虐待が連鎖する前に「私はお母さんだから」をやめてみたら【行き渋り・不登校】
夏休み明けに急増すると言われている不登校。子どもが学校に行かなくなると、仕事や他の兄弟の予定など…いつものルーティーンが途端に回らなくなり、親自身が疲弊してしまうことも多いです。そんな状況をどう打開したか。今回は、長女が不登校になった3人ママの体験談です。
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我が家の不登校体験談
T.Nさん・薬剤師・35歳/子ども小4、小1、年中
「授業が簡単すぎてつまらない」
「学校が楽しくない…」
─お子さんの様子に気づいたのはいつごろのことですか?
当時のことを手帳に全部書いていたので見返してみると、病院に行ったのは長女が1年生の7月くらいですね。学校から帰宅するとランドセルや筆箱の中身がなぜかからっぽということがありました。「何で?」と聞いても「わからない」と。宿題ができないという理由で30分、1時間ひきつけを起こしたように泣き続けるようなこともありました。1人目の子だったので、小1ってこんなものなのかな?と思ってはみたもののほかのママ友に訊いてみると、どうやら違うようなんです。そこで、病院へ行きました。娘の様子を見てちょっと落ち着きはないからADHDの傾向はあるかもしれないと言われたもののはっきり診断が出たわけではありません。また高IQであることも指摘されました。
学校では心理カウンセラーの先生に相談してみたところ、娘は授業中も積極的に発言したり1年生としては高度なことを言うそうなんです。ただ、その内容が正解であっても小1で求められる内容とはズレている。理解力や読解力が周囲の子よりずば抜けて高いぶん、学年が上がるにつれて周囲の子と一緒に学ぶのが難しい面があるかもしれないです、と言われました。幼稚園くらいからすでに掛け算などの計算も理解してしまうような、頭の良い子ではありました。「あんなの頭の中で考えたらすぐわかるのになんでこんな一から計算しなくちゃいけないの」「授業の内容が簡単すぎてつまらない」と教室で教わることはあまり響かず、学校が楽しくないようでした。学校には行けたり行けなかったりになり、給食だけ食べて帰ってくることが増え、そのうち通えなくなりました。
不登校になった娘に、下の子の世話…
母親自身の疲労が限界に
─学校に行けなくなってからはどこで過ごしていましたか?
ボランティアスタッフが運営している不登校児のための居場所を見つけそこに通いました。あわせて自治体の適応指導教室にも通っています。個人塾にも行きはじめました。この塾の先生は勉強以外に編み物など娘の好きなことも教えてくれます。興味のあること以外見向きもしない代わりに好きなことにはすさまじい集中力を見せる娘に対して「素晴らしい!」と褒めて伸ばしてくれるような先生で、こういう人が娘のそばにいるのも重要だろうと考えました。
学校以外の居場所には早々にたどりついたものの大変だったのは、適応指導教室などは3年生まで親の送迎が必須だということです。子どもを送ってからの出勤では間に合わず、下の子どもたちの育児もある。悩んだ末、私は休職しました。仕事は続けたかったので相当悩んだ末の選択でした。当時のことも手帳に書いていますが、午前・午後と別の居場所に行ったり、給食の時間だけ学校に行ったりする娘を送っていき、下の子どもたちはきょうだい別園になってしまったのでそれぞれの保育園への送迎もある。朝は夫が一部の送迎は担当していたものの、一日中子どもの送迎ばかりで時間が過ぎてゆく地獄のような日々でしたね。送迎だけではなく娘の病院やカウンセリングに付き添ったり、下の子の保護者会などの行事もあります。子どもの用事でスケジュールがパンパンになり疲労困憊して私自身も参ってしまいました。
親から虐待を受けていたため
娘に手をあげてしまうことも…
─それだけ多忙でストレスフルだと精神的・肉体的に参ってしまいますよね……。
それから、自分自身のカウンセリングやペアレントトレーニング※を受けました。私は昔、親から虐待を受けていたんです。娘に対してもカッとして思わず手をあげてしまったことがあります。そんな自分に嫌悪感があって、娘がこうなったのは自分のせいなんじゃないか、虐待が連鎖してしまうのではないかと思ってしまう。子どもが泣き叫んだり言うことを聞かないときのお手本が自分の親しかいなかったので、どうしていいかわからずパニックになって手が出たり怒鳴り散らしたりしてしまう。そんな今の自分について見つめ直すには、親との関係も一度見直す必要がありました。親との関係が自分にどんな影響を与えていたか客観的に見て、はじめて娘とちゃんと向き合うことができたと思います。
それでも子どものことでいっぱいいっぱいの毎日でした。本来の「自分」を捨てて「私はお母さんだから」と、必死に娘と接してきたけれど限界でした。まず、四六時中べったり一緒にいるのはやめました。「私、この時間はいったんあなたのお母さんをやめる。そうしないとあなたに優しくできなくなりそうだから」そう伝えて、ちゃんと一対一の人間として対等に付き合おうと思いました。娘の勉強に関しては全面的に夫にお願いしました。私と娘の距離が近すぎるとどうしてもけんかになってしまうので。当時小2の娘にとっては酷なことだろうか、とも悩みましたが私が母親なんだから何でもやらなきゃと立ち向かうのではなく、いったん引いて、できる人にまかせて娘とちょうど良い距離感を保つようにしたのです。
※行動心理学の観点から、親が子どもとの関わり方を学ぶトレーニング
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取材・文/髙田翔子
*掲載中の情報は、過去記事を再編集したものです。