カツセマサヒコ「それでもモテたいのだ」【ジブリみたいな老人と私】

絵画やイラストは実物を見ると、

絵画やイラストは実物を見ると、その奥行きや緻密な色使いに驚かされることがある。スマホの画面越しや印刷物で見るのとは印象が全く違う。と素人ながらに学んだのはつい最近のことで、十代のうちからもっとこういうアンテナを張っていたらもう少しモテたに違いないと、自分の過去を憂うことがある(モテるとかの指標でアートを見ようとするからダメなんですよとか正論を言うのは刺さりすぎるのでやめてあげてください)。

過去を取り戻すように個展や原画展に足を運ぶことが増えた。その日も、数年前に知った画家が品川で個展を開催しているというので、実物を拝みにギャラリーに向かうところだった。

高輪口に出ると、駅前は工事の真っ只中であり、多くの人が狭くなった道を窮屈そうに歩いていた。その道から右に逸れるようにタクシー乗り場に向かうと、屋根もないところで、途端に雨が降り出した。駅を出たときには雲ひとつない快晴だったはずで、ほんの三分で空が灰色になったことに驚きながら、珍しく持っていた折り畳み傘をひろげる。

タクシーの列は前に八名程度、後ろにも同じ数だけの人が並んでいて、観光客と思われる外国人やスーツ姿のサラリーマンなどがおり、そのほとんどが傘を持っていなかった。自分だけ傘をさしていることに妙な罪悪感を覚え始めていたが、よくよく考えれば初対面の人たちとの連帯より大粒の雨に濡れるほうが確実にしんどいので、空気も読まずに傘はさし続けることにした。

そしてその存在が気になり始めたのは、傘をさして二分も経たない頃だった。私の後ろに並んでいる八十歳くらいの男性が、なんだか私の折り畳み傘に、どうにか入りこもうとしている気がするのだ。老人は私より二十センチほど背が低く、おまけにハットまで深く被っているものだから、どうしても顔まではよく見ることができなかった。だが濡れた体を三分の一ほど私のテリトリーに潜入させているのは事実に違いなく、そのことはどうにも気持ち悪かったが、しかしそれ以上に、ハットからパンツまでベージュで揃えたスーツをすっかり雨で濡らし、重そうな鞄まで持った老人を無視して自分だけ傘の下にいるのは、さらに居心地が悪かった。それで、どのように声をかけるべきかわからず、結局は何も言わないまま、持っている傘をもっと老人側に寄せることにした。

黙ったまま、相合傘をする老人と私。その姿を客観的に想像し、これは何かの構図に似ているな?とふと思った。そこからは、もう自分たちが『となりのトトロ』の登場人物にしか見えなくなり、腰が曲がっている老人を「ずぶ濡れになったトトロ」と考えれば、私は自然と「メイをおんぶしながら傘をさしだすサツキ」になるほかなかった。

少し列が進むたび、まるで結婚式の新婦と父親のように足並みを揃えて、トトロと前に進んだ。雨はいつまで経っても降り止む気配がなく、むしろ強まる一方のように思えた。無事に私がタクシー行列の先頭に来る頃には、トトロも傘に入れてもらっていることに気付いてくれたらしく、順番を先に譲ると「何から何までありがとう」と、軽く帽子を持ち上げてお礼を言った。

老人が、タクシーに乗り込んでゆく。なぜだか別れを寂しく思っていると、ふいに「にゃあ」と鳴き声がした。雨のなか老人が運んでいた鞄は、実はペットを入れるためのキャリーバッグであり、その中にはずっと猫がいたのだ。猫を連れて旅をする紳士的な老人に、黙って傘を共有した私。いよいよジブリすぎる展開だと興奮しながら、私は老人と猫を乗せたタクシーに小さく手を振った。実物はインパクトが違うな。そう確信しながらギャラリーで見た画家の絵は、やはり躍動感があって素晴らしいものに思えた。

この記事を書いたのは…カツセマサヒコ

1986年、東京都生まれ。デビ

1986年、東京都生まれ。デビュー小説『明け方の若者たち』(幻冬舎)が大ヒットを記録し、2021年12月に映画化。二作目となる小説『夜行秘密』(双葉社)も発売中。

イラスト/あおのこ 再構成/Bravoworks.Inc