浮気相手の家に向かう夫を車で尾行しました。心臓がドックンドックンするのを感じながら

収入と肩書きを手に入れた途端はじまったモラハラと浮気。子どものために静観することを決めたものの、借金の保証人になることが離婚の決め手でした。悶々と我慢するより、あのとき飛び出したこは正解。今は15歳以上歳の離れた男性と恋愛中、そして自分の人生を生きている喜びで満ちています。

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人生に彩りを取り戻せ!

◯ 話してくれたのは...板谷有香さん(仮名)

大阪市出身。大学在学中に教員免許を取得し、中学校教員に。26歳で結婚、2女を出産。次女が2歳のとき復職し、教師は現在も続けている。39歳で離婚。現在は娘2人と3人暮らし。17歳年下のパートナーと楽しい日々を送る板谷由夏さん似の聡明な女性。

彼 和歌山県出身。大学院の薬学部を修了後、外資系製薬会社に勤務。大学時代は弓道部のキャプテンで、今も弓道を続けている。誰が見てもイケメン。

元夫とは高校の同級生。卒業と同時にお付き合いが始まりました。彼は医者になって社会に貢献したいという夢を持ち、医学部に向けて一生懸命勉強していました。でも母子家庭だったので、国立大学の医学部しか選択できず、結果、4年間浪人し、私が大学卒業後教員になるのと入れ替わるように入学を果たしました。浪人中は夫を支えながら一緒に勉強しているような感覚で、本当に純粋な2人だったと思います。

やがて、彼が医大2年生のときに結婚。最初は私の収入で家庭を支え、夫が6年生のときに長女を出産。私は休職し、夫は医局勤務となり、数年で収入も安定しました。ここまでは順調で幸せだったんです。ところが不穏な空気がじわじわと忍び寄るのを感じながらも、続けて次女を出産。その直後に、看護師との浮気が発覚しました。

きっかけは車内に高速道路の明細が落ちていて、「行ったことない場所だけど、どういうこと?」と聞くと、なんと「好きな人がいるから別れてくれ」と言われたんです。その前から外泊が多く、家に帰らないことが激増していました。咄嗟に「次女が生まれたばかり。別れません」と言いました

その頃から夫はモラハラ発言も多くなり、「お前のことはもう好きになれない」「夜の生活もできない」などと私が傷つく発言を面と向かってしていました。そんな発言をするのに、実は次女出産後、子宮粘膜が薄くなり、避妊が必須にもかかわらず、避妊せずに無理矢理されることも。しかも夫は医者です。夢を持っていた夫からは考えられない暴君となり、別れたくても収入がない、子どもも小さい、現状維持しかない、もう絶望の真っただ中でした。

ところが浮気相手の発言で不倫関係がばれ、転勤することに。私も経済力を持つために、教師の採用試験を受けて合格し、夫に拒否されながらも一緒に引っ越しました。新たな地で、子どもを保育園に預け、教師に復職。内心「これで別れてやる」と思っていましたが、夫が看護師と別れ、「やり直したい」と言ってきたんです。昔の夫とは違うこともわかっていたけれど、子ども最優先で、やり直すことにしました

それからは夫は打って変わって、私に着飾るように求めたり、ジュエリーを買い与えたり、その反面束縛が半端なく、出掛けることもままならないほど門限を決められたり、どこか屈折していて、私は冷めた目で見ていました。

やがて37歳のとき、関西では高級住宅地として名を馳せる街に家を建てました。小さいけれどこだわりの家で、キッチンに1千万、お風呂に何百万かけるなど、私が喜びそうな家を夫主体で建てたんですよね。私は俯瞰で物事の進行を見ている感じで。ところが完成して暮らし始めると、「こんないい家を建ててやったんだからもっと感謝しろ」の連発。その頃から、また次第に帰ってこなくなったのです。浮気が始まったなと経験と直感でわかりました。

でももう浮気くらい仕方ない、放っておこうと夫に何も問い詰めなかったんですね。私はそもそも人ともめるのが嫌いで、自分を押し殺す方です。夫がバリ島に旅行に行ったこともあったし、キスマークを付けて帰ってきても押し黙っていました。

そんな頃、次女が「パパと面白いおばちゃんと映画に行った」と言うのです。子どもまで巻き込むなんてと気が動転して、ある日夫が駅に到着する時間を見計らい、タクシーに乗った後を、心臓がドックンドックンするのを感じながら自家用車で尾行しました。するとあるマンションの前で降りたんですよね。マンションの家賃を夫が払っているのもわかっていたので、現実が合致し、不気味な心境でした。

