石川梨華さん(40)歌・ダンス経験ゼロ、15歳でモー娘。に「最初は“ネガティブ石川”って言われてました」
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多くのCLASSY.世代が子どもの頃に憧れたレジェンドアイドル、石川梨華さんが登場!モーニング娘。ではセンターも務め、清楚で可愛らしい雰囲気と歌声で絶大なる人気を集めたアイドル時代のエピソードから、2人の元気な男の子の母として奮闘する現在の石川さんのプライベートまで、2回にわたってお届けします。
Profile
1985年1月19日生まれ。神奈川県出身。15歳でモーニング娘。第4期メンバーに選ばれ「ハッピーサマーウェディング」でデビュー。2005年モーニング娘。を卒業。美勇伝などのユニット活動、ソロ活動を経て2017年に結婚、2児の男の子の母に。2023年にはハロー!プロジェクト25周年ライブに出演し話題に。デビュー25周年の今年はディナーショーを開催予定。
15歳で突然夢が叶って、ひたすら走り続けたモー娘。時代

――15歳で加入して20歳で卒業するまで、モーニング娘。として大活躍されました。どのような5年間でしたか?
私、芸能人じゃなくて、モーニング娘。になりたかったんです。なので、初めて受けたオーディションでいきなり夢が叶ってしまいました。中学3年の春休みに、高校生になる予定が一転、モーニング娘。のメンバーに。歌・ダンス経験ゼロの状態から1ヶ月後には武道館のライブでのお披露目が決まっていて、歌とダンスを必死で覚えて、がむしゃらに頑張る日々でした。メンバーとの初対面は「ハッピーサマーウエディング」のジャケット撮影。夢が叶った気分に浸るどころか、憧れのメンバーを前にド緊張していました。
そこから、別のユニットやカントリー娘。との活動、写真集の撮影、演技やバラエティの仕事まで、与えられたものを全力でやり続ける日々。「モーニング娘。って色々やってすごいんだな」と思いながら、息つく間もなく、体調を崩している暇もありませんでした。当時、連休のお休みはもらえて2~3日。休みで実家に帰った途端、熱で寝込んで、何もできずに一日中家にいて、治してまた仕事という、その繰り返しでした。休みの日=寝て、体を休める日。この頃が一番忙しかった時期でした。
自信がなく、ネガティブだった私を周りの人が変えてくれた
――休みが取れないほどオファーが絶えない中で、悩んだことなどはありましたか?
デビュー当時の私は、自信もなくて、すごくネガティブだったんです。憧れの先輩たちに追いつけ追い越せどころか、ついていくのに必死で。ある日、事務所の社長に「石川の口癖、わかるか?」と聞かれたんです。「最近どう?」という声かけに、私はいつも「だめなんです…」と答えていると…。「今の石川は“ネガティブ”って言うんだよ。だけど、反対の意味で“ポジティブ”っていう言葉があって、そうなると前向きに物事を考えられるようになって、もっと楽しめるし、自信もつくんじゃないか?」と言われてから、ことあるごとに、“ポジティブ、ポジティブ”と自分に言い聞かせるようにしたんです。パワフルなメンバーが多い中、暗くて大人しく、すでに「ネガティブ石川」と呼ばれていた私は「これからはポジティブ石川でいきます!」と宣言。いろんな先輩からもアドバイスをいただき、次第に「楽しいかも」と思えるように。1年くらい経って「ザ☆ピ~ス!」という曲でセンターを任せてもらえたときにやっと「あ、私も必要としてもらえているんだな」と思えました。
「キャラがない」から始まり「ぶりっこ」のイメージに悩んだ

