「イケてるおばさんになる方法」文筆家・岡田育さんに聞く

「もう、おばさんだから」「おばさんっぽい」。誰かを呼ぶときも、自称するときも、どこかうしろめたさのつきまとうこの言葉。そもそもおばさんって何? 文筆家の岡田育さんのエッセイ『我は、おばさん』は古今東西、数多の小説、映画に登場、および実在の「おばさん」を例に、「おばさん」とはいったい誰のことなのか? 軽やかに再定義するエッセイ。理想のおばさんって? 改めて考えてみると、早く「おばさん」になりたくなる……から不思議です。

※掲載中の内容はVERY2022年2月号掲載時のものです。

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岡田 育さん

(おかだ・いく)1980年東京都生まれ。編集者を経て、2012年より本格的にエッセイ・コラムの執筆を始める。テレビやラジオのコメンテーターとしても活躍。著書に『ハジの多い人生』(文春文庫)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)、『40歳までにコレをやめる』(サンマーク出版)、『女の節目は両A面』(TAC出版)など。2015年よりニューヨーク在住。

我こそは、おばさんなり!

──他にしっくりする呼び名がなくて、自らや他人のことを「おばさん」と呼ぶときの少し居心地の悪いあの感じ。身に覚えがあって、「おばさん」とはいったい何なのだろうとこの本を手にとりました。

私の場合、2歳年下の妹が20代で子どもを産んだので辞書的な意味での「おばさん」になったのは比較的早かったんです。でも当時から「そう呼ばれるのは嫌でしょう?」と聞かれたり、私を「おばさん」と呼んだ子どもに対して、親御さんが慌てて「お姉さんでしょう!」と言い直させたり。続柄としての「おばさん」にはこんなに簡単になれるのに、やたらと忌み嫌われる言葉でもあります。結局自分はおばさんなのか、そうでないのか。どうして自分の思うタイミングで年相応の中年になれないのだろうと、ずっと考えてきたことがこの本を書くきっかけになりました。

──タイトルが印象的ですよね。

本の冒頭でも書きましたが、私は若い頃から映画『男はつらいよ』の寅さんとか『ぼくの伯父さん』のユロ伯父さんのような、四角四面の生き方とは正反対の自由人である「おじさん」に憧れていました。ならば、タイトルは「私のおばさん」かしら、なんて考えてみたのですが、誰かに名付けられて呼ばれるよりも、こちらからおばさん宣言したい。「やあやあ、我こそは」と武将が名乗りを上げるみたいなイメージです。今までも「大人女子」とか「美魔女」とか、中年女性を指す言葉が作られましたが、色々な属性をひっくるめてひと言で言える言葉はこれしかあるまいと思って。もう、別に流行りの言葉を作らなくてもいいから一般名詞で、「おばさん」でいいじゃないか、と思うのです。普段何をしていても、子どもがいてもいなくても、お金があってもなくても、中年ならばみんな「おばさん」です。

ぴかぴかの「おばさん1年生」

──よく「かわいいおばあちゃんになりたい」なんて言います。でも、その前段階の中年期、おばさん時代がすごく長いのですよね。そこで目指すべき存在ってなかなか見つかりません。

例えば、職場に憧れの先輩がいるとか、素敵なおばさんが親戚にいるとか身近なお手本があればいいですが、それってかなりレアケースだと思います。だから、目標は一人と無理に決めず、街ですれ違っただけの人やテレビの中で見た人でもいいから、素敵だなと思う人を集めて自分でロールモデルを、パズルのピースを組み立てるようにして作っていくしかないのかなと思っています。この本の読者の方から、「私にとってのおばさん」のエピソードをたくさんいただいたのですが、それがとても魅力的なんですよ。例えば、母がおばさんと呼んでいるから親戚だと思っていたら、実は全く赤の他人で、本当にシスターフッドで結ばれた、年の離れた友人だったという話とか。多くの女性の記憶の中に、自分よりも年上の同性に影響を受けた経験が眠っていると実感しました。ご自身の記憶の引出しを開けるきっかけにしていただけたら嬉しいです。

──お話を聞いていると、おばさんになるのも楽しいかも、と思えてきます。でも、いざ「はい、今日から私はおばさんです」と言えるかどうか。ちょっと躊躇してしまいますね。

私もいまだに「まだおばさんじゃないでしょう」と上の世代の人たちから言われることがあるのですが、「いや、おばさん1年生です」とか、「入門したてで、まだ白帯のおばさんです」とか、おばさんビギナーというふうに自分のことを呼んでみたりしています。今は初心者だけれど、いずれは黒帯のかっこいいおばさんになりたい。最終的に、「イケてるおばさんになりたいぜ」という気持ちがありまして、そこにはまだ至らないけれど、いつか、「おばさん」と呼ばれてかっこよく振り向けるような人間になるために、今、助走を始めたばかりですという気分で名乗りを上げました。憧れの中年女性は?という質問への答えって人によって本当に様々で、それこそこちらが叶姉妹をイメージしていたら、向こうは阿佐ヶ谷姉妹のイメージでいることも往々にしてあるんですよ。阿佐ヶ谷姉妹までくると私にとっては世代が近くなりますが、今の若い人たちにとっては、ああいうふうに女同士で生きていけたらいいよねっていう新しいモデルになっていますよね。あとは、黒柳徹子さんなんかも、皆さんよく名前を挙げる代表的「おばさん」のひとり。でも、黒柳さんって、私と同年代の頃にはもう『ザ・ベストテン』でイブニングドレスを着て司会をしていたんですよ。テレビ黎明期をあれだけ支えたうえで今があると思うと、一朝一夕に真似できるわけではないですが(笑)。

