とにかく経営者になりたくて、会計士を辞めて起業へ|悟空のきもち 代表・金田 淳美さん
女性としてこれからのキャリアについて悩むSTORY世代。’22年に女性活躍推進法が改定されてからはますます女性の活躍が期待され始め、徐々に女性管理職比率も高くなってきています。個人として評価され活躍される女性リーダーの方々には、キャリアの狭間で自身の生き方を見つめ、可能性を信じてチャレンジする姿がありました。今回ご登場いただくのは、悟空のきもち 代表の金田淳美さんです。(全2回の1回目)
金田淳美さん
悟空のきもち 代表
「悟空のきもち」代表、株式会社ゴールデンフィールド社長。滋賀県出身。同志社大学卒業後に会計士として大手監査法人に入社。 その後退職し、2008 年に日本初の頭ほぐし専門店「悟空のきもち」を京都にオープン。 京都・大阪・東京に計5店舗、「Goku SPA」2店舗を展開。日本の極上ヘッドスパ専門店「悟空SPA」が 2024年に香港初上陸。「絶頂睡眠」に誘う施術が評判を呼び、新規予約枠は約1分で埋まる人気ぶり。
子どもの頃から「経営者」になりたかった
STORY編集部(以下同)――金田さんは、どのようなお子様だったのでしょうか。
小学生の頃は、なんでも疑問に思って、全てわかりたいという思いが強すぎて、先生や家族に迷惑をかけていました。それと田舎の大家族で育っているので、もう家を早く出たくてしょうがなかったです。また、小さい頃から経営者になりたいっていうのはありました。実家が自営業なのですが、祖父から、「女性は働き辛い」といった話をずっと聞かされていて。自分は働きたいけれど、女性は採用されにくいのかな? と考えていたので、自分でやるしかない、みたいなものがあって、経営者に絶対なろうと思ったんです。具体的に何かやりたいというよりは、とりあえず都会に出て、経営者や社長になりたいと思っていました。
――大学の学部は、目標があって選んだのですか?
商学部には推薦で入ったので、「入れたらいいや」と、最初はそういう理由でした。一応は経営系に関わりたいと思っていたので、選べる中から選びはしましたが。大学に通っている時から、Wスクールをやりながら、会計士を目指しました。とにかく経営者になりたくてその頃はビジネスプランみたいなものばかり考えていたのですが、考えても現実的にそれをどう作るのかはわからなくて。なので、まずはいろいろな会社を見てみよう、と会計士を目指したんです。
――会計事務所に入社してすぐの頃のお仕事はどのような感じでしたか?
忙しかったですね。会計士は会社に入ったら最初の頃は、仕事をしながら講習所というところに通わないといけなくて。テストがあるから仕事も勉強もしなきゃいけない、という感じでした。ですが、今振り返ってみると実は大して仕事をしていなかったなと、ふと思えてきます。今は代表取締役としていろんなことを常に考えていますが、言われたことをやる、という会計士の頃の働き方の方が、ストレスが大きかったので、すごく大変だったように感じているだけだと思います。実質の仕事に落としたら、今の方が働いています。
――何年ぐらい働きましたか。
実質、働いたのは1年10ヶ月です。それだけはしっかり覚えています。2年働くか、1年10ヶ月かでは、結構違います。資格を取ってから実務のところで働いて2年働かないと実務パスはできないんです。2年経ったらできるのですが、もし会社を辞めて1年10ヶ月の実務ができていなければ、今後会計士として無理なんですよね。わざわざもう次の逃げ道を作らないように、早くに辞めました。「もうあと1ヶ月か2ヶ月いたらボーナスが入るよ」とか、「せめてそこまで働いたら?」と言われましたが、そんなことよりも、保険ができてしまうことのほうが恐怖で。「もしボーナスをもらったら、次もらうまでもうちょっと頑張ろう」となって、ズルズル会計士を続けていく可能性が怖かったんです。
――辞める時に、次はこうしよう、というのは考えていたのでしょうか?
