カツセマサヒコ「それでもモテたいのだ」【締まりがないし、色気もない】【最終回】

家で仕事をするぶんには、そこま

家で仕事をするぶんには、そこまでおしゃれに気を配る必要がないんだよな。そう思ってしまった日から、日に日に締まりのない服ばかり着るようになった(ファッション誌の連載でそういうこと書いちゃダメなんだって)。締まりのない服で仕事をすると、締まりのない仕事しかできない。朝から夕方まで寝巻きのまま原稿を書いている日もあって、実はこの原稿も、上下激安のスウェット姿で書かれています。締まりのない連載でも許してくれる読者の皆さんに甘えながら、ここまで続けてこられました。

そんな感謝の気持ちを抱いた矢先、今月号で当連載も最終回を迎えます、長い間ありがとうございました、と編集さんから連絡をもらった。これ、最終回なんですか?もう少し先かと思ってた。調べてみると、確かに「三年間でひと区切り」みたいな約束をしていたようで、そのことをすっかり忘れていたこちらが悪い(そして編集さんは二カ月くらい前にもきちんと教えてくれていました。さらにこちらが悪い)。

締まりのない洋服が、そのまま連載の締め方までユルユルにさせてしまった気がする。全三十五回だそうです。たくさん書いたけれど、結局モテた気はしません。 そもそも、モテってなんなのだろうか?自分で付けた連載タイトルを見返すたびに、考える日々であった。ありのままで好かれたら苦労はしないし、とはいえ媚びて生きるのもなかなかしんどい。そもそも「モテ」と他者評価に委ねた発想なのだから振回されて疲れるのも当然であって云々かんぬん。

うるせー。そんなネットに転がっていそうなお行儀の良い話じゃなくて、もっと手触りが良くて、納得感が大きな「モテ」を探して、書き始めたはずだった。 「モテ」を考えるとき、そこには「モテない」が存在していて、「モテない」を書けば「モテ」が見えてくるんじゃないかと思いながら筆を取っていた。

それにしたってエッセイは苦手なままだった。結局、苦手意識は克服できないまま、最終回を迎えてしまった。エッセイっていうのは「モテ」がそのまま出るんだな、と思う。「ほら、ここが面白いですよ!笑いどころですよ!」とアピールするよう に書くほど、つまらなくなる。改行なんかを巧みに使って、笑いや感動を露骨に際立たせようとするほど、滑っているように見える。モテたいと思うほど、モテない文章が出来上がる。

逆に、モテる文章とは。人に見られている、という意識はしながらも、文中に散りばめた面白みや悲しみは、お客さん自身に掴まえてもらう。無理にアピールせず、引き算が上手で、多くを語りすぎずにいる。そういう文章には、独特の「色 気」が漂う。その「色気」こそ、自分の求める「モテ」の正体なのだな、と最近わかってきた気がする。

人も、同じ。自分の良さを知っていながら、それをアピールしすぎないこと、多くを語りすぎないこと。そういう人には色気があって、つまり、私の考える「モテ」があって、美しい。SNS全盛のこの時代に、美味しいご飯を食べてもネットにあげたりしない。売り切れ続出で大人気の服やコスメを買えてもSNSに投稿したりしない。友達の多さを自慢したり、有名人と知り合いの自分をアピールしたりし ない。そういう所作が「色気」になって「モテ」を生んでいる。「モテ」がある 人は人間関係に必死にならないし、モテたい!なんて叫ばない。

だからわかりきっていたことだけど、締まりがないし、色気もない、そんなエッセイを書いても、やっぱりモテない。それがわかっただけでも、この連載を書かせてもらったことにはすごく意味があった気がする。締まりがないし、色気もない、だけど、諦めない。そんな文章をまた、書きたいです。華やかな雑誌の片隅に綴られた小さな連載を読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました!

この記事を書いたのは…カツセマサヒコ

1986年、東京都生まれ。デビ

1986年、東京都生まれ。デビュー小説『明け方の若者たち』(幻冬舎)が大ヒットを記録し、2021年12月に映画化。二作目となる小説『夜行秘密』(双葉社)も発売中。

イラスト/あおのこ 再構成/Bravoworks.Inc