岸谷 香さん、40代は「プリプリ再結成」と「思春期子育て」の二刀流でした
プリンセスプリンセスの再結成の時には思春期の息子さんの子育て真っ盛りだった岸谷さん。今だから言えるママ友に支えられた中学受験や反抗期の息子さんとのお話。そして50代になった今の夢をお聞きしました。
岸谷香さんProfile
1986年プリンセス プリンセスとしてデビュー。1989年には武道館で日本初の女性バンドして公演。その後1996年武道館公演コンサートをもって解散。2012年には東日本大震災復興支援の為、16年ぶりにプリンセス プリンセスを1年限定で再結成。現在、自身初となるダンスチューン、最新シングル「Beautiful」配信中。6月には川崎、仙台、福岡、広島、札幌、大阪、名古屋、東京にてライブ決定。プライベートでは1996年俳優の岸谷五朗氏と結婚、1男1女の母。
お母さんが突然プリプリに! 再結成と息子の中学受験が重なり我が家は大わらわ
2011年の3月11日に起きた、東日本の大震災。「何か自分にできることがないろうか……」そう模索して、
翌年の2012年、復興支援の為に1年限定でプリンセス プリンセスを再結成しました。
子ども達にとって、お父さんは役者で時にテレビに出たり舞台でお芝居をしたりしているけれど、
“お母さんは普通のお母さん”という認識だったので、「実はお母さんは若い頃にバンドをやっていてね……」という説明から始めました。
その時、息子は小学5年生。中学受験のために進学塾に通っている頃でした。
塾の送り迎えは、周りのママ友に事情を説明して助けてもらっていましたが、反抗期真っ只中のお年頃。私が見ていないと、息子はサボりにサボって成績が20クラスある中で10クラスも落ちてしまって……。
再結成の最後の仕事、紅白歌合戦が終わった翌日からすぐに“中受の子を持つ母”へと戻り、それに専念しました。塾の送り迎えはもとより、学校説明会に行ったり、願書を集めて提出したり……。
結果的には本人の第一希望校に合格して、我が家の受験は無事に終わりましたが、プリプリの再結成と息子の思春期の反抗期が重なって、親子ともども本当に大変でした。息子にとっては今まで家にいた普通のお母さんがいきなりテレビに出て、まわりの友達から「母さん出てたな、見たよ」とか言われ、倍反抗していたと思います。それまでほぼ「専業」だった45歳の「お母さん」が、いきなり大舞踏会に出るシンデレラ状態になって一番びっくりしたのは、実は我が子で、それが思春期だった訳ですから、「学校に来ないでくれ」「駅で名前を呼ぶな」「ミニスカートでテレビにでるな」と、それはもう、いろいろな言葉を言われましたね(笑)。
反抗期まっただ中、歴史に残る卒業式の親子ツーショット写真
今振り返ると、息子が小学校6年生の頃は、反抗期の大ピーク。
そんな中で迎えた卒業式は忘れられない思い出の一つとなりました。
母たちの一大イベント謝恩会では、役員の方から「ぜひとも謝恩会で歌って欲しい」と相談されました。
ただでさえ「プリプリの子」ということに抵抗していた息子ですから、嫌がるのはわかっていました。
私は、「息子がOKなら喜んで」とお返事しましたが、「説得します!」と張り切る実行委員の方々を前に、
「お母さんが歌うなら僕は謝恩会に出ない!」と息子はテコでも動かなかったようです。
そして、既に予定に組み込まれていたであろうなかでこの企画は中止に……。
ともあれ、卒業式では息子が無事卒業する姿と子ども達のスピーチに、大号泣してしまいました。
そんな私と卒業証書を手にした息子とのツーショット写真といったら……。
出席番号順に次々と写真を撮っていくのですが、「写真ムリ」と仏頂面をする息子と
大泣きして頭痛に襲われ1ミリも笑顔になれない私、それはもう歴史に残るひどい写真でした。
先日、息子と飲みに行った際、酔った勢いで「こりゃ、ないよなー(笑)」とその時の写真を
見せてくれました。どうやら、今では22歳になった息子にとって、いい思い出となり、
スマホのアルバムに入れてあるようです。
こうして、息子と酒のツマミにして笑える日が来るなんて、10年前は想像もできませんでした。
そんな酷なツーショット写真も、家族の大切なSTORYの一コマです。
お母さんだって、「オバンデレラ」タイムで息抜きを!
