名取裕子さん(66歳)「失ったものを数えるより、今あるいいことだけを数えて生きたほうが得」

ドラマ「3年B組金八先生」で美術教師を演じて人気となった女優の名取裕子さんは当時22歳。あれから44年経った今も楚々とした美しさはまったく変わらず。けれど、スタジオに入るやいなや、サバサバとした〝仕切り屋〟の本領を発揮。思わず〝ついていきます〟とひれ伏したくなるカッコよさでした。

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「お着物って女子力アップするのよ」とシックなグリーンの結城紬を着こなす名取裕子さん。粋な所作と気品あふれる佇まいに、スタッフも思わず見とれてしまいました。雑誌の取材はほとんど受けたことがないそうですが、目からウロコの美容法から、40代で身軽に生きようと決意したお話は勉強になりました。

お話を伺ったのは……女優 名取裕子さん(66歳)

《Profile》 1957年神奈川県生まれ。’77年TBSポーラテレビ小説「おゆき」で女優デビュー。以降、ドラマや映画、舞台で活躍し、代表作は映画『序の舞』『吉原炎上』『マークスの山』、ドラマ「けものみち」「京都地検の女」「法医学教室の事件ファイル」など多数。「オールナイトニッポン MUSIC10」毎月第1・第3水曜 パーソナリティを務めている。

アンチエイジングではなく年齢なりの美しさが心地いい。とはいえ、〝年相応〟より少し下を目指しています

先日、髪ファスティングのサロンに行って、髪が蘇りました。2回受けただけで効果がありすぎ!あまりにサラサラになり、元気がよすぎてホットカーラーを弾いてしまうほどでした。いろいろな役ができないと困るので、今はストップ。でも、後ろ姿は艶々で、「振り向かなければ20代」のひと時はとても楽しかったです。 若い頃から髪は丈夫で、毛量もたっぷりのくせ毛。どこに行っても「髪、多いね」と言われるのがコンプレックスでした。髪は年齢とともに細くなっていくそうですが、「相変わらずたっぷりでよかったですね」と長年お世話になっているヘアメークさんからも褒められます。昔はコンプレックスだったことが、時を経て長所に変わるなんてこともあるんですね。ラッキー!

「なとちゃん亭」ファイルに毎日の食生活を記録

食生活には自信があります。ご飯が好きでお料理も大好き。母が14歳で亡くなったので、料理は10代からやっていました。 これまでお世話になったロケ先の漁師さんや農家さん、友人や知人が毎月のように新鮮な魚やフルーツ、野菜などをたくさん送ってくださるので、食材を無駄にしないようお料理を楽しんでいます。わが家はまるで「道の駅」なんです(笑)。先日、広島・呉の漁師さんから鯛とタコがどっかんと届いたので、鯛の身をアクアパッツァにして、頭は鯛めしに。タコはやわらか煮やお刺身、唐揚げやパスタに。別の友人からトマトを箱でいただいたときは、トマトと万願寺唐辛子のすき焼きに。到来ものと冷蔵庫にある食材を合わせて、レストランで食べた記憶を辿りながら作ります。ネットのレシピを参考にすることもありますが、料理本はほとんど見ないですね。 食生活は医食同源が基本。お酒はほとんど飲みませんが、遺伝的に肝臓の数値が高めなので、炭水化物を少なめに、旬の野菜をたっぷり食べます。昼ご飯か夕飯のどちらかに重きを置いたら、どちらかは軽く。欠かさないのはメカブを1日2食。添付のたれをかけると塩分を摂りすぎてしまうので、何もつけずに薬だと思って食べています。 器に綺麗に盛りつけて、誰に見せるわけでもなく毎回食卓を写真に撮り、「なとちゃん亭」と名付けたファイルに記録しています。ときどき見返しては栄養バランスをチェックし、季節ごとのメニューを思い出して料理の参考にしています。お医者さまに見せたら「バランスは完璧にOK。でも量が多すぎです」って。そうか、だから太ってるのよね(笑)。 器は若い頃から大好きで、撮影で地方に行くと、骨董屋さんで蒔絵の漆器や古伊万里、染付などを買い集めてきました。何か仕事をするたびに、毎回ひとつずつ自分へのご褒美に購入するのが楽しみ。あるとき、京都の骨董屋さんでお会計をしている間に、古伊万里にチョコボール、豆皿にアソートチョコを載せて出してくださったんです。40年前の当時はそのセンスが新鮮で素敵で、私も絶対真似したいと思いました。骨董は飾るだけのものではなく、使えるものを買い、お料理屋さんや器屋さんで見たことを手本に、気楽な友人を呼んで、みんなでご飯を食べるのが今の楽しみです。

