総合職から専業主婦、駐妻に。2児の母が再び「自分の仕事」を見つけるまで

結婚、妊娠を機に転職するはずが夫の転勤、海外赴任が決まり、帯同のために専業主婦になった岡野優子さん。東京、広島、京都、ロンドンへの移住を経験した後、現在は自営業、高校講師、キャリアコンサルタントとしても活躍中です。「専業主婦経験があったからこそ今がある」という岡野さんに今の働き方について伺いました。

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夫の突然の転勤…迷いながらも専業主婦に

──大学卒業後、鉄道会社に総合職として入社するも、結婚・出産を機に30歳で退職。当初は家業の不動産業を継ぐつもりでの退職だったそうですね。

20代の頃は、始発で会社に行って終電で帰宅。忙しい時期は、深夜に近所のファミレスで仕事を続けて……なんて仕事一色の日々でした。社内ではさまざまな分野の仕事を経験することができ、やりがいも大きかったのですが「この生活は持続可能じゃないな」と限界も感じていて。いずれは家業を継ぎたいと思っていたので結婚した30歳のタイミングで転職を決意。その後すぐに妊娠が発覚したので、出産後に新しい仕事を本格スタートさせる予定でした。

産後に新しい仕事をスタートするはずが、夫の転勤に帯同することに……。

 

──30代は「育児と家業の両立」をイメージしていた岡野さんでしたが、家業に転職するタイミングで夫の転勤辞令が。同行するために仕事を休み、専業主婦になることに迷いはなかったのでしょうか?

「これからは育児と仕事を両立させて、いずれは後継ぎになるため勉強するぞ」と意気込んでいた矢先の突然の辞令でした。当時は実家のある京都に住んでいたのですが、夫の東京赴任が決まったのです。帯同するためには、働き方を変えざるをえません。自分の意志とは関係ないところで思い描いていた未来が変わってしまい、自分のキャリアが途切れることへの焦りや不安はありました。でも、第一子が生まれたタイミングでもあったので、やはり今は家族が一緒にいることがベストだろう、と迷った末に同行を決めたんです。

第2子出産後には夫の海外赴任が決まりました。迷った末、家族で帯同することに。

 

当初は「社会とのつながりがなくなる」不安もあったけれど…

──東京生活も長くは続かず、今度は東京から広島、その後、第2子出産後にはロンドンへの海外赴任も経験されています。度重なる転勤に、同行する岡野さんの心境にも変化はあったのでしょうか?

30代のうちの引っ越し回数は、細かいものも数えると8回にもおよびました。東京へ同行した当初が精神的にはもっともきつかった気がします。「社会とのつながりがなくなってしまった」と、渇望すら覚えながらの東京での生活でしたが、いざ始まってみると新しい人と出会いも多く、思いのほか楽しくて! 子連れで参加できる仕事術や時間管理のセミナーを企画するなど育児中にもできることを自分から探すようになりました。

次の夫の広島転勤の際には、「新たな場所では何をしようかな」と、引っ越しも前向きな気持ちで受け入れられるように。とはいえ幼い子どもを伴っての度重なる引っ越しは大変な面も多く、広島の後、再びの東京赴任の際には、第2子が生まれるタイミングだったこともあって、夫には単身赴任をしてもらいました。ただ、ちょうどコロナ禍に突入し、家族が会いたくても会えない期間が続いたんです。その後に決まった約2年間のロンドン赴任には、当時5歳の長男と1歳の長女を連れて家族みんなで行くことにしました。

イギリスで通っていた現地校では、息子にシリア人の親友ができました。私も自宅にお邪魔するなど、家族ぐるみで仲良くするように。その後に起きたトルコ・シリア地震の際に、「彼らの母国のために何かできないか」と子どもたちと話し合い、出会ったのが、現在アンバサダーを務めている団体「Piece of Syria」です。シリアの教育支援に関わる活動の広報支援など今も親子で活動を続けています。

 

転勤先でのママたちとの出会いがその後の仕事のきっかけに…

──幼い子どもたちを連れての転勤生活は、それだけでも大変なはず。にもかかわらず、岡野さんは先々でさまざまな活動にトライされています。きっかけは何だったのでしょう?

最初の帯同先の東京での出会いが大きかったですね。生まれたばかりの長男を抱えての専業主婦生活だったので、誰かと知り合う先は、主に近所の児童館。そうなると、大人同士の会話でも主語は子どものことが中心になります。それもいいのですが「せっかく知り合ったママの内面も知りたいな」と思うようになったんです。あるとき、その話をしてみたら、同じように感じている方も多いことに気が付きました。現在は子育て中心の生活を送っているけれど、過去に意外なキャリアを持っているママも多くて。

 

──それを機に、子育て中の女性自身の生き方やキャリアをテーマにしたイベントも開催するようになったそうですね。

活動は次の引っ越し先の広島でも続けました。30代最後の年には国家資格のキャリアコンサルタントも取得し、現在は子育て世代のキャリア支援を目的とした団体を立ち上げて活動しています。

引っ越し先でも、キャリアや時間術などさまざまなセミナーを自主開催しました。

 

──夫の転勤に帯同しながらも、新たな分野へのチャレンジを続けた岡野さん。「ゆっくり子育てだけに専念しよう」と思ったことはなかったのですか?

仕事を辞めずに会社員を続けていたら、「育休中は子育てに専念しよう」と思っていた気もします。でも私の場合は、会社を辞め、仕事も思うように続けられず……という経験をしていたので、「社会との接点が欲しい!」という気持ちが大きかったのかも。自分のキャリアが思い通りにはいかなかったことが原動力になっていたように思います。

最初の頃は、「夫の仕事の都合で、なぜ自分ばかりが犠牲に?」と、憤りを感じていたのも本音です。でも今になって思うのは、専業主婦時代があったからこその気づきや、今の仕事に活きるスキルをたくさん得られた気がするんです。

度重なる転勤帯同など、「人生思い通りにいかない」と感じた経験は今の仕事にも活きています。

 

──現在は、さまざまな仕事を掛け持つパラレルワーカーとして活躍中の岡野さんですが、「これまでの経験が武器になっている」という実感もあるのですね。

子育て期間はキャリアの中ではブランクのように捉えられがちですが、私はそうは思いません。専業主婦時代の経験が、今になって本業にもほかの仕事にも活きていると思えるようになりました。現在は縁あって、高校で「女性学」の講師もしています。私がキャリア支援の活動をしていることを知った母校の先生が声をかけてくださったことがきっかけで、週に1回のペースで授業を行っています。生徒たちは、自分自身の進路や将来のことに迷いがある年齢ですが「世間の求める女性像にとらわれることなく、自分軸を持って未来を選択してほしい」と、授業を通して伝えたいと思っています。

PROFILE

岡野 優子(おかのゆうこ)さん

1984年生まれ、京都市出身。早稲田大学政治経済学部を卒業後、鉄道会社に総合職として入社。結婚・妊娠を機に30歳で家業を継ぐため転職するも、直後に夫の転勤が決まり休職。専業主婦として大阪、東京、広島、京都を経てロンドンに駐在。2023年に家族で帰国後は、実家のある京都に戻り家業に復職。本業の傍ら、高校の非常勤講師や子育て世代のキャリア支援を目的とした団体「De ma vie」を主宰。シリアの教育支援に関わるNPO「Piece of Syria」のアンバサダーとしても活動中。2024年にはステージ1の乳がんが発覚し、摘出手術を受ける。自身の活動や今の思いを綴るnoteはこちら

取材・文/小嶋美樹

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