『踊る!さんま御殿‼』に初出演【石田さんチのお母さん】が語る子育ての心得「学校卒業後は我が子でも他人。でも愛は絶対」

1997年から「石田さんチ」の愛称で親しまれてきたドキュメンタリー番組『7男2女11人の大家族石田さんチ』。リアルな家族ドラマに心を掴まれた人も多いはず。前回取材をしてから、2年半。千惠子さんと再会し、玄関での第一声が「前のときはまだ60代だったのね~」と。お会いするたびにファンになります。今回は「踊る!さんま御殿!!」に出演されたということで、収録の裏側や、大家族ならではの貯金の仕方、巣立った子どもたちへの想いをお聞きしてきました!(4回中1回目)

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「踊る!さんま御殿!!」に出演。ヘアメイクが嬉しくて今まで頑張ったギフトだと思いました

今回さんまさんの番組からお声がかかって、出演してきたんです。私が「ニッポンのお母ちゃん」という密着番組に出演して放送されたのが1997年10月なんですが、なんと「踊る!さんま御殿!!」も同じ年の同じ月に放送が開始されたと聞いて勝手にご縁を感じましたね。歳は私よりさんまさんが1つ年下なんですが、さんまさんって年配の方には親切だって番組スタッフさんから聞いたので、まず私は先輩よっていうことをアピールしておきました(笑)。

収録のときのヘアメイクはプロの方に綺麗にしていただきました。収録前にスタジオに入るときは入り口で待っていてくれて、口紅をお仕上げにしてくれたんですが、すごく嬉しくてね。今まで頑張ってきた私へのギフトだと思いましたねー。

収録現場には末っ子の隼司も一緒に行きました『石田さんチ』ではだいぶ激しい反抗期が放送されちゃった隼司だけど、もう2児の父親で。今はマイホームを建てているところで、いくらかかったなんて絶対聞けないわよ(笑)。隼司なりに計画があって頑張ってるみたいだから、お金は出せないけど陰ながら応援してます。

慣れない収録でしたが、いつの間にか緊張もほぐれ別のことを考えていましたね(笑)。

慣れない収録の現場で最初は気を張っていたからか、収録が長くなってくると段々緊張もほぐれて、集中力が切れてしまって(笑)。だってね、オンエアは45分だけど収録って2時間くらいあるんですよ。番組のスタッフさんに、「いつカメラで抜かれるかわからないので、常に意識しておいてください」と言われていたので初めの方は頑張ってニコニコしていたんですが、途中でもう疲れてしまって。最後に「石田さん、どうですか?」ってさんまさんに話を振られたとき、ちょうど違うことを考えていて(笑)。エピソードを話さないといけなかったんですけど、みなさんの大家族の話を聞いていると「我が子たちはきょうだいが多いことにどう思っていたんだろう~」と昔を思い出しちゃってましたね。大家族のテーマだったのに、一回も大家族の話をせずに終わっちゃいました。ちなみに余談だけど、私は一人っ子なのよ〜(笑)。

私の場合、芸能人ではないし爪痕残そうとか、頑張ってお話ししないとっていうプレッシャーもなかったので、いつもの私で楽しく参加できたんだと思います。終わってからみんなで写真を撮ったんですけど、私は最初謙虚に後ろにいたんですよ。そしたら「石田さん前に行ってください」って言われて、前に出たらセンターになっちゃってね、お隣に梅沢さんがいらっしゃったので「失礼します」って梅沢さんの腕を組んじゃいました〜。勝俣さんや小野伸二さんも(笑)。「もうお会いすることはないかもしれませんが、今日はありがとうございました」ってご挨拶しましたね。アンミカさんもはじめてお会いしましたが、あの方も素敵な方でしたね~!楽しい経験になりました。

テレビに出たり、有名になると誹謗中傷やネットのコメントを受けることもあるじゃない?私の場合は全部悪いものは遮断しちゃうのよ。知らないことって強みよ~(笑)。昔、子どものこともあれこれ書いたものをみたことあったけど、全部間違っていて笑っちゃいますよね。そういえば隼司の友達になりすましてって人もいましたね。「俺の友達でそんなやついないよ!」って隼司は言ってましたね。どこの世界にもどこの世代にも有る事無い事いう人いるんですよね。そういう人って、すごく暇なんでしょうね。見えない人を傷つけて、自分は良いことしたとでも思って、ほっこりしているんでしょうね。私は常に「見るな、騒ぐな、ほっといて」という気持ちでいるので、全く気にしないですし、相手にしているほど暇じゃないんですよ(笑)。

