「普通の主婦が人気モデルになるまで」稲沢朋子さん×クリス-ウェブ 佳子さん対談【イナトモWEB Vol.23】
普通の主婦だった私が一変!
いくつになってもチャンスが
あるから人生って面白い
日常のある日、編集スタッフに声をかけられたことがきっかけで、雑誌VERY、STORYの読者モデルから専属モデルになった共通の経緯があるお2人。モデルとしてのキャリアがない分、苦労したり葛藤もそれぞれ。お互い気持ちがわかるから、モデル初心者当時の裏話から、今に至るまでの奥深い本音トークはエンドレス!
28歳の頃、西郷山公園で子どもと遊んでいた時に、VERY編集部スタッフに声をかえられたことがきっかけで読者モデルからその後、VERY専属モデルに。海外経験を活かしたプレス、バイヤーなどのグローバルな職業経験や幅広い独自のセンスが話題となり、ラジオパーソナリティをはじめ、イベントプロデュースなどモデル業に留まらず幅広い分野で活躍。今年40歳を機に雑誌VERYを卒業し、VERY NAVYをはじめ、ますます躍進中。
VERYの初登場は28歳の時の家族スナップ。
全くVERYっぽくなくて、よく出してくれたと思う
(クリス-ウエブ 佳子さん)
稲沢朋子(以下敬称略)CLASSY.の共演企画以降2回ほど一緒に撮影したね。お互い読者モデル出身という点が共通項。今日の対談は楽しみにしていたから嬉しい!まずは佳子ちゃんがモデルになるまでの経緯を教えて欲しいな。
クリスウェブ佳子(以下敬称略)子育て中、28歳の時に家族で西郷山公園で遊んでいた時にVERYの編集長に声をかけられたことがきっかけ。当時、元夫が外資系ブランドのPRを担当していたので、編集長と面識があったこともあって声をかけられたんだと思うの。だって、その日はうどんみたいな太い靴ひものスニーカーにドットのレギンスをはいていたので、全くVERYっぽくないスタイル(笑)。その日の家族スナップがVERY初登場。イナトモさんは?
稲沢 私は37歳の時、白金で友人とご飯していた時“今度STORYに出てもらえませんか?”とライターさんに声をかけられて軽い気持ちで連絡先の交換をしたことがきっかけ。きっと色々な人に声をかけているだろうから、ご縁があったら程度のことだと思っていたの。ところが数日後に連絡をいただいて、初めて撮影して誌面に。読者モデルさん4人と対談したりスナップを撮ったりする企画だったことは今でも覚えてる。
佳子 読者モデルだった当時はお互い私服よね。当時の私の服はモードな服ばかりだったから、予め撮影前に考えている私服コーデの写真を送る度“もう少しVERYっぽくしてください“ってよく言われたなー。
稲沢 私服スナップって大変だったよね。事前にコーデを組んだ写真を送って、ダメ出しされたり調整したり。私はスーツケースをガラガラと引っ張って撮影に向かっていた自分を思い出すな(笑)。
佳子 私はVERYと関わらせてもらったことで、今まで縁のなかったコンサバファッションを学ばせてもらったと思ってる。読者モデルになってから2年後の30歳でVERY専属モデルとなり、40歳になるまでのジャスト10年を経て、今年卒業!長いようであっという間だった。
稲沢 私は初登場から2年後の40歳でSTORYの専属モデル。その後42歳でカバーモデルに抜擢していただいて、40冊カバーを担当して卒業しました。お互いいい年齢で突然モデルになったよね。当時の葛藤やエピソードがあったら聞きたい!
佳子 2人の娘の妊娠、出産で仕事から離れていたけど、もともとはアパレルのPRやバイヤーをしていたので、子育ても落ち着いて、そろそろ就活をしようと思っていた矢先に専属モデルのお話を頂いて晴天の霹靂!今までファッションの裏方の仕事をしていた自分が、前に出る立場になるなんて、とんでもない!と思ってお断りするつもりでいたの。でも当時の夫が“相手が求めている役を演じればいいんだよ。モデルという形を通して好きなブランドを表に出ながらPRできる最高のチャンスだよ!”という言葉でモデルになる気持ちが固まったことがきっかけ。イナトモは?
