よく友人に言われるんです「男の人を選ぶのが上手ね」って
40代の離婚は決して珍しいことではなくなりました。しかし再婚となると、なかなか踏み切るハードルが高めなのが現実。出会いはどこで? 出会ったとしてもどうやって距離を縮める?いつから結婚を意識する……等々。今月はそれらをナチュラルにやり遂げた方にお話を伺いました。私たちはそんなに力まなくてもいいのかもしれません。
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幸せな出会い・幸せな再婚
◯ 話してくれたのは...友ちかさん(仮名)
香川県生まれ。アパレル関係の会社に長く勤務し、今は犬関連の企業に勤務。初婚は28歳で9年続き、39歳で再婚。趣味は犬の散歩、料理、家事全般。友近さん似の親しみやすい美人。
夫 大阪府生まれ。大学卒業後都銀に入行。今は営業を担当。穏やかで真面目な性格。趣味はゴルフ。毎週末ゴルフに行くことが楽しみの一つだとか。
今日は夫の誕生日。友人夫婦と一緒にレストランでお祝いする予定。39歳で再婚して10年、毎日毎日ずっと穏やかな日々を過ごしてきました。
1度目は国際結婚。元夫は1歳年下のナイジェリア人でした。26歳のとき女友達と遊びに行ったクラブで出会い、もともと筋肉フェチだった私は彼の黒い肌とキレイな筋肉に惹かれ、それが会話をするきっかけになりました。まだ日本に来て1年程度だったので常にミニ辞書を抱え、ほとんど日本語もわからない状態。言葉は通じないけれど、とても穏やかで優しい人だと感じ、元夫も友人と2人でいたので、数日後に4人で会うことになり、次第にお付き合いが始まりました。
ナイジェリアでは裕福な家庭に育った元夫は真面目を絵にかいたような人柄で、本当に優しい人。この人と一緒なら人生を共にしたいと心から思い、28歳で結婚。両親もその人柄に触れ、反対しませんでした。当時私はアパレル会社に勤務、元夫は英会話講師に加え、有名人のボディガードのアルバイトもやっていました。
彼にはナイジェリアに夫婦で住む家を建てる夢があり、自分の収入の1/3を貯金。そのためしばらく子供は持たないことにして、2人で一生懸命働きました。結婚から何年たっても彼は信頼できる人柄で、幸せに日々を送っていましたが、真剣な話や悩みになると言葉の問題でお互い完璧に理解ができず、徐々にそれがストレスになっていました。
追い打ちをかけるように、結婚8年目に私の父が大腸がんになり、多額の治療費が必要になったのです。当たり前ですが両親をとても大切に思っていたので、あえて私が治療費を援助したとき、夫は自分が貯金をしていることもあって、お金を出すことに対して理解してくれなかったんです。日本は保険も医療も充実しているのに、なぜ援助する必要があるのかと言われ、自分自身の気持ちの部分を説明しようとしてもなかなか通じずに、徐々に2人の間に溝ができ始めました。
伝えたいことを伝えられないもどかしさは消化不良を起こすんです。言葉の壁を乗り越えるという解決策がないまま、時は過ぎましたが、夫は目標の1千万円を9年近くで貯め、何度か行き来してナイジェリアに家を建てたのです。私は嬉しい反面とても複雑でした。ナイジェリアに行ってしまえば、もし父に何かあったときも帰国するのに1日かかってしまう。覚悟はしていたつもりでしたが、本当にこれでよいのかと思い詰め、気持ちがどんどん夫から遠ざかっていきました。
もうここに自分の幸せはないなと決意し、私から離婚を切り出しましたが夫は大反対。何カ月もかけて話し合い、37歳で離婚。でも区役所に離婚届を出しに行ったときも3時間くらい出したり引っこめたりを夫が繰り返し、切ない気持ちにはなったものの私の気持ちに迷いはなく、振り切るように離婚届を出しました。
でも私は淋しがり屋で1人でずっと暮らすことは耐えられない性格だとわかっていたのでチャンスがあれば再婚の希望は持ち続けていました。離婚から数カ月後、知人と食事に行くことになりそこへ連れて来たのが知人の後輩で今の夫。当時夫は35歳で結婚していたので再婚相手としての意識はまるでなかったのですが、思いのほか考え方や価値観が合い、話が弾んだんです。
