気象予報士・斉田季実治さんの妻英子さん。子宮頸がん、二拠点生活、三人育児を経て見つけた心地よい家族の形

大学教員として仕事にまい進していた頃、子宮頸がんに。「死ぬかもしれない」と覚悟した経験の後、気象予報士の夫と出会い結婚、妊娠。お互いの仕事のために別居婚、ワンオペで子どもたちの育児をするも過労でダウン……。斉田さんが試行錯誤を経て見つけた心地よい「家族の在り方」とは?

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VERY2022年3月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

Profile

斉田英子(さいたえいこ)さん
1974年生まれ。夫は気象予報士の斉田季実治さん。夫婦で起業した「ヒンメル・コンサルティング」にて、彩り家族コミュニティ/ヒンメルカレッジを主宰。彩り家族コミュニティはLINE ID「@irodorikazoku」にて無料登録可能。著書に「家族と話し合いをしてますか?」(PHP研究所)などがある。

斉田さんの著書『家族と話し合いをしてますか?』

 

厳しかった父といつもかばってくれた母

父が他界して長崎で一人暮らしだった母に声をかけ、2019年の冬から母が加わり、夫と子供3人の家族6人で東京で暮らしています。長崎に生まれ育った私にとって、幼少期の父は「絶対」の存在でした。失敗をしないように、レールから外れないようにという感覚がありました。また少しでも反発すると怒鳴られるので、言うことを聞いて平和に過ごそうとしていました。

 

例えば、異性から家に電話がくることなどあり得ないことでしたし、友人関係にも優劣をつけられていました。私が父に反論すると母がかばってくれるのですが、かばってくれた母に対するその後の父の当たりようがひどいので、できるだけ波風を立てないように過ごす努力をしていました。

 

奈良女子大学の大学院に進み、まちづくりに関する研究をしていた時、転機が訪れました。指導教官からドイツの環境政策の視察旅行に誘われたのです。国内旅行やアルバイトですら私がすることを嫌う父でしたので、自分が海外へ行くなんて夢のまた夢だと思っていたのですが、母の後押しもあり、視察調査に参加することができました。初めてのドイツで見た景色は素晴らしいものでした。見るものすべてが新鮮で、自然の景色の美しさと異国の空気に触れ、いつか必ず自分の力で海外留学を果たそう、そう心に誓いました。

 

12歳の長男薫くんを筆頭に翼くん9歳、泉くん3歳(取材当時)。

 

今ある私の原点を作ったデンマークへの留学

博士号を取得した後、2002年7月から奨学金をもらい2004年2月までコペンハーゲン大学政治学研究科にてまちづくりの勉強のため留学をしました。まちはどうあるべきなのか? 暮らし方や住まいの観点からの研究で多くの学びがありました。

 

またデンマークでは、何歳からでも学び直すことができ、大学に入るのも年齢を問いません。18歳で高校を卒業した後に働いたり、ボランティアをしたり、旅に出たり……。その後に大学入学を果たす人も多く、国や社会が今後の人材をどう育成していくか? きちんと考えられているのです。「人こそが宝である」そんな哲学をしっかりと感じました。さまざまな実りある留学を経て帰国後は熊本県立大学にて講師を経て准教授として働き始めました。

デンマークで学んだ「ヒュッゲ※」をテーマにした自宅のダイニング。
※「居心地の良い空間や時間」を指すデンマークの言葉

 

≫≫「死ぬかもしれない……」子宮頸がんの診断を受けて

子宮頸がんの経験と夫との出会い

仕事も順調だった34歳の時、不正出血やなんとなくだるいという症状から検査を受け子宮頸がんの初期とわかり、すぐに手術を受けました。「死ぬかもしれない」という思いを初めてもち、人生は一度きりだということをしっかりと胸に刻みました。そしてこのことが夫との出会いの後押しになったのです。

 

それまで共通の友人がいて、素敵な人だから一度連絡を取ってみたら?と勧められていたけれど奥手な性格から何となく積極的になれなかったのですが、夫が撮り溜めた空の写真で企画展をやると聞き、重い腰を上げて会いに行くことにしたのです。人生は一度きり、行動しなくては……と思ったのがきっかけでした。出会って翌月には結婚を決めていました。夫は北海道文化放送を経て、当時は民間の気象会社の契約社員として福岡に住んでいましたが、いつかは全国放送で気象キャスターの仕事をしたいという思いを持っていました。そのため、近い将来には東京に行くと漠然と思っていましたが、私が往復すればいいと軽く考えていたのです。結婚して間も無く妊娠し、35歳の時に長男が誕生しました。

 

玄関では次男の描いた絵がお出迎え。

 

≫≫夫が転職で単身赴任。ワンオペ育児の末に……

 

