星野真里さん(43)長女の難病「先天性ミオパチー」公表の裏にある思い
俳優として活躍し続ける星野真里さん。先日、9歳の長女ふうかさんが国指定の難病「先天性ミオパチー」であることを公表。日常や気づきを、素直な言葉で発信されています。「社会に知ってもらいたい」という思いを聞きました。
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[家族のコトバ]
歩けるようになることが娘の一番の夢ですが、電動車椅子を自在に操っています。
フェイクfoxジレ¥39,600(アルアバイル)中に着たニット/スタイリスト私物
娘のコトバ
「歩けなくてもいい。ママにずっと抱っこしてもらえるから」
2011年に、9年間お付き合いをした大学時代の先輩と結婚しました。どちらかと言えば気持ちの浮き沈みがある私と比べて、いつもフラットな夫。気遣いのできる優しい人柄にはいつも助けられています。 2015年に34歳で長女ふうかを出産。妊娠中はトラブルもなく、悪阻もなく至って順調。私の誕生日と近い日に生まれてきてくれました。しかし生後3〜4カ月ぐらいで同世代のお子さんの首が座り始めてもふうかにはその気配がなく、6カ月検診の際に、小児の総合病院での受診を勧められました。
そこで初めて先天性ミオパチーの疑いがあることが判明。それから2歳になるのを待って筋性検査を受け、病名が確定しました。確定するまでは途方もない不安が付き纏い、病名が判明した時には事実を打ち消すことができない現実に直面しました。でも同時に、「親として何ができるか?」を考えるようになりました。受け入れることで見えてくるものがあると知ったのです。また、療育へ行くようになり、状況の違いこそあれ、ひとりではないと感じ、支えてくださる方々がこんなにもたくさんいることにも勇気づけられました。
夫のコトバ
「謝ることはやめよう」
娘のおかげで新たな
喜びを感じられるように
夫からは娘の病名が判明した時、「謝ることはやめよう」と言われました。娘はごめんなさいと謝られるような存在ではないからです。つい自分を責めてしまい、謝ることで気持ちを軽くしてしまいそうな時は、この言葉を思い出してきました。その代わりに「生きていてくれてありがとう」と声をかけるようになりました。また、娘の願いは歩けるようになることですが、「歩けなくてもいい。ママにずっと抱っこしてもらえるから」と言ってくれた時には体力をしっかりとキープしなきゃ、と心を新たにしました。 出産祝いでいただいたものの中には、すぐに使うことのできないものもいくつかありました。バンボというベビーチェアもそのひとつ。ですが、なかなか手放すことができずそのまま家に置いてありました。2歳を過ぎた頃、ふと「試すだけ試してみる?」と座らせてみることに。そしたらなんと座れたのです! 涙が流れるほど嬉しかった。その後、幼稚園で砂遊びをする時などにも大活躍。できないことがたくさんあるからこそ、少しでもできた時に大喜びできるのだと思います。
幼稚園に通っていた頃だと思います。「ちょっとだけ死にたい」とふうかに言われたことがありました。「死」をどれほど理解していたのかはわかりませんが、私にとってかなりの衝撃で、気持ちに寄り添い、ただ一緒に泣くことしかできませんでした。このことを夫にメールで伝えたところ、彼は帰宅するなり、悩みを抱える子どもに対して親はどう振る舞うべきなのかを、まるでプレゼンテーションのように理路整然と一生懸命に説明してくれたのです。色々と調べてくれた上での説明だったのだと思いますが、なんだかとても面白くなってしまって。たとえ何があったとしても、夫と一緒なら笑っていけると思えた瞬間でした。また、人に頼ることができずに苦しんでいる人がたくさんいる中で、多くの方に出会い温かさに触れられることに何度も涙しました。娘のおかげで、生きていくために必要な人に頼ることが少しずつできるようになってきています。 6歳下の私の妹には、ふうかと同い年の娘がいます。7月生まれの娘と12月生まれの妹の娘。初めての子育てをともに奮闘してきた間柄。子ども達が幼い頃は車で1時間半ほどの距離だったので、頻繁に会っていました。性別も同じ、そしてほぼ同じ時期に生まれていることもあり、確かに比べてしまう対象でもあります。「なぜ私は…」「どうしてこの子は…」という負の感情が芽生えてしまうことも事実ですが、一緒に生きてくれ「助けて」と言える存在がそこにあることがとても心強く、安心感に繋がっています。
