元フジアナ・阿部知代さん(61歳)「白髪も自分の一部なのに、悪者扱いするのはかわいそう」
テレビの黄金期だった1986年にフジテレビに入社し、個性派アナウンサーとして人気だった阿部知代さん。昨年7月に定年退職した後も、フジテレビで働き続けていることが話題に。「美容意識は高くない」と謙遜しますが、還暦を超えたとは思えないスリムなボディで、真っ赤なドレスに身を包んだ艶やかな姿は、さすが元“アナウンサー”です。
◆あわせて読みたい
▶【小林麻美さん・70歳】の現在「若さはあっという間だけど魅力は80歳でも消えない」
恋に落ちるように人生は穴だらけ。順風満帆でいるほうが奇跡
お話を伺ったのは…阿部知代さん(61歳)
《Profile》あべ・ちよ
’63年群馬県生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業後フジテレビに入社。アナウンサー、キャスターとして「FNNニュース」など多くの報道番組に携わる。「なるほど!ザ・ワールド」「笑っていいとも!」など、バラエティ番組でも活躍。パリ支局、NY支局に駐在経験も。’15年より報道局に異動。’23年7月定年退職し、現在も同局に勤務。
白髪も自分の一部なのに悪者扱いするのはかわいそう。定年から逆算して計画的にグレイヘアに移行しました。
還暦できれいなグレイヘアになるために、3年ほど前からゆるやかに移行してきました。3カ月に一度はアッシュブラウンにカラーリングし、日が経つにつれて伸びてきた白髪とうまく調和して、おもしろいようにスムーズにグレイヘアが完成しつつあります。
なぜグレイヘアを決意したのか?と周囲からものすごく聞かれます。私の場合、20代から若白髪で、3週間に一度カラーリングをしていました。毎回サロンで染めてもらうとお金がかかるでしょ。時折セルフカラーリングも挟みながらで結構大変でした。40代の頃かな、白髪も自分の一部なのに悪者扱いしてかわいそうだなと、ふと思ったんです。でも仕事柄決心がつかなくて。
定年をきっかけにカラーリングはやめようと決めて、50代後半から計画的に進めたんです。「途中、心が折れなかった?」とも言われるんだけど、ウイッグや帽子を楽しみながら、変化していく自分の髪にワクワクしていました。そろそろ完成に近づいています。
グルテンフリーで体重が安定。洋服をより楽しめるように
40代半ば、同年代の友達がシュッと痩せたんです。「どうしたの?」って聞くと、お肉を食べるとだるくなるから食べるのをやめたら痩せたって言うんですよ。私もやめようかなと言うと、「知代はグルテンじゃない?」って。確かに考えてみると、こんぴら歌舞伎を観に毎年香川県に行くんですが、朝昼晩と大好きなうどんを食べて帰ってくると、たった1泊なのに4kgも体重が増えて、体も重だるい傾向が。もちもちのピザや飲茶を食べても同じ症状を感じていました。そこで、イタリアンを食べに行くときはパスタをリゾットに、うどんより十割そばを、などと少しずつ移行。他は何もせず5kgほどするする落ちました。
20代は60kg近くあった時期もあり、ダイエットをしてはリバウンドの繰り返しでしたが、以降体重が比較的安定。でもある日、知人に勧められた最高に美味しいピザ屋さんで、久しぶりにいただいたら、その夜お腹がパンパンに張って、具合が悪くなりました。本当にグルテンが合わないんだと実感。もともと粉ものは大好きですが、あの苦しみを味わいたくなくてそれ以来ほとんど食べていません。少し食べることもありますが、特にもちもち系がダメ。天ぷらの衣くらいなら大丈夫なんですけどね。
今は野菜と納豆、キムチなどの発酵食品が中心。今朝は自家製ぬか漬け、卵かけごはん、お味噌汁。昼食は社食なら焼き魚定食系ですが、サラダバーがあるお店でランチをすることも。ひとり暮らしは何種類もの野菜を食べられないから、サラダバーは助かっています。
