今だから、心に響く言葉⑤――HERSアーカイブから

バックナンバーからの名言集。
2008年11月号から。
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萬田久子さんがHERSで初めて表紙を務めた号です。
学生時代にミス・ユニバース代表になり、翌年に大阪から上京。東京が楽しくてそのまま居着いてしまったといいます。

「たまに大阪へ帰ると、『東京で何してんねん?』と言われて。もう、その関西弁の響きがきつくて()。それをバネにここまで頑張れたのかな」
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当時ちょうど50歳だった萬田さんの心境は、

「人生、何が“勝ち”かって言われたら、楽しんでいる人が勝ちじゃない? 私の携帯電話の留守電メッセージは、『人生楽しんでますか? それではメッセージをどうぞ』なの()

この号では巻頭のファッションページにもご登場いただきました。
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かつてはパンツスーツが主流だった、萬田さんはこの頃、ミニスカートがマイブーム。

「そしたら、『可愛い』なんて言われるようになって……。若くてピチピチしていた20代や30代のときは『可愛い』なんて言われることなかったのにね()

「年齢は、人を丸くするから、“可愛い”という言葉が似合うとしたら、今の年齢だからかもしれないわね」

一方、HERS初登場の浅田美代子さん。
17歳の頃にTV『時間ですよ』で女優デビューして以来、ずっと「みよちゃん」と呼ばれてきた浅田さん。
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40代のころは、もうアイドルでもあるまいし、“みよちゃん”はないだろう、このままのイメージでいいのかな、そんなふうに思ったこともありました。でも、最近は、“みよちゃん”、それが、私らしさなんじゃないか、そんなふうに思えるようになったんです。そうしたら、気の赴くまま、あれこれ組合わせる自分流カジュアルがさらに楽しくなっちゃって()

だからこそ、ファッションセンスに磨きがかかった浅田美代子さんの50代。

インタビュー連載「書きかけの履歴書」は戸田恵子さん。
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『アンパンマン』での声優をはじめ、テレビや映画での女優業、さらにナレーションの仕事など、マルチに活躍する戸田さんに対して、インタビュアーが「どれかをやめたり、どれかに絞ろうと思ったことはないのですか?」と訊ねたところ――

「どれもが私に必要な筋肉なのだと思います。『混乱しませんか?』と、よく聞かれますが、私にとってはギアチェンジがスムーズにできる範囲の仕事なんですね。たとえて言えば百貨店みたいなもの。声優というフロア、舞台女優のフロア、テレビや映画のフロアもある。すべて同じ建物の中に収まっているので、一台のエレベーターでスムーズに行き来ができるんですよ」

そう語りつつ、それまでの戸田さんは、仕事の依頼に対して「ノー」ということも多かったとか。それが50代になって「イエス」が増えました。

「やはり年齢的なことが大きいですね。自分の母が亡くなったり、親しい友人が病に倒れたり、『人生には限りがある』という事実を目の当たりにするのが50代という年齢でしょう。自分自身の人生を逆算してみても、いったいあと何本舞台がやれるんだろう? と。残りの本数はもはや数えられるはず。今まで『やらない』と言っていたことだって、気づいたら『もう、やれない』になっているかもしれない。だったら、何かを求められたときに、それをあからさまに『ノー』と拒否するのはもうやめようと。わずかでも自分にできる可能性がある話なら『やってみよう』と思えるようになりました」

この号で最終回を迎えた<贅沢の演出家たち>のページでは、元・フランス映画社副社長の川喜多和子さんを取り上げました。
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1940年に、東宝東和の創業者の長女として生まれた川喜多和子さんは、黒澤明の助監督を経て、フランス映画社に入社。大島渚や小栗康平といった日本の映画監督を海外に紹介すると同時に、海外、特にヨーロッパの名作映画を輸入し、日本にプロモートしました。

例えば——
ゴダールの『勝手にしやがれ』、ヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』『ベルリン・天使の詩』、他にも『ブリキの太鼓』、『ピアノ・レッスン』など……。

この女性がいなければ、おそらく私たちにとっての’70年代~’90年代の映画はとても浅いものになっていたでしょう。
フランス映画社といっても、小さな会社です。何でもかんでも買い付けてくることはできません。そんななか彼女が映画を選ぶ時の基準は、

「私が好きな映画は誰でも絶対好きなはず。大丈夫よ! だって絶対にいいと思わない?」

山師的な思惑ではなく、理屈があるわけでもなく、とにかく楽天的な理由。
でも、人を説得する魅力があったといいます。

銀座のレストランで出会った伊丹十三と電撃結婚をしたり(その後、離婚)、ウィスキーとタバコをこよなく愛したり、私生活では決してお嬢さまではなかった“映画に殉じたお嬢さま”。
<この映画だ!>と思った時には、あどけない少女のような顔をしていたのかもしれません。

1993年6月。川喜多和子さんは自分が買い付けてきた『ピアノ・レッスン』が日本で公開される前の年に、くも膜下出血で息を引き取りました。享年53歳。

前回の記事はこちら。

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構成・文/川原田朝雄