【続】港区女子、最終章── 理想を叶えたシングルマザーが、パパの「老後も一緒に」の言葉にゾッとした夜

「港区女子」。それは何かと世間の好奇心を煽る存在。

彼女たちは一体どんな女性なのか? そんな議論が度々上がるけれど、港区で暗躍する素人美女、パパ活女子、あるいはラウンジ嬢など……「港区女子」の意味合いや捉え方は人それぞれ。

そして謎に包まれた彼女たちにも時間は平等、歳をとる。港区女子たちは、一体どんな着地をしているのだろうか。現在アラフォーとなっていると思しき元港区女子たちの過去と現在に迫る。

※この物語は実際の出来事を元にしたフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません

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「有名校じゃないのに…」30万人に崇拝される“港区ママ”インフルエンサーが、“負けた女”の娘に抱く嫉妬の正体

▼そのほかのお話、連載はこちらから
『サヨナラ、港区女子』

“存在感”を置いていく彼

息子が寝静まったあとのリビングで、今日も私はひとり、スマホの画面を見つめている。

「#子どもがくれる強さ」「#自分育て」「#シングルマザー」

こんなタグをつけた投稿に、爆発的に“いいね”がついていく。今日も私は人生をうまく編集している。

このところ、東堂さんが頻繁に会いに来るようになった。

息子に絵本を届けたり、お迎えに同行したり。父親らしいことを演じたいのか、特に干渉はしないものの、確実に“存在感”だけは残していく。

今日も彼は息子と私をディナーに連れ出した。

麻布十番の裏手に小さなレストランのシェフは元三ツ星出身で、奥の個室で「お子さま用に」と出されたのは、低音調理された牛フィレ肉とトリュフの香るオムレツ。

息子は静かにそれをたいらげ、親子の外食時間は平和に過ぎた。

“与える男”の末路

「最近、一番落ち着くのは、亜希たちといるときだな」

食後、東堂さんは私の部屋のリビングでワイングラスを手に呟いた。

「家のことはもう放ってる。嫁も、娘たちも。あいつらは僕を必要としてないからね」

少しかすれた声に、私は笑って頷く。

「……このまま老後まで君がそばにいてくれるなら、家も生活も、一生守るよ。最近、夜中に目が覚めることが増えてね。誰かがそばにいてくれたら、と思うんだよ」

静かに、私の腰に手がまわる。硬い手のひらの重みに、不意に背筋がすっと冷えた。無言でグラスを傾ける私に、彼は少し声を低くして続けた。

「もちろん、亜希の自由にすればいい。もう君は十分お金はあるしね」

彼の目尻に刻まれた皺が、いつになく深く見える。疲れているのか、老いなのか、あるいはもっと根深い何かだろうか。

「……ただ、君に僕が必要ないなら、僕が君を維持する理由もなくなる。それだけのことだよ」

その言葉が、じわじわと体に染み込んだ。まるで経費削減を告げるような、冷たくて整然とした、そしてどこか悲痛な口調。

あの東堂さんが、そんなことを言う日が来るとは思っていなかった。

かつて、すべてを与える側だった男。

“選ぶ”立場だった彼が、いまは“選ばれる老後”を探している。そしてその候補に、私が含まれていることにぞっとした。私はいつのまに“世話係”を役づけられたのだろうか。

私は曖昧に笑いながら、赤ワインの渋みを舌の上で感じていた。

 

支配された自由

仮に、この家を出て、新しい人生を歩むことになったら――。

それを考えると、どうしても身がすくむ。私が時間と労力をかけて築いたこの世界は、きっと崩れてしまう。インターの高額な学費、家賃、サロンの経費と生活費。女ひとりでこのライフスタイルを守り抜くには、さすが無理がある。