夕飯はお酒のおつまみをちゃちゃっと作り、ぬか漬けと干物を焼いて、と簡単です。お酒が好きで、大体ワインか日本酒を。冷え性なので一年中温かい飲み物(アルコールを除く)です(笑)。最近はコンビニに常温の水が登場し、あー良かったと思います。
痩せたことで、大好きな洋服がより楽しめるようになりました。太ると自己嫌悪に陥るので、お風呂上がりに毎日鏡の前で全裸チェック。腰回りに浮き輪が出現したら、晩ご飯の量を減らすなど、自分の体は自分で管理しています。最近気になるのはバストが下がってきたこと。母は私より胸が大きくて、驚くほど垂れたのを見ていたので、下着には気を配っています。カップ付きキャミソールはやめて補整ブラにし、ナイトブラもしています。
6年間で骨折5回。太腿を上げて歩くように
スキンケアは、お気に入りの化粧品をライン使い。浸透を高めるエキス、化粧水と美容液を朝晩。すごく調子がいいですね。シートパックは大好きですが週1で、勧められた美顔器は大事な日の前日のみ。意識高くないんです。
いずれ目尻にシワができるだろうと覚悟していたら、30代後半に目尻ではなく目の下にできはじめ、40代でくっきり出現。雑誌でマッサージ法を勉強したり、エステに通ったりしました。そのとき教えてもらったマッサージを思い出し、今もやっています。3カ月に1回、美容外科でシミ取りなどのレーザー治療も受けています。すっぴんの自分を見て、これで人に会うのは失礼だと実感し、外出時は最低限の身だしなみとして必ずメイクをしています。
運動はまったくしません。どうしてお金を払ってまで辛い思いをしなくちゃいけないの?と思うのでジムには行きません。その代わりよく歩きます。目的地まで2~3駅ならへっちゃらですが、荷物が多ければタクシーに乗るし、無理はしません。タスクを課すのは苦手なので。家では起床後と就寝前に脚上げや股関節伸ばし、前屈など簡単なストレッチをしています。
実はこの6年間で5回骨折してるんです。忘れもしない、’17年のクリスマス、友達とディナーの約束があり、歩いていたらスニーカーで躓いて、左の大腿骨頸部を骨折。痛くて歩けないのを堪えてお店まで行き、食事はしたものの明らかな異変を感じ、デザートはパスしてタクシーで救急病院へ。そのまま入院し、手術になりました。その後、左鎖骨、右鎖骨、肋骨、昨秋に右足の指のつけ根にひびが入りました。歩き方が原因で、太腿の筋肉が衰えて脚が上がらない。それ以降は太腿を上げながら歩くようにしています。
阿部さんの美の秘密
真っ赤な口紅がトレードマークです
赤い口紅はお守りのようなもの。常にバッグに入れていて、うっかり忘れたときもドラッグストアかコンビニに駆け込み、一番赤い色を探して購入。右は後輩たちからの還暦祝い。
電車やオフィス、劇場の冷房対策に欠かせない必須アイテム
クーラーに弱いので、私の防寒対策は真冬より真夏。バッグには必ずスカーフを忍ばせて。水筒には白湯を入れて持ち歩き、会社のデスク上にも湯沸かしポットを置いています。
ファッション用の伊達メガネのレンズを交換して老眼鏡に
昔から伊達メガネをコレクションしていたほどのメガネ好き。50歳以降はリーディンググラスが必要になり、レンズだけを入れ替えて、ファッションに合わせて楽しんでいます。
40代からスタートした浄瑠璃のお稽古で今も勉強です
後輩の結婚式で河東節を習っている方に出会ったのを機に入門。名取となり、十三代目市川團十郎白猿襲名披露にも出演。浄瑠璃だけでなく、礼儀作法など学ぶことがたくさん。
《衣装クレジット》
ワンピース(TADASHI SHOJI)
2024年『美ST』9月号掲載
撮影/吉澤健太 スタイリスト/にしぐち瑞穂 取材・文/安田真里 再構成/Bravoworks,Inc.
◆あわせて読みたい
▶スマホが命!デザイナー人生61年・鳥居ユキさん(81歳)現役感の秘訣