな」と共感してくれます。それまで「大変ね」「なんで会社辞めるの?」としか言われなかったので、初めて自分を認めてもらったようで嬉しかったんですね。心の持ち方が変わっていたからだと思います。

そこからはスムーズでした。交際までに3カ月、半年後のクリスマスイブにプロポーズ、そして2カ月後入籍しました

今の夫とは心と心が寄り添っているかな。前は周囲に向けて形は整っていても中身がなく、心が打ち解けてなかったと今ならわかります。価値感も合うんですよね。夫は自分のリズムをしっかり持っている人で、趣味が多く、それに合わせる努力はしています。でも、結果的にそれが楽しくて、夫の友達が私の友達にもなり、また夫の家族とも本当に家族になったようで、夫から新しい世界が広がる感覚です。

ただ、子供を産んであげたいという気持ちが強く、今46歳になり、もう最終リミットですが、できる限りのことをしたいと不妊治療も始めました。もちろん、辛い治療もあります。だけど、全部2人でリセットできて、毎朝夫を見送るときが幸せを感じる瞬間です。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2019年掲載時のものです。

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