誰よりもうまく、自分の力で人生を編集してきたつもりだった。

でも私は、確実に支配されているのだ。私の人生には、東堂さんの名前がしっかり刻まれている。

翌朝、私は重たく残るワインの頭痛をこらえながら、いつものようにスタンドを組み、カメラの前に立った。

白いシャツワンピースで、背中だけが写る、朝日が差し込むカット。

――今が、いちばん自由で幸せです

キャプションを添えて投稿ボタンを押すと、笑いが込み上げた。まるで茶番だ。でも私には、この舞台から降りる自由なんてない。

 

まるで“絵日記”のインスタから目を離せない理由

最近、やたらと由利のInstagramを見に行ってしまう。

フォローはしていない。なのに検索バーに彼女の名前を打ち込む指は、迷いながらも確実にそこへたどり着く。

彼女の投稿はまるで絵日記だ。

構図も照明も甘く、加工のセンスもない。おそらく港区近辺ではない、どこだからわからない凡庸な住宅街。ときどき部屋の奥に洗濯物や散らかったおもちゃが映り込んでいて、見せる意識なんてゼロに等しい。

私からすれば、あまりに雑で、不器用な世界。

でも、何度もスクロールするうちに、ふと気づいた。目が離せないのは、むしろその生活感なのだ。

かつて彼女も東堂さんの女で、贅沢をたくさん与えられていた。

しかし現実離れした贅沢は、幸運ではなく呪いなのかもしれない。

贅沢という名の呪い。“選ばれること”の報酬として失うのは、自分自身の人生。誰かの憧れとして飾られながら、私たちはただ、彼の描く舞台の上に立たされるだけ。

おそらく由利は、何かの拍子に、この呪いを解いたのだ。穏やかに微笑む彼女の笑顔がそれを物語っている。

さらに私は――気づいてしまった。

彼女の投稿を見ていると、どこか癒される自分がいることに。

スマホの向こうで、あんなに地味に生きているはずなのに。その等身大の笑顔に、私はおそらく、何度も救われている。

自分の人生を選び直した女。

それは私が、いちばん怖くて、いちばん欲しい未来だった。

「ぼくの顔、見てる?」

ぼんやりスマホを見つめていると、ベッドの脇から、小さな声がした。

「ママって、いつもスマホ見てるよね。ぼくの顔、ちゃんと見てる?」

はっとして振り向くと、薄暗い部屋の中、すでに寝たはずの息子がじっと私を見ていた。そのまま私の頬に手を伸ばし、指先でふにっとつつく。

「……ぼくは、ママの顔ばっかり見てるのに」

一瞬、時間が止まった気がした。

「そうか……そうだよね……」

視界がぼやけて、スマホを持つ指先がかすかに震える。

息子はまたすぐに寝息を立て始めた。私はスマホを置き、息子を抱き寄せる。ゆるくカールしたまつげ。すこし開いた口。静かな寝息。甘い汗の匂い。小さな背中に手のひらを重ねた瞬間、こらえきれずに涙があふれた。

声を上げることもできず、ただ静かに、私はぽろぽろ泣いた。長いこと泣けなかったせいか、しばらく崩れるように涙が止まらなかった。

この子の顔を、ちゃんと見ていたい。

この子と私の人生を、誰かが作り上げたものでなく、私たち自身で選んでいきたい。

この子がいてくれるなら、きっと大丈夫。

私は、自分の足で立てるはず。完璧じゃなくていい。無理のある理想じゃなくていい。この子の目を、ちゃんと見られる私でいたい。

――明日、東堂さんと話そう。

息子のぬくもりの中で、私はそっと目を閉じた。

―FIN―

小説/山本理沙
作家・コラムニスト。ミモレ、現代ビジネス、東京カレンダーWEBなどで人気連載を多数執筆。『不機嫌な婚活』(講談社)や2022年にドラマ化された『恋と友情のあいだで』(集英社)など、東京で生きる女性のリアルな心情を描いた作品が話題に。Podcast「ママの休憩所」も好評配信中。

イラスト/黒猫まな子

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