梅宮アンナさんが、乳がんを公表してすべて隠さずに発信する理由【インタビュー】
自らの乳がんの体験を日々発信している梅宮アンナさん。異変に気づき病院で診断を受けたときには、浸潤性小葉がんのステージ3A。リンパ節への転移もありました。乳がんは、誰にとっても他人ごとではありません。これまでの経緯と、今、そして今後について、お話を伺いました。
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がんと生きる今の私だから、伝えられること
Anna Umemiya
JJ、CLASSY.、VERYのカバーモデルを務め、TV、CM、洋服のプロデュースなどで幅広く活躍。父は俳優の故梅宮辰夫さん。母は元モデルでアメリカ人の梅宮クラウディアさん。’02年に女児を出産。インスタグラム https://www.instagram.com/annaumemiya
乳がんを公表して全部隠さず発信する理由
’24年8月、梅宮アンナさんは、自らの乳がんを公表。以来、SNSを含め、さまざまなメディアで、リアルタイムで発信し続けています。
「治療や暮らしぶり、食事などを主にインスタで発信しています。同じ病気でも、症状も治療法も感じ方もひとりひとりまったく違うので、私の経験はほんの一例にすぎません。でも、伝えることで自分も成長するし、声をあげることで、辛い思いをしている人の状況が改善するかもしれない。例えば、私のインスタが同じ病気の方やそのご家族と一緒に学ぶ場になったり、希望になったりすればいいなと思って続けています。また、健康な方にも、梅宮アンナが罹ったような見つかりにくいがんがあるんだ、ということを知識として持ってもらえるだけでも、万が一の場合にもパニックにならず、治療につなげられるのではって思うんです」。
右胸の異変には自分で気づきました
’23年7月に人間ドックを受けたときは異常はなかったと言います。「’24年5月下旬、シャワーを浴びているときに、右の胸が極端に小さくなっていることに気づいたんです」。娘さんに写真を送ると、「これは病院だよ」と言われ、すぐにマンモやエコー検査を受けました。その後、国立のがん専門病院で、腫瘍マーカーや細胞診などの詳細な検査を受けた結果、『浸潤性小葉がん』のステージ3Aと診断されました。7月5日のことです。
「がんと宣告されたときのことは、ショックで覚えていない、とよく聞きますよね。でも私は、『ああ、そうなんですか』という感じで、普通に車を運転して帰りました。父が30代で肺がんを患い、その後の人生をがんとともに生きてきた姿を見てきたし、また、親戚にもがんに罹った人がいたので、自分もいつかなるかもと思っていたんですね。だから、なんで私が……とは思わなかった。やっぱりきちゃったか、と。変な言い方ですが、新しい体験をするのが好きなので、これもそのひとつだって思ったのもあります。それより、治った後やりたいことがいっぱいあるんだから、落ち込んでる暇はないぞって。一刻も早く治そうと、そっちに気持ちがいきました」。
あまたの情報に惑わされず、自ら標準治療を選択
「保険で受けられる治療で、私の場合は、抗がん剤8クール(2週間ごとに1回投与)後に手術を受け、放射線やホルモン療法を行う『フルコース』だと説明を受けました」。ただ、抗がん剤については、恐ろしいというイメージを持っていたと言います。「髪の毛が抜けるというのがとても怖かったんです。それで、先生に『まれに抜けない人もいますか?』と尋ねたら、きっぱり『いや、抜けます』とおっしゃって。『抗がん剤を受けなかったら私死んじゃいますか?』と聞くと、『梅宮さん、それは神様しかわからないですよ』と。ちょっと怖くて厳しい先生ですが、きっぱりした態度にも言葉の選び方にも信頼がおけて、この先生に治療してもらおう、標準治療を受けようと決めました」。
その際、医師から言われたのは、「ネットに頼らず、わからないことは必ず医師に聞いてほしい」ということ。「ネットで調べると、がんの最先端医療や民間療法などの情報が溢れているんです。それに、ぜひ免疫療法をやったほうがいいとか、砂糖抜きをしないと、などと言ってくれる方もたくさんいました。でも、色々試すとどの治療が効いているのか、わからなくなってしまうでしょう? それに自由診療は高額なものが多い。私は多くの医師が推奨する標準治療をすると決めました。どの人にどんな治療が合うのかはわからない。だから、私のやり方を他の人に勧めたりはしません。結局、自分で決めて選ぶしかないんです」。
抗がん剤投与の開始後、乳がんを公表
第1回の抗がん剤投与は7月31日。「当時の担当マネージャーは、『仕事を失うかもしれないから、病気については伏せるべき』という考えでした。でも、私は、病気になる前からSNSで日常を発信をしてきたので、隠すとか噓をつくのは嫌だったんです。それに、今後自分の体調がどうなるかもわからなかった。そこで、投与の当日にこれまで支えてくれたことに感謝しつつも解散させてもらいました。それ以降は、幼いころからの友人で、ずっと親身に寄り添ってくれてきた〝マコちゃん〟が代理人として公私ともに力を貸してくれるようになりました」。