夫の東京勤務に伴いワンオペ育児の始まり

長男が誕生してすぐに、NHK本社のポジションが春に空くと連絡が入りました。夫はすぐにオーディションを受け、東京勤務が決定。念願だった全国へ気象情報を届ける夢が叶うことになりました。当時は私も育休中だったので、東京生活のスタートを共に過ごしたのですが育休終了で熊本に戻り、6年間の別居婚がスタートしたのです。熊本県内外のまちづくりに携わることができる研究室での仕事はとても有意義で、自分のキャリアを諦めることは考えませんでした。

 

次男が生まれてからはほぼ毎週末、熊本に夫が帰ってくる生活。仕事では責任も増し充実していましたが、自分はどんどん疲弊していきました。母の姿を見ていたので、すべて一人で普通にこなすものだと思っていましたし、それなりにできます。ワンオペの日々の忙しさは当然で、仕事、家事、育児というタスクをこなすことを考える日々に余白時間は全くありません。可愛い育ち盛りの子供たちですら、可愛いと思う暇もなく常にパツパツの生活……でも、なんとかなるもの……。そして2014年、40歳の時に急性胃炎で倒れました。

 

 夫のコトバ……
今までの経験も糧になるよ

 

本棚にはお互いの歴史に関連する書物が並びます。夫婦だけの時間を持つ努力もしているそう。

 

夫が即座に東京から駆けつけてくれ、福岡の義父母にも頼って子供たちをお願いし、静養。そこから別居婚の限界を考えるようになりました。
東京へ移るための受け入れ先になる大学は容易には見つからず、キャリアを諦めることを考えると絶望的になり、自然と涙が溢れてきて鬱のような症状が出ました。

 

そんな時に夫が「キャリアは中断してもなくならない。経験したことは新しいチャレンジの糧になるよ」と言ってく
れたのです。夫もテレビ局勤務から気象予報士へキャリア変更をした経験があったからこそ、心に沁みた言葉でした。2015年にはコーチングの資格を取得、翌年に大学を辞め、子供と共に東京に移りました。

 

 母のコトバ……
あなたが良いと思ったことが一番良い

 

女性の自立を願い、私が積み上げてきたキャリアを見て応援してきてくれた母から大学を辞めることへの反対があるかと思ったのですが、「あなたが良いと思ったことが一番いいはず」と言ってくれ、大きく見守っていてくれると安心しました。

 

 

一緒に住んでくれている母に今も助けられています。

 

≫≫息子のコトバ「お母ちゃんって面白い!」

家族で話し合いをしよう「彩り家族コミュニティ」

今は東京で風通しの良い一軒家に家族みんなで住んでいます。三男も生まれ、文字通りワチャワチャした暮らし。家族って、母ってこうあるべき、という枠を外したら関係性がさらに良くなると実感した今、夫の専門である気象・防災の観点からも家族の話し合いが大事と一致し、家族に関するコミュニティを立ち上げました。これはデンマークへ留学し、その地の家族のあり方を見た経験や、まちづくりを生活者の視点から研究してきた経験が生きています。登録数は日に日に伸び、とてもあたたかいコミュニティになっています。

 

また、自分の社会的な地位や立場に固執することなく、夫婦でバランスが取り合えれば良いとも考えられるようになりました。収入が減ったり、苦手な家事があったとしても、どちらかが補えればそれでいいのです。そして家族で多くの話し合いをしてずれを修正するのはとても大切。人は皆、変化するからです。

 

 

 息子のコトバ……
お母ちゃんって面白い!

 

 

三男の面倒をよく見てくれてお母さんのヘルプをしてくれる薫くん。

私は自分のことを面白い人間だと思ったことはなかったのですが、長男が私の仕事の表情と家の表情とのギャップがあり過ぎて「お母ちゃんって面白いね」といつも言って笑ってくれます。私のいろいろな面を見てくれていると思うと嬉しくて勇気が出ます。家族はチーム。どれだけ違いを認め合い、協力し合えるか? デンマークで学んだ大切な思想「ヒュッゲ(心地よさ)」を追求していきたいと思っています。

 

斉田さんのHISTORY

1.幼少期の自分は大人や周りの様子を敏感に感じる観察魔でした。2.26歳、母とイギリスに旅行へ。母は初めての海外、楽しい時間を過ごしました。3.デンマーク留学中に知り合ったお母さん的存在の友人とは今でもずっと交流していてデンマーク訪問の際は必ず会います。クリスマスや誕生日のメッセージを送ってくれ、デンマークでの学びを日本の社会に活かせることを願ってくれます。4.2009年に結婚式を長崎の大浦天主堂(国宝)にて。5.熊本でのワンオペ育児時代。余白なく仕事も子育ても精一杯頑張っていた頃で、頼り下手でした。6.長男7歳の七五三で家族写真を撮影。夫はほぼ毎週末、熊本と東京を往復。

 

撮影/吉澤健太 ヘア・メーク/RYO〈ROI〉
取材・文/金沢由紀子
デザイン/大塚將生〈marron’s inc.〉
編集/永吉徳子

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