稲沢 私は実家の会社で仕事をしながら読者モデルを続けていた時、読者モデルながらUGGのファッションページのオファーをいただいたの。当時は自分だけで4ページもある企画で驚いたけれど、それ以降から私服ではない、ファッションページ企画のオファーが増えてきたので、マネージメント事務所に所属。それまでは自分で仕事の依頼を受けて自分でスケジュール管理して、メールの返信してたくらい(笑)。
佳子 私は専属モデルになる時に、編集部から今の事務所の社長を紹介していただきモデル業スタート。最初の頃は自分らしさが出せなくて葛藤した時期もあったから、私服だったら絶対に着ない服で撮影すると“服の好き嫌いが顔に出てる!”とマネージャーから注意されたことも。ずっと裏方の役割でいたので最初は笑い方がわからなかったし、普通の会社みたいに教えてくれる先輩がいるわけでもない中で、何も知らない私に撮影の度にスタッフが親切に教えてくれたことには、本当に感謝。ましてやイナトモはカバーモデル!色々なプレッシャーもあったんだろうなってずっと思っていたけど、色々あった?
カバーモデルになって3ヶ月目にさしかかった頃、
素人出身の私がSTORYという看板を背負う重圧に
絶えられなくってメイク後に涙があふれたことも
(稲沢朋子さん)
自分らしさを出せた連載や、違ったフィールドと
巡り会えるチャンスを与えてくれたVERYへの感謝はひとしお
(クリス-ウェブ 佳子さん)
稲沢 ある日“表紙のテスト撮影をしたい”と言われ、いつもの撮影と同じ感覚でスタジオに行ったら、当時カバーモデルだった富岡佳子さんが表紙撮影で着用した服が用意されていたの。現場の雰囲気もいつもよりピリっとしていたけれど、表紙のテスト撮影って、“私だけではなく、他のモデルさんもみんながやっていることなんだろう”くらいに気楽に考えていて、“凄くいい経験できました!”と撮影は終了。ところが後日、当時の編集長に呼ばれて“僕の編集生命を懸けますから、一緒にSTORYで闘ってくれませんか?”と、想像もしていなかった告白をされて、“編集長!正気?!”と思わず驚きの第一声。“一緒に闘ってくれる意思を確認したい”と編集長の真剣かつ熱い言葉を受け止めて、カバーモデルとして闘う決意をしたの。でも、ベテランのモデルさんが沢山いる中、本当に私でいいのだろうか?、帰宅の電車に揺られながら、半信半疑で震えていた緊張感を今でも覚えてる。
佳子 きっとそうだよね。でもね、私、くったくのない笑顔と自分の力で幸せを勝ち取ったイナトモさんがモデルの中でも本当に1番大好き!世の30、40代世代の女性に“私も頑張れば!”って希望を与えてくれた人だと思うの。
稲沢 カバーモデルになって2号ほど経過した頃、素人出身の私がSTORYという看板を背負う重圧に絶えられなくってメイク後に(不安が募って)涙があふれてきたことも。その時のスタッフが私の言葉に一緒に泣いてくれて“一緒に頑張ろうね!”と言ってくれたことがどんなに支えになったことか。お互いに葛藤を乗り越えて、9年前には想像もしていなかった世界にいられている今、それぞれの編集部に感謝するところは沢山あるよね。
佳子 私の場合、誌面で表現しきれていない自分を、ブログを通して発信していたことで、ファッション以外のフィールドを連載として誌面で取り上げてもらったり、他媒体から声をかけてもらえたことで自分らしさを発信できるチャンスに巡り会えたことも含めて、VERYへの感謝はひとしお。ポージングもわからない、苦虫をつぶしたような顔の私をよく使い続けてくれたことには本当に感謝しているの。お世話になったVERYには何かの形で絶対に恩返ししたいと思ってる。
稲沢 わかる!感謝しかない!いつか恩返ししたい気持ちで外に出た私にとって、今、web連載としてSTORYに戻れたことが本当に嬉しいの!そして、佳子ちゃんと対談できる機会が設けてもらえたことも嬉しい!共通点がありすぎて、まだまだ話は尽きない感じ!また話そうね!
白金で友人とディナー中に声をかけられたことがきっかけ。
連絡先は交換したけど、連絡はないだろうなと思ってた
(稲沢朋子さん)