離婚の原因の一つとして自分の親をもっと大切にしてほしい思いがあったように、そもそも私は今自分があるのは親のお陰で感謝をしなければいけないという気持ちが強いほう。今の夫も全く同じ考えでした。そのとき彼は妻のところに養子に行きマスオさん状態でした。奥さんが彼の親をないがしろにすることに不満を抱き、夫婦関係がうまくいってないようでした。
でもその後は会うこともなく、彼の存在を忘れかけていた半年後、突然むこうから「離婚した」という電話がかかってきたのです。最初は慰めるつもりで会って、お互い悩み相談をして励まし合っていたのですが、徐々に惹かれるようになり、自然に付き合うように。彼は前の夫さながら、穏やかで優しい真面目な人でした。何よりも意気投合したのは、結婚は自分たちだけのことではなく、お互いの親を同じように一緒に見守っていくことだと感じていることでした。
私はこの人と結婚したいと思うようになっていました。それで生活の優先順位を常に夫を1番に持ってきました。人生がかかっているので夫から誘いがあった日に友人と約束していてもキャンセルして夫を優先、私たちは休みの日が違っていて私が休みの日に食事に行くときは、夫の行きやすい場所を考えて、負担のないようにしたりとか。会うときは必ず手土産も持って行きました。翌朝食べられるパンとか飲み物とかほんのちょっとしたものです。そうすると夫のほうもプレゼントを持ってきてくれるようになり、それが習慣化していきました。
それは今も会社帰りにケーキなどを買ってきてくれる習慣となって繫がっています。小さなことですが、何か選ぶときって相手のことを思ってよく考えるので、より近くなっていくんですよね。やがて夫からプロポーズ。離婚から2年後の39歳のときでした。自分たちはもちろん、お互いの両親もハッピーであるように2人で見ていこうと約束しました。
結婚式はニューカレドニアで挙げて、犬も飼い始め、2カ月後に小さな一軒家を購入しました。結婚しても夫の穏やかな優しさは変わりません。私は仕事を続けていたので、家事も分担してくれます。
よく友人に言われるんです。「男の人を選ぶのが上手ね」って。確かに夫には2人とも恵まれましたが、それ以外の人間関係も常に円満なんですよね。喧嘩もしたことないし、常に平和。私がどんな時も忘れないのは、相手に対しての感謝。やってもらったら必ず「ありがとう」は忘れません。特に結婚生活はやってもらうことが当たり前になっていくので、最初に「お互い感謝の気持ちを忘れないようにしよう」と言いました。そのせいか、夫もありがとうを言ってくれます。
そして何でも自分ができることは率先してやること。休みの日はソファのカバーを洗うことから一日が始まって、一緒に生活する家が散らかっていることはまずありません。お互いが心地よくいられる工夫をするのは当たり前と思って努力してきました。
そして夫が何より感謝してくれるのは義父母との関係です。両親は岩手で農業をやっているのですが、大量の野菜を送ってくるんです。前の奥さんは「田舎の野菜はいらない」と言って断っていたらしく、淋しい思いをされていたようですが、私はありがたく頂いて、届いたら感謝の電話をしています。そして義母の体調が悪ければ駆け付けるし、電話もほぼ毎日。煙たいところもあるけれど親は先に亡くなるのだから、大事にしておきたいと思うんですよね。
実は前夫とも繫がっています。別れるときに日本で困ったときはいつでも私が助けるからと約束。元夫は私が再婚した2年後に、同じ日本に住むナイジェリア人と結婚。出産時医師と言葉が通じず私が立ち会い、動くゆりかごを出産祝いに贈りました。家族ぐるみの付き合いですね。
心底私は人のことを構いたいし、困っていたら何とかしてあげたいと思う性分なんです。でも結局はその性格が、人間関係を円滑にし、夫婦関係も幸せに送れるのだなと思うのです。そして、これまで不妊治療も何もしていませんが、49歳になっても、まだ妊娠できる可能性があるなと私には思え、どんな子でも受け入れたいなとときどき夫と話しています。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2016年掲載時のものです。
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