公表は8月13日の朝。「情報が切り取られて広まることがないようにと思い、以前から連載をさせていただいているWEBメディアの編集長さんに事前にインタビューをしてもらって、その記事を公開する形にしました」。すると、発表するやいなや、さまざまな反応が返ってきました。「応援のメッセージもあれば、同じがん患者さんから『力をもらいました』、『一緒にがんばりましょう』といったコメント、また、そのご家族からも『アンナさんの言葉を聞き、どんな気持ちなのかがわかりました』といった声が寄せられました」。
中には、心ないものや、治療法を押し付けるようなコメントもありましたが、誰かの役に立てているということが励みになり、日々発信を続けていきました。ヤフーニュースにも取り上げられたので、連絡をくれた友人もいたし、逆に離れていった人もいたと言います。「これを飲むといい、とかこれががんに効くといったサプリメント類を、どっさり送っていただきました。でも、医師からサプリ類はとらないよう指導されていたので、お気持ちだけ感謝していただきました」。
危惧していた脱毛が始まったのは、1回目の抗がん剤を受けてから1週間後のこと。「シャンプーしていたら、髪がごそっと抜けたんです。ものすごい量でからんでドレッドみたいな塊になってしまい、どうにもならず、母にハサミで切ってもらいました。これが辛いから、抜け始める前に短くカットする人が多いのだとこのときわかりました。経験しないとわからないことなので、これもSNSにアップしました」。
抗がん剤は、静脈から点滴すると痛みがあり、血管に負担がかかります。そこで、2回目の抗がん剤の前に、医師の勧めで右胸に薬剤を注入するための『ポート』を皮下に埋め込む手術を受けました。「最新の設備が整ったきれいな手術室で、最高の技術を持つすばらしい先生やスタッフに処置をしてもらえました。しかも、保険診療でこんな治療が受けられる。日本はなんてすばらしい国なんだろうって心底思ったし、感謝でいっぱいでしたね」。
2回目の抗がん剤の日は、投与後に、テレビの仕事が入っていました。「今は、いい吐き止めの薬があって、昔のように辛くはないんです。おかげで、生放送にも無事出演できました」。
手術を半月後に控えて望んだ本誌の撮影
今回の撮影は、肺炎が治ったあと、手術までの間に設定しました。「私も作り手として参加して、モデルらしい誌面を一緒に作り上げたい」との希望で、アンナさんが昔から信頼しているフォトグラファーの下村一喜さん、ヘア・メークの黒田啓蔵さんにお願いをしました。「がんを公表したとき、『どこに入院しているの?』とよく聞かれました。でも、抗がん剤治療は通院で行っていたので、入院していなかったんです。同じように多くの患者さんたちが、がんだからといって、休んでいるわけではなくて、治療しながら普通に働いています。がんでも、ちゃんとプロフェッショナルな仕事ができるということを世の中の方に知ってほしかった。むしろ、働いていたほうが元気になる場合もあるんです。だから、周囲の方たちには、配慮はしても、普通に接してもらえたらな、と思います。
もうひとつは、がん患者さんに向けて、脱毛しても、おしゃれはできるし、きれいでいたい気持ちは諦めなくていいと伝えたかった。今回使用したウィッグは人毛なので、カラーもアレンジもできるんです。私はいつも明るい髪色なので、自由にカラーができるのは本当にありがたいんですよね。価格は8万円くらい。治療費もかかるので、安いほうがいい。でも、私の場合は仕事上も必要だし、手術後も抗がん剤治療をするとなると、2~3年は使うので、これを購入しました。こういう方法があるということも伝えたかったんです。ヘアドネーションしてくださる方には本当に感謝していますね。まつ毛はつけまつ毛をしていますし、爪の黒ずみはブラックのネイルでカバーしているんです」。
アンナさんが乳房の切除手術よりも嫌だったのは、実は脱毛だったのだそう。「とっても怖かった。でも、慣れたら髪がないのはかなり楽です。今まで気づかなかったけれど、頭皮ってすごく汗をかくんですよ。だから、頭皮シャンプーは必要。でも、ブローはいらないので楽ちんです。今は抗がん剤を休止しているので、ちょっと生えてきてダチョウみたいなの(笑)。あと、体中の毛が抜けて、鼻毛までなくなってしまうんです。すると、鼻水が自然に出ちゃったりする。そんなとき、変に気を遣われるより、普通に『ほら、鼻水出てるよー』なんてつっこんでもらえると、逆に和むんですよね」
撮影を無事終えて、お弁当をパクパク食べながら、笑って話してくれたアンナさん。「今はダイエットしている場合ではなくて、体力をつけるためにしっかり食べています。以前は野菜や果物が苦手だったけれど、今は、体が自然に欲するので食べられるようになりました。作ってくれた方への感謝の気持ちも湧くようになった。がんになってから、『ありがとう』の5文字が心に出てくるんです。でも、これって私だけじゃなく、がん患者あるあるみたいですよ」。
そうして、この撮影から13日後、アンナさんは手術を受け、右乳房を全摘しました。
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