とりあえず辞めると決めました。頭マッサージのこともうっすら考えてはいたのですが、具体的な起業レベルまで考えていたわけではありませんでした。すぐに起業できるだけの確かな道が見えていたわけではなかったので、一旦いろいろな世界をみるためにアメリカにわたりました。しかしアメリカにいる間にビジネスプランがどんどん浮かんでしまって、もう頭マッサージをやりたい気持ちが出てきてしまって、結局早く帰ってきました。本当の予定は1年で契約していましたが、戻っていろいろ始めなくてはという思いが強くて、4ヶ月で戻ってきてしまいました(笑)。
――頭マッサージのことをやりたいと考え始めたのは、会計士の時からですか?
会計士の時には、それをビジネスにしたいとは思っていませんでした。どちらかいうと会計士の仕事で成果が出ていないとか、ストレスが強いとかで、仕事をしようと思っても眠くてできないことも。お昼休憩はご飯に行くのではなく、マッサージをして寝ていたかったです。ゆっくり寝たら何か改善するんじゃないか? 頭がすっきりしたら仕事も進むんじゃないか? という感覚だけがありました。でも探してもそういう場所がなかったんです。
まさかそれでビジネスをやるという感覚はなかったので、ただゆっくり眠れる場所があったらいいなと思っていました。でもアメリカに行くと、起業したい、早くビジネスをしたいという思いの方が強くなり、その時に自分しかできないものをやりたいと思って、アメリカでも頭のマッサージがないか探しました。ヘッドスパみたいなものはあるんですが、日本や他の国にも、ヘッドマッサージを専門でやっているところはどこにもありませんでした。だから「ないなら自分でやりたい!」と思ってアメリカからすぐに日本に帰ってきました。
――心配性だったと伺いましたが、次の仕事を決めずに会社を辞めたのはどうしてなのでしょう?
むしろ、心配性でビビリだったからです。確かに会社を辞める時の不安は大きかったんですけど、10年後、会計士として働いている未来の自分を想像した時の不安の方が大きくて、今より未来が怖かったんです。とにかくビビリだから早く辞めたかったです。
――アメリカからすぐに帰ってきて、まず何を始めたのですか?
自分で医学書解剖学を読んだり、マッサージの勉強でいろんな人に話を聞きに行くとか、、ありとあらゆる人のところに行きました。お医者さん、マッサージ師、そのほか治療の人に聞きに行きました。みんなに聞けば聞くほどわかってきたことは、結局頭のマッサージがないってことだったんです。みんなわからない。お医者さんも、マッサージの治療をやっている人もわからない。
そもそもマッサージって、筋肉のコリを取り除いたバランスを整えたりすることが主流で、その主な筋肉は骨格筋なんですよ。そうすると頭の場所ってほとんど骨格筋と呼ばれるものが存在しないんです。大部分が腱や皮筋に覆われていて、なので、マッサージの主たる場所は頭ではなく体だったんですよね。
答えを持ってないのなら、誰かが探さないといけないし、誰かが作らなきゃいけないから、だとしたら、私がそれをやろうと決めて、たくさん勉強しました。自分で勉強しても答えがないので、医学や解剖、生理学、といった大きなジャンルのものからマッサージ全般まで勉強し、そこから頭をほぐすって一体どういうことをすべきなんだろう? というのを自分で作り上げていくしかなかったです。
そのあとはすぐにお店を始めました。何が答えかわからないので、1回自分が作ったものを世の中に出すしかなく、お客様から答えをもらうしかないと思って、まず自分がいいと思うマッサージを作り、お店を出しました。もしいいものだったら残るだろうけど、必要のないものだったら淘汰される。自分の作り出すものが合っているかどうかは世の中が決めると覚悟していました。
(後編へ続く)
撮影/BOCO 取材/加藤景子
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