トライアスロン出場・谷真海さん「家族」というチームで目指したパラリンピック

VERYで掲載中の人気連載企画「家族のコトバ」。昨年パラリンピック延期決定前に取材を行い、2020年VERY3月号にて掲載していた谷真海さんのインタビュー内容を、パラリンピック開催を前にWEBにて再掲載します。

 

※以下掲載中の情報は2020年VERY3月号「連載・家族のコトバ」誌面掲載時点のものです。

いよいよ、2020年オリンピック・パラリンピックイヤー。東京招致を成功へと導いた感動のスピーチから7年、谷真海さんは今ひとりではなく「家族」というチームでパラリンピックの出場を目指します。

■ Profile

谷 真海(たに まみ)さん

1982年宮城県気仙沼市出身。早稲田大学在学中に骨肉腫を発症し右足膝下を切断。リハビリをしながら陸上競技でパラリンピックを目指す。2004年サントリー入社、同年のアテネパラリンピックに走り幅跳びで出場。結婚・出産後はトライアスロンに転向。

■ 夫のコトバ

「一生に一度の東京パラリンピック。家族で頑張ろう」

私と夫だけでなく、最近は家族3人笑顔が似てるって言われるんです。

東京五輪の開催決定から7年。あの瞬間からずっと、みんなの夢が続いているんですよね。「家族で観たいね」「それまで長生きしよう」。大勢の人が東京五輪に向け、それぞれに夢を持つことで、こんなにも街はエネルギーで満ち溢れる。2020年の東京パラリンピックに出場する、私の夢も続いているんです。

パラリンピックの感動が
人生に目標を与えてくれた

東京オリンピック・パラリンピックの招致スピーチに抜擢される2年前、偶然にも私は英語の学び直しを始めていました。きっかけは、29歳で進学した大学院。当時はまだ独身でしたが、会社員とアスリートの二足の草鞋生活。サントリーへもスポーツではなく一般入社だったので、仕事を終えてから短時間トレーニングし、そのあと夜間の大学院へ……。そんなハードな生活をしてでも通いたかったのは、私を救ってくれたスポーツへの恩返し。22歳のときに初めて出場したアテネパラリンピックで目にした選手たちは、車椅子も義足も体の一部。障害の重さを一切感じさせない躍動感で、その姿は眩しいほどにキラキラと輝いていました。それまで「なんでこんな人生になったのか」と足を切断したことで悲観的になっていた私に「こんな人生を歩みたい!」と目標を与えてくれたんです。

そんな魅力的な世界を見せてくれた一方で選手として内側に入ってみると「もしかしたら日本は遅れている?」と感じることも。施設や予算の問題など、当時パラリンピックの置かれている状況は決していいとは言えませんでした。そのとき抱いた〝世界はどうなっているんだろう〞という疑問に改善のヒントがあると、その論文をまとめるために早稲田大学大学院で、スポーツビジネスを勉強することを決めたんです。

在学中も現役アスリートなので大会参加で海外遠征したり、様々な国の選手と触れ合う機会も多々ありました。そんな活動を見た大学院の先生が「真海ちゃんは世界中に友達を作って、ヒアリングをすればいいんだよ」とアドバイスをくれたんです。問題は聞き出すのに必要な英語力。そこから海外ドラマ、外国人選手や関係者を相手に猛勉強を開始。背伸びしなければ、成長もできない。「英語は話せません」と誰かの陰に隠れていたら、あのスピーチの舞台に立てることはなかったと思います。

週末は夫がランニングの伴走をしてくれることも。服を買うときは夫に相談をするので最近は装いも似てきました。

2020年を目指す同志として
招致の舞台裏で夫と出会う

夫との出会いも、東京招致の舞台裏でした。彼はスタッフとして活動していて、年上の方が多い中で「同世代でも頑張っている人がいる」と、その存在を心強く感じたのが始まり。話してみたら社会人歴も一緒で、気がつけばスピーチのプレッシャーと闘う最中に唯一ホッとリラックスできる相手になっていました。同じ2020年を目指す仲間であり、アスリートである私とアスリート以上に激しく仕事をする彼は、お互いにリスペクトできる存在に。結婚することは自然な流れだった気がします。

大学院まで行って何とかしたいと思ったパラリンピックの現状や環境改善も、今は夫が仕事としてパラスポーツに携わっていてくれることも大きい。おかげで私は競技に集中することができ、夫も私と結婚したことで国内外のパラリンピック関係者との距離が縮まるなど、仕事面でもお互いにいい影響を与え合えています。私が平日楽できるようにと、休日におかずを作り置きしてくれることも。彼のお父さんはフレンチのシェフなので、作る料理のセンスもいいんです(笑)。彼と結婚してから背負っているものを分け合えたようで、気持ちも体も楽になりました。私が2020年の東京パラリンピックを目指すと決断したときも「一生に一度の東京パラリンピック。家族全員で頑張ろう!」と、孤独な戦いではないことを教えてくれました。トライアスロンは個人競技ではありますが、私は常に家族というチームで戦っているんです。