――個性豊かなメンバーの中で、どのようにポジションを確立していかれたのですか?
「石川はキャラがない」と加入して半年くらい言われていて。「私のキャラは何だろう?」と考えていました。そんな中「ハロー!モーニング。」という番組で、チャーミー石川というキャスターの役をいただき「いいね」と褒めてもらえたことで、「これが私のキャラかも」と見つけた感がありました。
チャーミー石川は明るくて、可愛らしくて、ちょっとぶりっこな感じ。3人姉妹で育った私は、そのキャラを作ろうと思っていたわけではなく、自然にやっていたことを先輩たちに突っ込まれて、面白いと思ってもらえたんです。例えば、洋服に「お洋服」と「お」をつけたり、物を持つ時に小指が立っていたり。体育会系でパワフルなメンバーの中で、私のような感じの子がいなかったこともあり、キャラができていきました。
一方で、無意識でしていることを「ぶりっこ」と言われるのがすごく嫌で。実は中学生の時、声が高いことを学校で「声を作ってるの?」と言われ、ショックを受けたり。それでも「つんく♂さんには声の個性を評価してもらえたのだから、そこは自信を持っていいんだ」と自分に言い聞かせました。衣装もお嬢さまっぽい帽子やワンピースが多かったりしたのですが、プライベートではダボダボのデニムにTシャツを着て、ボーイッシュな恰好をしていました。わざとあぐらをかいてみたり。「可愛く見られたくてやっているわけじゃない」という反発する気持ちがありました。
モーニング娘。では中間管理職のポジションに

――モーニング娘。の中での人間関係はどうでしたか?
教育係の圭ちゃん(保田圭さん)には、歌に対しての向き合い方を教えてもらったり、かおたん(飯田圭織さん)はラブ&ピースな人で、私がネガティブな時は、ラジオの最中でも愛のある言葉をくれたり、助けられました。
同期で私が一番年上だったので、何かあると代表して私が怒られることも。なので、「そうなる前に注意しなきゃ」と小姑キャラみたいになったりもしました。中間管理職的な板挟みポジションですよね。(笑)人に注意する分、自分にも厳しかったです。モーニング娘。だけじゃなく、家でもずっと3人姉妹の真ん中で姉と妹に挟まれて育ったので、自然と上と下に気を使って、うまくバランスを取れるようになっていたのかな。なので、モーニング娘。での中間管理職的なポジションは私には合っていて、居心地もよかったと思います。
生真面目で不器用。「適当」が許せなくて、頑張りすぎなほど全力でした
――当時は自分に厳しかったのですね。
ありがたいことに、たくさんのお仕事をいただいていたのですが、すごく不器用なんですよ、私。さらに昔から「生真面目だね」と言われ続けている性格。だから全部を100%でやろうと、いつも、いっぱいいっぱいでした。「適当」って決して悪い言葉ではないじゃないですか?でも10代、20代の頃は「適当」がありえなかった。ダンス、歌詞、フォーメーションなど記憶するものは絶対に間違えないように事前に準備して、自分にできることは全力で頑張っていたので、これ以上頑張れとは言われなかったですね。むしろ「たまには肩の力抜きなよ」と言われていました。だからこそ、自分の中で後悔していることってないんです。
少し肩の力を抜けるようになって楽しくなってきた20代
――モーニング娘。卒業後も多方面で活躍されていましたが、その時のことを教えてください。
20代は、コンサートが終わったらドラマ、それが終わったら舞台…と、一つの仕事が終わってすぐ次の仕事という日々。100%全力でやりたいので、ドラマや舞台は本業の方達と同じレベルまで頑張らなければとプレッシャーを自分にかけていました。特に舞台は生なので、1日終わるごとに「ああ、寿命が1日縮まった」と思いながらやっていました(笑)。根本的にはネガティブで自信がないですから、安心材料として努力するしかなくて、出番ギリギリまでセリフを読んでいましたね。
20代も仕事に対して全力な向き合い方は変わらなかったのですが、プライベートの時間が増えたので、オフも楽しんでいました。買い物をしたり、旅行に行ったり、お酒を飲んでリフレッシュしたり。程よく肩の力を抜いて息抜きできる時間を作れるようになって、振り返ってみると20代は楽しかったなと思います。
あらためて当時を振り返ると、スペシャルな人生を送って来られたことは、自分の中でも宝物ですし、嫌だったことが思い出せなくて。楽しかったこととか、苦楽を共にした仲間がいたことばかりが思い出されます。自分の中でも青春時代にいい人生を送って来られたなと思っています。
ジレ¥19,800スカート¥24,200(ともにアルページュストーリー/アルページュストーリー プレスルーム)サンダル¥17,050(ダイアナ/ダイアナ 銀座本店)イヤーカフ¥25,300<Pearl for Life>ネックレス¥14,520<ポピー・ケー>バングル¥13,200<オーロラ>リング¥12,000<Maria Jewelry>(すべてロードス)
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撮影/河内彩 スタイリング/中村真弓 ヘアメーク/山下智子 取材/加藤みれい 構成/越知恭子