大家族運営のコツは“絶対におろせない通帳”をつくること

今回のゲストは大家族で育った方々が集結していたので、いろんな家庭があるんだなと思いましたね。うちは余裕がある家庭ではなかったですが、家のローン以外は一度も借金をしなかったというのが、私のなかではよかったと思っていまして。うちは毎月夫から今月分として、お金をもらって1ヶ月やりくりしていたんですが、“絶対おろせない通帳” をつくっていました。これはみんなにおすすめしているんですが、その通帳に5000円でもいいから、毎月貯めていると1年で6万円貯まりますよね。例えばボーナスの時はプラス2万円ずつ年に2回入れるとすると、1年間で10万円になって。10年間で100万円になるんです。たった5000円だとしても、コツコツ貯金していくことが大事なんですよね。そうするといざ大きなお金が必要になったら結婚資金にもなるし、マイホーム購入の頭金にもなる。私の場合は苦しいときでも、いざとなったらこの貯金があるからまだ大丈夫だって思えていたことが糧になっていましたね。ずっと節約だけを考えていたら、気が狂うからね。最終的にうちの場合は全部学費に消えていきましたけど(笑)。

学校を卒業したら我が子でも“他人”だと思っています

私は子どもを9人産んだのですが、「わたしが育ててあげたんだから」というつもりは全くなくて。さんま御殿でも話したのですが、卒業したら我が子でも“他人”として考えるんです。卒業のあとのその先の人生は自分でやりなさいってことね。子どもも産まれたくてうちに産まれたわけではないんだから(笑)。アバウトにいうと、子どもの性格って7割が母親に似るっていうから「なんでこんな子なのかしら」って思っている人がいたら、自分の胸に手をあててみて(笑)。「ああー、私だった!」って思えるから。結果があなたの思った通りにならなくても「なんでできないの?」じゃなくてそれが現実だからね。子どもに自分のなってほしい理想を押し付けたらダメ、親だからこそ受け入れてあげないとかわいそうよ。

うちの子のなかでも1人だけ、もっと上の学校を目指せる子がいたんですけど「俺はここがいい」って学校を決めた子がいたのよ。でもちょうど思春期だと、親の言うことなんて聞かないじゃない?「あなたが決めたならいいわよ、でも勿体ないわね」って思ったことがありました。でも私の人生ではないからね、子どもの人生だからそれが吉と出ても凶と出ても、自分の決断で決めた道ですから。私が言った通りの学校を選択していたら、後で「お母さんが言ったからだろう」って恨まれても困っちゃうし、失敗したって思っても「自分で決めたんだから仕方ないか」って子どもにとっても納得できる選択ができるほうがいいですよね。今はその子もやりたいことをしながら楽しく毎日過ごしてますよ。

離れて暮らしていても子どもを愛している気持ちは絶対ブレません

絶対っていう言葉は私はないって思っているのですが、子どもを愛しているってことだけは「絶対」だって思っていて。離れて暮らしていても、他人になっても、そこの気持ちだけはブレなければ離れて暮らしていても大丈夫。心配しすぎも人生を手助けしすぎるのも必要ないこと。今はLINEで簡単に連絡がとれますし、会えなくても元気に生きているってわかっていればそれだけで私は安心なのよね。もうみんないい大人ですし。毎回私のところに帰ってきて「お腹すいた~」なんて言われても困っちゃいますよ(笑)。

石田さんチのYouTube「ゆるゆる動画」にてSTORYの取材動画を公開中!

撮影/西あかり 取材/小出真梨子

石田千惠子さんプロフィール

石田千惠子さんプロフィール
1954 年3月14日 茨城県東海村生まれ
1974 年 美容師資格取得後、美容師として活躍。
1979 年 同級生の晃さんと結婚。
1979 年 11 月長女を出産。
1997年に7 男 2 女のお母ちゃんとして日本テレビ『大家族の石田さんチ』で紹介され、日本一有名な大家族のお母さんに。末っ子の隼司さんは千惠子さんが41歳の時の子でした。今は夫の晃さんとは円満別居中。保護犬のりんちゃんと暮らしています。

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