相当ストレスもたまっていて、気分転換に娘たちを連れて3人で沖縄に旅行に行き、帰宅すると、見知らぬ携帯がポンと置いてあり、何気なく見たら、いきなり2人の猥褻な画像が飛び込んできて、やり取りのメールも読み取れました。超高級なホテルに泊まり、私と会ってもいないのに、その女性が私を「あんな女」と罵倒しています。当時、夫は開業するために病院を建設中でしたが、「なぜあの女が、院長夫人に居座るのか」とまで書かれていました。そのメールから病院の設計に関わるインテリアデザイナーの女性だとわかりました

お金には困らない、子どもたちを高級住宅街で過ごさせてやりたい、だから浮気くらい見て見ぬふりをして……と押し殺してきた気持ちが、「もう嫌。ここから脱出したい」とぶわーッとあふれ出しました。その直後、夫から「病院の保証人になってくれ」といけしゃあしゃあと言われ、「お断りします」とぴしゃりと言うと、「出ていけー」と怒鳴られ、当時11歳と9歳だった娘たちと着の身着のまま何も持たずに家を出ました。

保証人になんかなりたくない、信頼も愛情も我慢も全部壊れました。ずっと蔑まれてきて、「私ってそんな人だったかな。着飾ってはいたけど、本当の自分じゃない。人生を修正したい」と、長年思ってきたことがはっきりしました。電車で1時間の実家に戻り、子どもも転校し、私は遠いけど勤務していた学校に通いました。夫は「まさか出て行くとは思わなかった」と連れ戻しに来ましたが断固拒否。そのうち親権を望んできたので、裁判に持ち込みました。私が教師で働いていたこと、携帯を見たときの猥褻な写真を撮って残していた証拠もあり、1年以上かかりましたが完全勝訴で離婚成立。39歳のときでした

養育費も支払うことでけりが付きましたが結局数回支払われただけです。もちろん悔しいけど、娘たちは私が愛情注いで育てると覚悟を決めたし、ありのままの自分でいられて、やりたいことができる自由は、お金には代えられない幸せを感じることができました。

でも、信頼できるパートナーが欲しい気持ちは持ち続けていました。そんなとき、11歳年下の同じ職場の同僚がよく相談に乗ってくれていたんです。相手も好意を持ってくれ、私も初対面から好みのタイプ。毎日顔を合わせていると彼から告白してくれて、交際が始まりました。楽しかったけれど、1年付き合った頃に実は彼に婚約者がいたことがわかり、彼はその婚約者と別れると言ったのですが、彼の将来のことを考えて私が身を引きました。

その辛さを乗り越えるために一時期、女友達と飲み歩いていたとき、バーの隣の席に座った2人組の男性グループの1人と妙に気が合って、メールアドレスを交換。ものすごく若いなと思っていたのですが、何と17歳年下の27歳。2度目に会ったときも、めちゃくちゃ気が合って、交際スタート。年の差は全く感じないほど、価値観も感覚も合って、彼と出会ってから毎日が楽しくてしょうがないくらいでした。でも2年ほど付き合った頃、彼が年下の女性に結婚を申し込まれ、お互い悩んだのですが、一度別れたのです。結局数カ月後に復活し、現在もパートナーとして交際を続けています

私は元々尽くすタイプで、人が喜んでくれることが大好きな人間です。それも仇となって元夫には蔑まれてしまったけれど、年下のその彼は私のいいところを褒めてくれたり、私も素直に尊敬できるところを伝えあえる、良い関係です。相手が若いのでものすごくエネルギーをもらっています。年齢って全然関係ないです。

もしあのまま離婚せずにいたら、本当の私ではなかった。自分を押し殺して、妻・母をメインにして生きる守りの人生だったと思います。でも離婚後の40代を振り返ると、めちゃくちゃ楽しかった。苦しいこと、辛いこともいっぱいあり、くよくよ涙を流しながら生きてきたけれど、人生に彩りが増えたと思います。そんなスパイシーな幸せを実感する日々って悪くないものです。

お酒好きな私たち。今夜もワインを飲みながら夕飯を食べる時間が待ち遠しいです。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2022年掲載時のものです。

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