妹はさらに2人の娘を出産し、3人とも元気に育っています。そんな妹の家に、ふうかひとりでお泊まりに行かせてもらうこともありました。海水浴デビューも一緒。何かに挑戦する時の頼もしい仲間でもあります。 妹には幼い頃意地悪をしてしまったこともあるのに、毎年私のお誕生日を祝ってくれ、「憧れのお姉ちゃんだよ」と伝えてくれます。賑やかな5人きょうだいで育ったので、どうコミュニケーションをとってきたのか思い出せませんが、いま言葉で伝えてくれることで頑張ることができています。肩書きや役割は時に人を苦しめるものでもありますが、「姉」として憧れの存在であり続けたいと感じています。
妹のコトバ
「憧れのお姉ちゃんだよ」
娘の挑戦を尊重し
後押ししていきたい
娘の成長に不安を抱えていた時、ネットを通して様々な方のたくましく生きている姿に勇気づけられてきました。いつかその恩返しがしたい、誰かの心を少しでも支えられたらという思いがずっとありました。その一歩を踏み出すために、資格取得を考えたのです。娘がお世話になってきた理学療法士や作業療法士も考えましたが、福祉の世界を広く知ることのできる社会福祉士の資格を選択。今では、資格保持者として恥ずかしくないように、と自分を律する柱となっています。 娘のインスタグラムを始めたのはYouTubeを観て、SNSに憧れた娘が「やってみたい」と言い出したからでした。当初、私はただでさえ注目を集める娘は大勢の人たちに見られることが嫌なのではないかと心配していたのですが、本人は全く意に介すことなく、前向きに捉えていたことに驚きました。幼い頃から電動車椅子を使用していたので、周囲の視線を浴びるのが通常。私のほうが常にビクビクしてしまっていたのです。私ですらプライベートで注目されてしまうことに躊躇してしまうだけに、娘の強いメンタルを素晴らしいと感じています。 私たち家族の姿を公表したもうひとつの理由は、「状況を知ってもらうことから始まる」と思ったからです。まずは私たちの日常をお伝えする。その先にある目標は、私たちが関わった方々や福祉制度、アイデアなどを紹介すること。ふうかとの出会いで、福祉の温かさを知りました。小さなホームページかもしれませんが、それらをアップしていくことで広く社会に知らせることができたら。娘のコラムも掲載し、彼女が感じたこと、言いたいことを広く伝えたいと思っています。 娘は好奇心も旺盛で、子どもなりに様々なものを吸収しているようです。教えたことはないけれど、メイクに興味があり、自分もしてみたいと言い出しています。また、最近はASMRにも挑戦してみたいと思っているようです。
ふうかちゃんのインスタ(@fuka_9_)には家族の会話が上がることも。
ニット/スタイリスト私物
社会へ発信することで
バリアフリーになってほしい
「今」がいつまで続くかわからないのは誰にとっても同じこと。娘を通して感じた“限りある時間”を意識し、一日一日を大切に生きたいです。日々の中で、娘の死を身近に感じたこともあります。終わりがあるからこそ、今あることを改めて感じられるのです。健常者にとってはただの風邪でも、娘にとっては生死を分けることもあります。幼い頃は喉がゴロゴロしてきたら痰を吸引しなければならずずっと傍で見つめていなくてはならないことも多々ありました。不安はあるけれど、「生きている」。生きていてくれることが嬉しい。それをシンプルに感じられることが私の強みだと思っています。 喋ることや話のキャッチボールがあまり得意だと思えない私にとって、自分のペースで文章を綴ることは性に合っているのか、SNSでの発信は苦ではありません。ふうかにも同様に、表現することで周りの人を動かし、やりたいことを達成していってほしい。また、今後、社会に出る時にどのようにすべきかを娘と考えていくつもりです。バリアフリー化が進んで欲しい気持ちもありますが、根底には申し訳なさもあるのです。ただ、声をあげることはとても大切だからこそ、ものを言えるような社会になってきたことが何よりも嬉しいです。これからも私達らしい発信を続けていきたいと思っています。
Profile
星野真里(ほしのまり)さん
1981年生まれ、埼玉県出身。青山学院大学卒業。幼少期より子役として活躍し、「3年B組金八先生」で認知度を高める。NHK大河ドラマや連続テレビ小説をはじめ、ドラマ、映画、CMなどで活躍中。短歌が趣味で、SNSやブログでの発信にもファンが多数。星野真里さんインスタグラムは@mari_hoshino.7.27
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撮影/吉澤健太 スタイリング/YOSHINO ヘア・メイク/松永奈巳〈グルーチュ〉 取材・文/金沢由紀子 編集/本間万里子
*VERY2025年2月号「家族のコトバ」より。
*掲載中の情報は誌面掲載時のものです。商品は販売終了している場合があります。