©竹見修吾  走り幅跳びではアテネ、北京、ロンドンとパラリンピックに3回出場。出産後は選手寿命の長いトライアスロンに転向。

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■ 息子のコトバ

「トライアスロン、いつ終わるの?」

 

息子も頑張っているからこそ
半端なことはできない

子供が生まれてからは、私のプライオリティは家庭が一番。そうは決めても、1歳ぐらいまでは予定通りにいかない子育てに〝もう自分の夢を追うことはできないのかも〞と悩みました。そんなときも救ってくれたのは、スポーツ。子連れ参加のバランスボールのレッスンで、汗をかきながらママたちと悩みを共有すると、心がすごく元気になったんです。「今は子育てを頑張るとき。それが私の役割なんだ」と割り切れるようになりました。スポーツの力ってすごいですよね(笑)。

4歳になる息子は、私がアスリートであり、東京パラリンピックを目指すことを応援してくれています。私の障害のことは詳しくは説明していませんが、生まれたときから足のないママしか見ていないので、息子にとってはきっと当たり前のことなんですよね。つかまり立ちの頃から、朝起きると私に義足を持ってきてくれたり、海から上がるときは夫が肩を貸してくれるのですが、最近は自然と息子が手を差し伸べてくれるように。やんちゃですが、その優しさにはホロッときちゃいます。小さな頃から当たり前に車椅子や腕のない人が身近にいるので、歩けないから車椅子、足がないから義足というふうに、息子は障害を〝その人の個性〞と捉えている気がするんです。

ときどき切なくなるのは「ママ、トライアスロンいつ終わるの? 東京パラリンピックはまだ?」と聞かれるとき。きっと、これが息子の本音。長期間離れることになる合同合宿には参加しませんが、 海外遠征などで家を空けてしまうことはどうしてもある。小さな子供にとってはむずかしい環境です。テレビ電話で泣かれてしまうこともあって、ママといる時間がもっと欲しいし、もっと甘えたいんだと思います。でも、そうは言わずに息子も頑張ってくれている。私もやるからには、半端なことはできないですよね。いつか大きくなったとき「あのときパパとママ、すごい頑張ってたよね」って、その姿を思い出してくれるように全力を尽くさないと。

「簡単には1位になれないんだよ」って、スポーツの厳しさも息子は知っています。

■ 私のコトバ

「面白い人生になってきた!」

 

足になっただけで
私自身は何も変わらない

私の障害は、そんなに大げさなことじゃないんです。今まで開いていなかった扉がたくさんあることに気づくこともできたし、 20、30代で新しいチャレンジをするきっかけもそう与えられるものじゃないと、マインドもポジティブに変わりました。

この号が出る頃には息子を連れて海外に個人合宿に行く予定。いい機会なのでホテルではなくホームステイをして、息子も現地保育園に通わせ親子留学形式に。送り迎えをしながらトレーニングも頑張るつもりです。たとえ前例がなかったとしても、その都度で自分自身のベストを考えた行動をする。そんなふうに思い切った決断ができるようになりました

2020年の東京パラリンピックは、家庭が一番というプライオリティを守りつつ〝子育てをしながら世界を目指せる〞という、ひとつの可能性を追い求める最初で最後のチャンス。私がトライアンドエラーをしながら歩んでいくことで、ママ・アスリートへの新しい道筋を作れたらという願いもあります。

あとは私の姿を見て、障害に対する意識が変わってくれたら嬉しい。ずっと周りに気を遣われないよう生きてきましたが、体の一部が義足になっただけで私自身は何も変わっていない。病気になったとき母からもらった〝神様は乗り越えられない試練は与えない〞という言葉の通り、試練はチャンスになり、想像もしなかった新しい道を歩み、今ここにいる。「面白い人生になった」と、谷真海という生き方を今、とても楽しんでいます。

©竹見修吾 一度は閉ざされかけた東京パラ五輪への道。「出場目指して最後まで駆け抜けたい」。

谷さんのHistory

1. 大学では、小学校の頃から憧れていたチアリーディング部に。2年生のときに骨肉腫を発症し「右足膝下を切断しなければ1年半」と命の期限を宣告される。
2. 病室で出会った恵美子さん。「太陽みたいに明るくて上品で、辛いときこそ笑顔でいる大切さを教えてくれた人」。
3. 谷さんのクラスはPTS4。一時は東京パラ五輪の実施種目から除外されたが、ルール改定によりすべての障害クラスに出場資格が。東京パラリンピックの道が再び拓かれた。
4. 世界が感動した招致スピーチ。「東日本大震災でもスポーツに助けられた」。
5. 出会って1年で結婚。「パラリンピックに導かれた気がします」。
6. 将来は子供の夢をサポートしてあげたい。

 

撮影/須藤敬一  取材・文/櫻井裕美  ヘア・メーク/小松胡桃〈ROI〉  編集/磯野文子

※掲載中の情報は2020年VERY3月号「連載・家族のコトバ」誌面掲載時点のものです。

 

■谷真海選手の出場種目スケジュール■

「トライアスロン 女子 PTS5」
2021年8月29日(日) 6:30 – 11:10

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