自分が持てるものだけを持って身軽に生きる

青山学院大学1年生のとき、所属していた広告研究会の先輩から人数合わせに頼まれて出場した「ミス・サラダガール・コンテスト」で準優勝。19歳で芸能界に入りました。教職課程も取っていたので、女優になりたいと思っていたわけでもないのですが、流れに身を任せた感じです。 卒業後、ポーラテレビ小説「おゆき」の主演やドラマ「3年B組金八先生」など、最初はお嬢様女優のイメージでしたが、23歳で出演した松本清張シリーズ「けものみち」が転機になりました。その後、先日お亡くなりになった中島貞夫監督の『序の舞』、五社英雄監督の『吉原炎上』などの映画で芯の強い女性を演じました。当時は女優が映画で脱ぐことは当たり前。お風呂でもないのに人前で裸になるのは抵抗がありましたが、遊郭の世界を描くためにと割り切りました。 35歳で「法医学教室の事件ファイル」、46歳で「京都地検の女」のドラマシリーズが始まり、年下のスタッフとワイワイ話し合いながら一緒にキャラクターを作り上げ、自分がやりたいことが受け入れられるようになった40代は、仕事が本当に楽しかったです。 一方、更年期障害やパニック障害に罹り、心身ともに辛かったのもこの頃です。でも、愛犬がいたおかげで、自分のためならできないことも、犬の餌をやるために元気を振り絞ってベッドから起き上がれたりと、何か支えになるものを探しながら、自分の体と心の変わり目を労る時期でもありました。 38歳で父が亡くなり、その直後に継母がアルツハイマー病に。それまで全面的に親に任せていたお金の管理が押し寄せました。家を買ったら当然支払う固定資産税のことすら知らなかったんです。生活するってなんて大変なんだろうと。でも、ここで自分が生きていくための経済的な基盤をきちんと作ろうと決意。当時持っていたマンションや山小屋も、修理費にお金がかかるなど煩わしくなって全部処分。26歳のときに建てた両親が住む家も、継母ひとりでは維持できないので手放しました。荷物が重ければ重いほど歩くときも重いのと同じで、軽ければ軽いほどどこにでも動けて結果的にラクなんです。自分が持てるものだけを持ち、身軽に身軽に、ということだけを考えて暮らしてきました。 40代という時期に、贅沢はしなくていいから、経済的に裏打ちされた生活の基盤ができたことは、その後の私に安心感を与え、本当にやってよかったと思っています。

一生つき合える女友達はお金より大切な財産

結婚願望は今でもありますよ(笑)。先月、七夕の短冊に「お嫁に行きたい」と願い事を書いたら、友達に「いい加減にしろよ」と笑われました。結婚はタイミングとご縁。これまではたまたまご縁がなかったのでしょうね。結婚相手には巡り合っていないけど、一生つき合える男友達も女友達もたくさんできました。 最近、女友達の大切さをつくづく感じます。体はお医者さまが治療してくださるけれど、必要なのは話し相手や気分転換になる友達、笑わせてくれる仲間。学生時代の友人など、同世代の女子と「何もないけど一緒に食べよう」としょっちゅう集まって、昼間に女子会をしています。今の家には30年住んでいて、ご近所の方と昭和の下町みたいに行き来もしょっちゅう。入居した当初は一番若かったのに、今や上から2番目の長老になり、順番で回ってくる理事長になったときは、ビシバシ仕切りました。けっこう使える理事長なんですよ(笑)。 芸術家や職人さん、農家さんのようなひとりでできるお仕事以外では、誰でも仕事はいずれ必ずなくなります。そのときに仕事とは別の、自分が楽しめる趣味を持っていることは、とても大切。私は、長年続けているお三味線と、実は釣りも小学生の頃からの趣味。釣りって案外頭脳ゲームで、戦略が重要。魚は今どんな気持ちでいるかと考えたり、時間によって場所を変えたり。誰も釣れないのに自分だけが釣れると、してやったり。すごく気持ちがいいんです。エステに行くより遊んでいるほうが楽しいタイプ。歌舞伎や芝居を観たり、本を読んだり。楽しみ上手な人こそが人生幸せなのだと思います。 振り返ると、病気もしたし、出会いも別れもあって、辛い思いもいっぱいしました。年齢を経ると、良いことってそんなにない。でも、命さえあればなんとかなるから。失ったものを数えるより、今あるいいことだけを数えるようにしています。そのほうが絶対に前向き。心配してくれる人がいたり、誰かを心配してあげることができれば、人生悪くないなって思います。

名取さんが40代に伝えたいこと

高価なものを身に纏っていても、それは美しさのすべての基準ではない。質素でも心が豊かな生き方をしている人は、その豊かさが顔に表れていて美しい。40代は心豊かに生きましょう。40代そのものが美しいんだから!!

2023年『美ST』10月号掲載 撮影/下村一喜 ヘア・メーク/岸 順子 着付け/瀧口潤子 取材・文/安田真里 編集/和田紀子

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