思春期の子育ての中、私の支えとなったのが、やっぱりママ友です。
プリプリの再結成の時も周囲のママ友が塾の送迎を手伝ってくださったり、ご飯を食べさせてくださったり……。
そして、長男が同い年で、小学校受験の会場でバッタリ会い子育てを一緒に悩みながら過ごしてきた木佐彩子は10数年の大親友で、彼女の存在に救われてきました。今はなき広尾の「クリオーゾ」というレストランで、何十回、いや100回以上、シャンパンを片手に子どもとのケンカや揉め事を相談し、聞いてもらったことか……。それでずいぶん多くのことが解決し、気持ちが楽になり、そして多少腹が立っていても優しくなれていたと思います。
17時~18時半の母たちのシンデレラタイム。私たちは、この時間を「オバンデレラ」と名付け、「今日、オバンデレラどう?」なんて、誘い合っていました。
お母さん達は自分のために時間を使うのに罪悪感を持ってしまいがちですよね。それで、私と木佐彩子の間でオバンデレラに罪悪感を持たないための暗黙のルールができあがっていました。
1.飲んだ次の日は絶対寝坊をしない
2.飲んだ次の日は絶対お弁当の手を抜かない
3.飲んでストレスを発散し、家に帰ったら、なるべく笑顔で子どもたちに優しくする
私も母を亡くしてから、「私が我が子に望む事、それは母が私に望む事」だと気がつきました。私が子ども達に「幸せでいてほしい」と思うように、母も私に幸せでいてほしいと思っているはず。だから私が幸せな思いをしたら、子どもにもそれ以上の幸せを与えればいい、罪悪感なんて持たなくてもいいんだと思うようになりました。そんな想いを込めてできた曲が「DREAM」です。お母さんたちにぜひ聴いてもらいたい曲です。
思春期の子どもと向き合うのって本当に辛いから息抜きが必要です。ママ達はどんな方法でもいいから少しでも自分の時間を持って気分転換することをおすすめします!
自由を得た50代の今、夢が広がっています
私は、50歳になった時に2つ新しいことを始めました。
1つは、プリプリを解散した時に女子バンドは二度と組まないだろうと思ったにもかかわらず、
また女の子たちに囲まれてバンドがやりたくなり、50歳の節目に女子バンドを結成しました。
やっぱり、ロックは私の人生になくてはならないものの一つなんです。
そして、もう1つは英語です。
子ども達が次から次へと留学したいと言い出し、気付くと2人ともアメリカで寮生活を送る中、
私にも人生初の海外レコーディングの話が舞い込んできました。
LAからプロデューサーをお迎えしてNYでレコーディングという機会に、
通訳が入ってしまうと壁ができてしまうと感じ、半年余り、全力で英会話教室に通いました。
そして、レコーディング終わった後もも英語の勉強を続け、多少英語にビビることがなくなった
今の私の最大の夢は、アメリカに半年でも1年でも住むこと――。
先日も仕事の隙間を縫って、若い子たちに交じり留学していたんです。
50代になってもう一回青春が帰ってきた気がしています
30代、40代が辛かったから、50代の方ががぜん楽ですし、楽しい。
30代、40代頑張ったら、必ず50代でご褒美が返ってくる。そんなミライを、皆さん、お楽しみに!
東京新聞のウエブメディア「東京新聞ほっとWeb」「ぐるり東京」に2021年6月~2023年4月にかけて連載した「岸谷香の東京MY STORY あの頃、この街で」を再構成して加筆した、自らの体験や大切な思い出を振り返りながら書き綴る連載エッセー集。
子ども時代から、今だから語れるプリプリの結成、子どもの中学受験、プリプリ再結成、亡き父と母の思い出など、生まれ育った東京での喜怒哀楽の中にある「特別」を飾ることなく綴った、半自叙伝。¥1,650(東京新聞出版)
撮影/鏑木穣 構成/河合由樹 取材/山崎智子
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