キンタロー。さん(42)いじめ、母の死と父の介護……多くの壁を乗り越え、お笑い芸人になるまで
30歳で遅咲きのお笑いタレントデビューを果たしたキンタロー。さんは、芸歴1年で前田敦子さんのものまねで大ブレイク。その後はキレのあるダンスや瞬発力のある最旬ものまねネタを次々と披露し、SNS上で絶賛する声が相次いでいます。第1回目は、笑わせることの楽しさに目覚めた幼少時代から暗黒期の中学時代、20代で母の死や父の介護を経験しながら、どのようにしてキンタロー。さんが芸人になったのかをお聞きしました。
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キンタロー。さんprofile
1981年生まれ。愛知県岡崎市出身。関西外国語大学短期大学卒。大学時代に始めた競技ダンス(ラテン)で全国4位の成績を収める。その後、社交ダンス講師・OLなどを経て、2011年松竹芸能タレントスクール入学。2012年4月、30歳でピン芸人としてデュー。デビュー1年で、前田敦子さん、光浦靖子さんなどのものまねネタでブレイクを果たす。2017年10月、競技ダンスの世界大会「WDSFラテンシニアⅠ世界選手権」ではアジア人歴代最高位の7位、2018年には8位に入賞。現在4歳と2歳になる女児の母でもある。
幼い頃、外では人見知りキャラでした
幼い頃、家ではごく普通の元気な子どもでしたが、外に出ると途端に人見知りになってしまい、人と話すのがとても苦手でした。基本的に人見知りは今でも変わらないです。
友達も作りづらかったのですが、小3のとき、意図せず自分が笑いを取ったときに「志保ちゃん(キンタロー。さんの本名)面白い」って言ってもらえて友達ができたんです。笑いに助けられた気分で、その時からお笑い芸人になりたいと思いました。明るい自分でいることで友達が増え、自分の中ではそれがとても嬉しかったんです。
中学時代はいじめを経験
笑ってもらえることが嬉しくて、どんどんエスカレートしてしまい、下ネタなんかもよく言っていたら、中1のとき仲良しだった女子グループから突然無視されてしまったんです。下品な言い方をしていたのが嫌だったらしく、すぐに謝ったのですが関係は改善されず。思春期だったし、とにかく落ち込みました。まさに暗黒期です。母にはつらい気持ちを話したり、愚痴を言ったりもしていましたが、明るく励ましてくれて、いつも通りに接してくれていたのはありがたかったです。でも「学校を休みたい」と言うと「だめ。行きなさい」とよく言われていました。本当は行きたくなかったですが、今になって考えると、嫌々ながらも学校に通えたのは良かったなと思います。
社交ダンスに目覚めたのは大学生のとき
高校時代は、自分を変えたくてカナダへ短期留学もしました。英語が好きになり、大学では英米語学科に進学。その大学でひときわ目立つ集団が競技ダンス(社交ダンスを競技形式で踊る)部だったんです。表情が豊かでダンスのスピードも早く、集団で踊る姿に魅了されて入部しました。競技ダンスなのでスポーツと似ていて大会も多く、とにかく負けたくない気持ちがあり、頑張れば成績が上がるのでどんどんのめり込んでいきました。ダンスは見た目も重要なため、容姿端麗の方が有利なのですが、私は技術力に励んで学生のサンバの部で全国4位という成績を収めました。
吉本新喜劇の最終選考まで受かるも、好きな人の言葉でダンス講師の道へ
私は短大だったのですが、就職をしなければ、学生連盟に所属して4年間はダンスの活動ができるんです。私はペアを組んでいる子もいたので、短大卒業後もOGとして、アルバイトをしながらさらに2年間大学でダンスを続けました。でも、いつかはお笑いの道に進みたいという思いがあって、短大2年の時に吉本新喜劇のオーディションを受けたんです。元々ダンスとお笑いを両立させるつもりだったのですが、いよいよ最終選考というときに、当時好きだったダンス部の先輩から「ダンスかお笑いか、どちらか一つにしろ」と引き止められたんです。そのときは引き止められたことがすごく嬉しくて、そのまま流されるようにダンスを選びました。卒部後は、責任をとってもらおうとその先輩を追いかけ、同じダンススタジオに入ることにしたのですが、結局その先輩との恋は実ることはありませんでした。
20代で、母の死と父の介護を経験。その後再びお笑い芸人を目指すように
私が小学生の頃、父は双極性障害を発症し、精神的に不安定な時期が続いていました。母も献身的にサポートしていたのですが、私が26歳のときに母が急死してしまったんです。父はショックでさらに病状が悪化。その頃私は大阪でダンス講師をしていたのですが、辞めて地元に戻り、一時期OLをしながら妹と一緒に父の介護をしていました。
父が特別養護老人ホームに入居できることになり、介護がひと段落した頃、自分はこの先何がしたいのかをもう一度考えるようになりました。そして、やっぱり幼い頃から夢だったお笑い芸人になりたいという気持ちが大きくなり、29歳で決心して上京をし、ようやく自分の夢に向き合うことができました。これまで色々なことがあったけど、やっと一歩前に進めた気がしました。
ニット¥17,930(シップス/シップス インフォメーションセンター)シャツ¥19,800(アンタイトル)シューズ¥18,150(ダイアナ)ピアス¥104,500<ウノアエレ>左手リング¥9,900<ワンエーアールバイウノアエレ>(ともにウノアエレ ジャパン)その他/スタイリスト私物
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撮影/沼尾翔平 ヘア・メーク/田宮裕子 スタイリスト/小川真央 取材/沢亜希子
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