あの頃憧れた大人にもうなっているはず

──何からはじめたらいいんでしょうね。

少女時代は早く大人になりたいと思いませんでしたか? かっこいい大人の女性になって、誰にも何も禁止されずに、自分で好きに歩いていきたい。頑張って高いヒールを履いて、少しでも大人っぽく見られるようにメークしていたあの頃、あんなになりたかった大人の女性に今なっているのに、もう、これはできない、あれはできないと、今度は、自分で自分に制約を課してしまうのは、本当に不思議なことだと思います。老けて見えないようにしよう、でも若作りもみっともないと言われて、他人からの視線と、女性としてこうあるべきという社会的規範みたいなものに自分をすり合わせていくうちに、自分のほうが削られていっちゃうことがすごく多いと思うんですよね。そんなことで自分をすり減らせまいと意識するのが、イケてるおばさんになる第一歩かなと考えています。

ここ数年はロング丈のボトムスが主流だったこともあり、膝を出すのに抵抗のある人は多いと思うのですが、銀座の街を行く素敵なおばさま、おばあさまを見ていると案外、膝上丈のスカートをはきこなしているんですよ。実際にお話を伺うと「私、おなか周りは気になるし、もう見せられるところは脚だけだから見せていこうと思って」と。やっぱり突き抜けている人がかっこいいというのは、おしゃれの普遍的なルール。自分の好きなパーツを強調したり、それぞれのおしゃれをしていけばいいんだっていうことを、実践している先輩はいるので、そっちを観察してみると、ずいぶんと肩の荷が下りるんじゃないかなと思います。若い頃は、大きな色石のジュエリーはいくら豪華でもいまいち似合わなかったのが、いまつけてみるとしっくりくるとか、年を重ねた分、さまになるファッションもあるはず。そのときに、嫌だわ、すっかり老けちゃってと言うのではなく、付いてきた貫禄を楽しむというか、そういう方向にいけるといいんじゃないかなと思うんですよね。それこそ20代の頃に欲しくてたまらなかったものじゃないですか。あの頃、憧れていた大人になるタイミングが来ているというように自分の加齢を捉えられると、少し見え方が変わってくるのかなと思います。20代の頃、結婚式に呼ばれたら、みんな同じようなワンピース着て、ボレロやショールを羽織っていませんでしたか。あの頃、なんであんな、金太郎飴みたいに同じ格好していたんだろう。ひと並びから飛び出すっていうのが、私たちの次のステージなのではないでしょうか。

アメちゃんを配るぐらいならお安い御用

──確かに、大人になったらこういう格好したいとか、憧れがあったのに、すっかり忘れていた気がします。

おばさんという存在は、下の世代に未来を授ける役割を担っているんだと、私も本の中でちょっと背伸びしながら書いたんですよね。私は、景気が良かった日本をぎりぎり覚えている世代です。バブルやその名残りがあったので、今はお小遣いが少ないけれど、大人になればどんどん自分は豊かになるんだ、自分たちの未来は明るいと無邪気に信じていた少女時代が私のベースにあって。かたや姪っ子は、コロナ禍で小学生になりました。入学当初からずっとマスク生活です。そのうえ長引く不景気で停滞し、急速に保守化する日本に明るい未来があるかどうか……。でもそんな姪っ子の姿を見ていると、せめて私が子ども時代に浴びたのと同じぐらいのきらきらの粉は振りまいてあげたいという気持ちになるんです。それこそシンデレラの魔法使いのおばあさんじゃないですけど、大人になるともっと楽しいことがあるよ、と教えてあげたい。自分が憧れていた大人の世界をちょっと見せてあげるとか。私に日本の景気を好転させるような財力があるわけではないけれど、ちょっとずつ下の世代に自分がもらってきたものを譲り渡していけたらいいなと思っています。別に高いプレゼントでなくとも、バッグの中のアメちゃんを配るぐらいの感覚です。手ぶらでふらっと遊びに来た子たちに、アメ玉をなめさせたり、舶来の珍しい袋菓子をあげるくらいのこと。自分と血縁がある、ないにかかわらず社会全体の中で、下の世代に目をやって声をかけてあげるのはおばさんの使命の一つだと思うんですよね。咲き誇ったバラの花があとは枯れていくだけというよりは、これからまた20年、30年と長い時間が始まるわけで、手元の花は株分けしてどんどん増やして配ればいい。時間の流れをそういうふうに捉えられるようになるといいんじゃないかと思います。

『我は、おばさん』
(集英社 1,760円)

『更級日記』から『マッドマックス 怒りのデス・ロード』まで、古今東西の文学・エンタメ作品をひもとき、ポジティブに「おばさん」を再定義する、カルチャー・エッセイ。ジェーン・スーさんとの特別対談も収録!

*VERY2022年2月号「「イケてるおばさんになる方法」より。掲載中の情報は誌面掲載時のものです。

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撮影/須田卓馬 取材・文/髙田翔子 取材/フォレスト・ガンプJr.