志穂美悦子さん(68歳)の人生の教訓「人生は悪いことだけじゃない。1つ扉が閉じたら、必ず1つ扉が開く」

日本初のアクション女優として活躍するも、ミュージシャンの長渕剛さんとの結婚を機に芸能界を引退した志穂美悦子さん。「女優というより、アスリート気質なんです」と語り、頭の上まで上がる高い蹴りやキレのいい動きは現役時代とまったく変わらず。体型や美しさを保つ秘訣から、夫婦関係までじっくりうかがいました。(全2回中2回目)

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100歳までの計画を立てようと思っています。夢に向かって頑張るエネルギーが自分を生かしてくれると思うから

お話を伺ったのは……志穂美悦子さん(68歳)

体重約40キロのホワイトシェパードのリル君とパオ君との散歩は毎日の日課。家の中で一緒に暮らしています。

《Profile》
1955年岡山県出身。’72年に千葉真一主宰ジャパンアクションクラブに入り、映画『女必殺拳』初主演以降、日本初の本格アクション女優として映画やドラマに数多く出演。映画『上海バンスキング』で日本アカデミー賞助演女優賞優秀賞受賞。’87年結婚を機に引退。2010年から花創作家として活動を始める。各地で展覧会やパフォーマンスを披露。

趣味から始めた花の仕事が私の原動力であり支え

西暦2000年を迎えたのが45歳。生きている間にミレニアムを迎えるって素晴らしく運命的だと感動し、メモリアルを刻んでおきたいと、フルマラソンに挑戦することを決意しました。最長5キロ程度しか走ったことがなかった私にとっては簡単なものではなく、トレーナーもいないなか、ランナー雑誌を読み漁り、自分でメニューを作るという斬新な取り組みでした。結果、ニューヨークマラソンを見事に完走。それがきっかけで雑誌「ランナーズ」の対談連載を持ちました。

実は映画のお話もいただいて、やってみたいと思ったけれど、家の中の生態系が崩れるのではないかという不安と、10年以上女優をやってないので怖くて……。結局受けなかったのですが、後に他の女優さんがその役で賞をもらったときは複雑な心境でした。だからというわけではないですが、子育ても落ち着いた55歳で、あの世界的に有名なダニエル・オスト氏の愛弟子である女性2人の先生からベルギー仕込みのフラワーアレンジメントを習い、どんどんお花にのめり込んでいきました。

自分の作品を写真に撮って自費で写真集を出版し、その売り上げを東日本大震災に寄付。それを見た奈良の薬師寺から「東院堂」を花で飾る依頼をいただいたのです。嬉しいというより幼稚園生がいきなり東大の門をくぐるような感じでした。かの方にも相談しましたが、背中を押された記憶は……ない(笑)。どこかかの方に遠慮してしまう気質があるのですが、花だからいいだろう、義母は池坊の先生でもあったことだし……と自分に言い聞かせて挑戦し、そこから今の花の仕事に繫がっていきました。

震災が起きた2011年の母の日はカーネーション千本を寄付し、翌年は仮設住宅で簡単な花の教室をやりました。15人くらい参加してくださり、家族や家を失くした方もいらっしゃいました。今思い出しても涙が出るのですが、参加してくださったおばあちゃんが泣きながら「亡くなったお父さんに手向けられる」と喜んでくださり、花のすごさ、人を元気にする力があることを実感しました。花そのものが美しくエネルギーがありますし、今の私の原動力でもあり、支えられています。

ひとつ扉が閉じても別の扉がひとつ開く

長く生きているといろいろなことがあるし、私も辛いことはいっぱいありました。でも人生は悪いことだけじゃない。1個扉が閉じたら、必ず1個扉が開くと思っています。だから悪いことが起きると、私は同時に何かを始めます。興味ある習い事をしたり、行きたい場所に行ったり、小さなことでいい。そうすると辛くて打ちのめされた感覚がなくなるんですよ。それが人間の力であり、さらに人の力ももらえます。それは、震災を通して感じたこと。明日生きていけないと感じていた人も、人との繫がりがあれば頑張れることを目の前で見てきました。

思えば私の夢は全部叶ってきました。女優も、音楽関係の人と結婚したことも、男の子と女の子の子どもを得たことも、全部夢でした。だから人生100年時代の今、100歳まで生きられなくとも、100歳までの計画を立てようと思っています。70歳、80歳で何をするかというふうに。そうするとその夢に向かって頑張るエネルギーが自分を生かしてくれると思うんです。イメージを思い描けば、そうなる力が人間にはあると信じています。70歳の私がどんな自分であるかを具体的にイメージできているので、今からそれに向かって頑張っています。

ベッドに入って眠る瞬間、今日あった幸せなことを思い浮かべます。たとえば、美味しいものが食べられたことだったり、誰かと会えたとか、そんな小さなことでよいんです。嫌なことは記憶に残るけど、小さな幸せって残らないでしょ。でも心に刻ませることで幸せな気持ちで眠れるし、いつも前向きでいられるんです。

志穂美さんが40代に伝えたいこと

40代は焦りがある時期だと思いますが、風の吹くまま、あるがままを受け入れて生きていけばいい。焦らず、そのままでいい。あと2年で70歳になる私から見れば40代は若さとフレッシュの塊です。

2024年『美ST』1月号掲載
撮影/中村和孝 取材・文/安田真里 編集/和田紀子

美ST