ジュエリーブランドHASUNA Founder & CEO・白木夏子さん~世界の問題へ目を向けるきっかけになったのは、ある一人の写真家との出会い

女性としてこれからのキャリアについて悩むSTORY世代。’22年に女性活躍推進法が改定されてからはますます女性の活躍が期待され始め、徐々に女性管理職比率も高くなってきています。個人として評価され活躍される女性リーダーの方々には、キャリアの狭間で自身の生き方を見つめ、可能性を信じてチャレンジする姿がありました。今回ご登場いただくのは、ジュエリーブランド「HASUNA(ハスナ)」の代表であり、また大学教授として起業家育成にも力を注ぐ白木夏子さんです。(全3回の1回目)

白木 夏子さん(42歳)
ジュエリーブランドHASUNA Founder & CEO/武蔵野大学アントレプレナーシップ学部教授

英ロンドン大学卒業後、国際機関、投資ファンド会社勤務を経て2009年に株式会社HASUNAを設立。その他セレクトショップ、化粧品、アパレルブランド、その他各種企業のブランドディレクションに携り、2019年から2021年まで東海地区の女性起業家育成プログラム「NAGOYA WOMEN STARTUP LAB.(名古屋女性スタートアップ研究会)」にディレクターとして参画。2021年からは武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(武蔵野大学EMC)に教授として所属し、アントレプレナーシップに関する研究と起業家の育成を行っている。 プライベートでは11歳と2歳の女の子の母。


 

南インドで目にした過酷な状況から強まった「社会を変えたい」という思い

STORY編集部(以下同)――昔から「ジュエリーを作りたい」といった思いがあったのですか?

もともとは、ファッションに興味がありました。昔ファッションデザイナーとして活動していた母が、結婚してからも家の中でよく洋服を作っていたので、私はその横で人形の洋服を作ったりすることが楽しくて。作るといっても、布を巻いたりする程度ですよ(笑)。ジュエリーではないですが、子どもの頃から作ることが好きでした。

――ファッションの道へ進もうとは考えませんでしたか?

考えました。でも高校生の頃、両親に進路を相談した際、難色を示されてしまったんです。両親ともに、この業界の厳しさを知っていたがゆえの反対。英語力を活かせる仕事や医療の分野に進むことも提案されましたが、どちらも心に響かず、結局は時間だけが過ぎていきました。

――ご両親の話や思いを聞いてしまうと、悩みますね。

道が定まらずにいた頃、同居していた祖父が、戦争経験や旅行で訪れた世界各国の様子など、様々な話をしてくれました。その中で、日本と世界では女性の姿に大きな違いがあるといった話もあり、「今の日本では、女性はサポートする仕事や役割に就くことが多い。夏子は海外に行きなさい」と言われました。

当時にしては変わり者の祖父だったんですけど(笑)、祖父が言うなら海外へ留学してみようかなという気持ちになり、留学に向けて、まずは短大で英語を勉強することにしました。

――いろいろな経験をされたお祖父さまからのメッセージは、重みがありますね。

留学の件だけではなく、戦地となっていた国に対して、日本人として何かできるだろうかとも考えるようになって……。そんなある日、フォトジャーナリストの桃井和馬さんが短大へ講演にいらっしゃったんです。一瞬目を奪われるほど美しい写真の数々は、よく見ると環境、動物の密輸、貧困などの問題が映し出されたものでした。そのギャップに大きなショックを受けました。

「今すぐ一人一人が動き出さなければ、この世の中は破滅してしまう」という桃井さんの言葉で、写真の世界は、自分が今生きているこの世界なんだと実感。留学後は、世界を良くするために何かしたいという気持ちが強くなりました。

――短大でも大きな出会いがあったのですね。卒業後は予定通り留学へ?

はい、イギリスのロンドン大学に留学し、国際協力に関する勉強を始めました。インドの貧困問題を考えるなかで、まずは現地を自分の目で見たいと思い、一年目の夏休みに、南インドの村に2か月滞在しました。

滞在先の南インドにて。

その村は、パソコンやカメラのレンズなどの電子機器類や、化粧品に使われるキラキラしたパウダーのもととなる鉱物が採掘されている場所で、近くにはジュエリーの原料となる鉱山もありました。子どもから大人まで、アウトカーストと呼ばれる最貧困層の人たちが、過酷な状況で働いている姿が見受けられました。

――どのような現実を目の当たりにされたのでしょうか?

働いても賃金が上がらないだけでなく、例えば子どもが骨折しても病院に行くお金がないため、骨が曲がってしまったり、みんなが井戸に飛び込んで身体を洗うので、飲むための清潔な水がなかったりと、想像を絶するような状況がありました。

南インドの村にて撮影した1枚。

――飲み水の井戸に入ってしまうんですか?

日本人だったら、飲むための水の中に入ったりすることは絶対しないですよね。でも、衛生教育を受けていないので、汚れた水を飲んだら病気になる可能性があることが理解されていません。もちろん、学校も行っていないので文字も読めない状況です。

私たち先進国が使う便利で豊かな製品を作るために、犠牲になっている人たちがいるという現実に、言葉を失いました。

――日本では当たり前だと思っている教育を受けることができないんですね。

教育を受けても仕事がないため、結局鉱山で採掘をするしかないという状況から、“学校に行く時間が無駄。だったら小さい頃から労働力として採掘したほうがいい”という発想になってしまうんですね。この貧困の連鎖を断ち切るためには、子どもへの教育も必要であり、大人たちへは子どもを学校に通わせる意義を教えなければいけません。仕事を作ることも大事であり、大人だけが働いて家計が成り立つようなお金の流れや仕組みを考えることも大切です。とにかく多くの問題があるということに気づかされました。

大学卒業後は半年ほど国際機関で働き、その後帰国して投資ファンドの会社に就職。就職して2年目のときにリーマンショックが起こり、「起業するなら今かもしれない」と考えて、エシカル(倫理的、道徳的)な方法でつくるジュエリーブランドを立ち上げることを決意しました。

撮影/BOCO 取材/篠原亜由美

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