小島慶子さんが考える、大人になってからの「友だちとの付き合い方」とは
エッセイスト、メディアパーソナリティの小島慶子さんによる揺らぐ40代たちへ「腹声(はらごえ)」出して送るエール。今回は「大人になってからの友達」について。
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小島慶子さん

1972年生まれ。エッセイスト、メディアパーソナリティ。2014〜23年は息子2人と夫はオーストラリア居住、自身は日本で働く日豪往復生活を送る。息子たちが海外の大学に進学し、一昨年から10年ぶりの日本定住生活に。
『怖がらずに、割り切った関係を!』
1年生になってから数十年。ともだち100人できたかな? SNSの数字じゃなくてね。仕事や子育てを通じて、いい友人との出会いもあったでしょう。一方で、学生時代の仲間とは会う機会が減ってしまうことも。
友だちは100人もいなくていいし、友情は長続きするものだけが本物というわけではありません。お互いに環境が変われば、自然と疎遠になってしまうもの。苦い幕切れになってしまった関係もあるかもしれないけど、それだってそれぞれに一生懸命生きた結果です。いつかまた会えたら、人生を語り合うこともあるかもしれません。
友だちって何? なんて10代の頃にはよく悩みました。でもむしろ大人の方が、友だちの定義が難しいのです。職場の同僚、ご近所さん、保護者会で出会う人々。どれも親しくなれば「ともだち」なんだけど、立場を考慮したお付き合いが必要です。昔ながらの仲良しさんとの間にも、少しずつ越えちゃいけない線が増えます。肩書きや世帯収入や住所や子どもの学校や、いろんなことに配慮しながら安全エリアで会話を楽しむのがミドル世代の友情です。
学生時代の無防備に話せる友だちが懐かしいけど、それはまだ何者でもない若者だったからこそ可能だったこと。大人の人付き合いに疲れて、もしかして私には本当の友だちなんていないの!? とため息をつく夜もあるでしょう。
「自立とは依存先を増やすこと」という名言があります。大人の友情のキモはまさにこれではないかという気がします。みんないろんな事情があって、余裕のない時もあります。だから複数の人と無理せず、ちょっとずつ愉快な時間を持てばいい。このお芝居を見に行くならあの人、あそこに旅をするならあの人、この悩みを話すならあの人、でも忙しそうなら別の人、てな具合に。で、多くを期待しない。
私の「ともだち」フォルダはかなり大箱で、初めて会った人でも入れちゃいます。関わりすぎず、去る者は追わず。連絡先を知らない人も入っています。誰かと話して「ああ、この世はいいところだな、人間とは味わい深いものだ」と感じたら、その人は私にとって友だちなのです。
豪州パースと日本を年に何回も往復していた10年間にも、そんな出会いがありました。夜、空港に行く際にタクシーを呼ぶと、近所に住むドライバーさんが配車されるのか、たまに同じ人がやってきます。息子たちを見て「また背が伸びたねえ。うちの子は大学に入ったよ」なんてバリバリに割れたスマホの画面を見せてくれるのです。道すがら互いの家族の話をしては、移民同士、子どもの成長の喜びを分かち合いました。彼は子煩悩で、最初に乗せてくれた時には「息子にせがまれて最近ヤギを飼ったんだよ」なんて嬉しそうに話していました。次に会った時に「やあ、覚えてる? ヤギの僕だよ」と言うので「覚えてるよ、ヤギは元気?」と答えたら「鳴き声がものすごくうるさいからすぐに牧場に返したよ。今はひよこを飼っている」と。「いや、それもすぐうるさくなるよ! ニワトリだし」と心配して2年ほど経過。次に再会した時には「やあヤギの僕だけど、やっぱりペットはよそのうちのを可愛がるのが一番だねえ。息子たちは週末に僕の兄が飼ってる犬を散歩させるのが気に入ってるよ」と言うので「それに気づくのに何年もかかったね」とお腹を抱えて笑ったのでした。
降りる時に彼は「僕たち、なんだか古い友だちみたいだね! じゃあ気をつけて」と言って手を振りました。その意外な一言が、しみじみ嬉しかったのです。その直後、新型コロナウイルスのパンデミックが発生。私は2年以上もオーストラリアに戻ることができなくなり、ヤギの彼ともそれきり会っていません。でも、彼は私に友だちが何であるかを教えてくれた恩人です。名前も知らない、ただ偶然配車されるだけの間柄のヤギの彼は、私の「ともだち」フォルダの永久リストに入っています。かつて入院中に隣のベッドにいた彼女も、産休中に通りすがりに声をかけてくれたあの人も、それきりだけど私にとっては大事な友だち。2度と会うことのない、忘れられない人たちです。
あなたにもきっと、そんなかけがえのない、名もなき友がいるはずです。孤独な時に束の間そばにいてくれた人が。そしてあなたもまた、誰かにとっての名もなき友かもしれないのです。そう思うと、世界はともだちに満ちている。この世は捨てたものではありません。新年度も、どうかいい出会いがありますように!
文/小島慶子 撮影/河内 彩 ※情報は2025年6月号掲載時のものです。
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