ハーバードに通うプロサーファー【五十嵐カノア】さん(27)、誰もが認める「ハイスぺ男子」の幼少期とは?

数多くのタイトルを獲得し、トッププロサーファーとして活躍する五十嵐カノアさん。5カ国語を操り、ハーバード大学の経営大学院であるハーバードビジネススクールで勉学にも励む一面も!爽やかな笑顔と真摯に話す姿が眩しすぎるカノアさん…まさにハイスペ男子。どうしたらこんなに素敵に成長するのか?その秘密は幼少期からの彼の習慣にあるようです。(第1回/全3回)

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五十嵐カノアさんprofile

1997年生まれ。木下グループ所属。カリフォルニア州ハンティントンビーチで父親のサーフィン姿を毎日眺めて育つ。3歳でサーフィンをはじめ、2016年史上最年少、アジア人で初めてプロサーフィンの最高峰WSLチャンピオンシップに参戦。2021年東京オリンピックで銀メダルを獲得。2023年アジア最上位枠を獲得し、パリ五輪に。文武両道に優れており、英語・日本語・ポルトガル語・スペイン語・フランス語を操り、飛び級をして15歳で高校を卒業、さらに、パリ五輪の代表争いが本格化する2023年の5月、世界最難関校であるハーバード大学ビジネススクールに合格し、スクール生活をスタートさせた。

欲しい!やってみたい!にとことん貪欲

カリフォルニアで生まれ育ち、幼少期から、自宅では話す言葉は日本語だけ、食事も日本食。ただ、一歩外に出たらアメリカ人として。まるで二つの世界に住んでいたようでした。自分の中ではそれが当たり前の世界として受け入れていたので全く違和感は感じていなかったです。

ハンティントンビーチで父が毎日のようにサーフィンをする姿を見て育ちました。バケーション先のハワイで3歳の誕生日を迎え、両親にプレゼントに何がほしいかを聞かれたとき、迷わず「サーフボードがほしい!」と答えていました。今思うと、サーフィンがやりたくてボードがほしかったのではなく、ハワイのサーフショップに置かれていた、鮮やかな黄色のボードが輝いて見えて、どうしてもそれを手に入れたい!と思ったんですよね。すごくカッコよかったんですよ。ホットウィール(アメリカのおもちゃ)を熱望した時と同じくらい、その黄色のサーフボードが欲しかった(笑)。値段の意味を理解しておらず、板がどんなに高価かも分かっていなかったので、両親は初めは「絶対買わないよ」と言っていたのですが、毎日通って「欲しい!」と言い続けていました。ハワイ滞在最終日にサーフショップで、「ボードを持っていかないと帰れないよ」と両親に懇願する僕に、そんなに言うのなら買う?と両親は根負け、買ったらどうする?と聞かれて、「波に乗る!」とアラモアナビーチへ。僕にとってはそれが初めてのサーフィンだったけれど、立ち上がって波に乗れちゃったんです。そんな姿を見て両親は驚いたみたい。今でも黄色のボードは大切に家に置いてあります。

子どもの頃からゼッタイ誰にも負けたくなかった

子どもの時から、みんながやらないことをやるのが好きでした。難しいこととか、チャレンジすることが好きなタイプ。どんなスポーツをやっても、“絶対優勝したい”と考えていたし、小さい頃は野球もサッカーもやっていたけれど、やるんだったら世界チャンピオンになりたいと考える子どもでした。母はそんな僕に対して「オッケー!」と言ってくれます。何かスポーツを始めるとき、最初は学校の1番になりたい、そして次にアメリカのトップになりたい、そのあと世界チャンプになりたい…いつも頭の中でそういうことばかり考えていました。負けず嫌いなんですよ。絶対負けたくない…人に負けたくない!父も、「うん、じゃあそうすれば?」って。他のスポーツは負けることも多かったけど、サーフィンだけは優勝していたんですよね。トロフィーをもらって「すごい」と言ってもらえる。負けることのあるサッカーや野球をやるんだったら、勝てるサーフィンやりたいなと。

“まずは勉強、サーフィンはそのあとで”…がルール

両親は、僕が子どもの時から何かを始めるたびにサポートしてくれました。プレッシャーも与えられたことはないですね。やりたいことをやっていい、ただし学校は大切で、それさえちゃんとやっていれば、それ以外はいいと言ってくれていました。特に小さい頃から言われていたことは、勉強が一番で、サーフィンはそれをやってから!ということ。面倒だと思うことはあっても、それが当たり前と思ってやっていました。「やりたい」・「やりたくない」の意思がはっきりしているので、「これをやって」と言われても頑としてやらないタイプ。両親はそれを理解してくれていて「こういうこともあるよ」と僕に提案してくれます。5歳下の弟もいて、キアヌもいつもサーフィンばかり。兄弟のキャラは全く異なり、僕は細かく考える方ですが、弟は難しい状況でも強気でいけるタイプ。彼を見て、そういう考えもあっていいな…とも思います。両親は、性格の違う僕らに対して、平等にサポートしてくれています。

両親が僕を信頼し与えてくれた、世界へのチャンス

12歳でスポンサーがつき、オーストラリアやヨーロッパに行くチャンスを得ました。父は「いいの?と…、12歳でまだ若いし危ないからやめたほうがいいんじゃない」と最初は心配していたけれど、どうしても行きたい!と伝えたので、僕の強い意志を尊重し、行っておいでと背中を押してもらいました。正直、自分だったら、12歳の息子には絶対行かせないと思います(笑)。父にとっては苦渋の決断だったはず。ただ僕には素晴らしい経験でした。そのときに出会ったプロサーファーからいい刺激を受け、それが今に繋がっていると思います。

もちろん失敗もあって、自分の考えの甘さから、いろいろトラブルもありました。10代の頃ですが、パスポートを飛行機に忘れて入国できないこともありましたね。小部屋に入れられ、苦しい時間でした。当時はパスポートを軽く考えていたけれど、それ以来パスポートは絶対になくさないと決めました(笑)。経験しないと、わからないものですよね。

困難なことに挑戦するのが喜び。また新たなトップを目指して

3〜4年くらい前からビジネスや経営学に興味を持つようになって、勉強したいな…と。昔から勉強がメインで、その次にサーフィンという感覚がベースにあったので、最近は勉強していないことを不思議にも思っていました。中学高校を飛び級して15歳で高校を卒業し、世界各国で活動する中で5カ国語をマスター、そして今回ハーバードビジネススクールで学ぶチャンスを得ました。パリオリンピック前年の9月からチャレンジすることになり、周囲からは「そんなことできないでしょ?」と言われましたけれど。勉強している時の集中力も面白いんです。勉強している時はサーフィンのことは全く考えない。サーフィンしている時は勉強のことは全く考えない。このオフとオンの切り替えが好きですし、努力して普通の人が考えもつかないことをやるのに強く惹かれます。ビジネスとスポーツを繋げたい気持ちが大きく、投資にも興味があります。大学院で学ぶことも楽しいですが、教授や素晴らしいクラスメートたちとの出会いにも感謝しています。詳しく説明をしなくても理解してくれるので話しやすいですし、年も近く、さまざまな目標を掲げる彼らの話に刺激を受けます。活躍する場は異なっていても、トップにいる人たちは似ているものなのだと…努力の意味がわかる人たちだと思いました。こう話していると、僕は子どもの頃から感覚は変わっていないのかもしれません。困難なことにチャレンジすることに喜びを感じること、トップを常に目指していること。これからもその挑戦は続くのだと思います。

撮影/森脇裕介 ヘア・メーク/RYO 取材/竹永久美子

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