【梅宮アンナさん】SNS発信を続ける意味「闘病後、日常がまた戻ってくることを伝えたい」
2024年8月13日、梅宮アンナさんは乳がん(浸潤性小葉がん)ステージ3Aを公表。 そして2025年4月、放射線治療を終え「三大治療」をすべて乗り越えました。その直後、まるで運命のように訪れた出逢いから、わずか10日での電撃結婚。がんと向き合う日々の中で、夫の存在はアンナさんの生活や心に大きな変化をもたらしていきます。10月のピンクリボン月間を駆け抜け、忙しさの中で思わず自分を見失いかけたというアンナさん。 結婚生活5カ月で起きたすれ違いと爆発、そして見えてきた新しい関係性。がんサバイバーとして、妻として、一人の女性として——治療と結婚生活を同時に進めていく今の心境を語ってくれました。
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ピンクリボン活動が終わって──怒涛の忙しさと、結婚5カ月で起きた“心の混乱”
がんになった1年前には想像もつかなかったんですけど、がんサバイバーとしてのお仕事が増えて、今年の10月はピンクリボン月間もあって、本当に忙しくさせていただきました。ステージに立ったり、お医者さんたちとお話ししたり、保険会社さんのお仕事があったり、インタビューを受けたり…。
今年の9月・10月は、本当に忙しかったです。身体というより、精神的にキツかった。もともと私は、“梅宮アンナ”というタレントとして30年やってきた顔があって。そこに、がんになって“がんサバイバーとしての顔”が増えて、さらに結婚して“妻としての顔”が生まれて。この半年で、一気にいろんな役割を持たなきゃいけなくなったんですよね。外に出ると、がんサバイバーとして「ちゃんとしなきゃ」「間違ったこと言っちゃいけない」「希望を届けなきゃ」って、もうずっと頭がフル回転なんです。お医者さんたちと一緒のお仕事も初めてだし、保険会社さんとのイベントも初めて。どの年齢でも新しい挑戦は大変だけど、この歳になってまったく未知のジャンルで仕事するって、ほんと大変なんですよ。しかも、自分のInstagramの投稿がYahoo!に飛ぶことも多くて、そこに心ないコメントがついたりもする。そういうのも、結構じわじわ精神的にきますね。そして、外で戦って帰ってくると、今度は家では妻としての顔が待っている。まだ結婚して5カ月。お互いのこと、まだ全部わかってるわけじゃないから、疲れや不安をうまく言葉にできないまま、イライラが先に出ちゃうんです。
「私、いったい何個の顔を持ってるんだろう?」って思うくらい(笑)。その結果、家族に八つ当たりしちゃったり、よっちゃんとも大きなケンカになってしまって。「このままやっていけるのかな…?」ってところまでいきました。でもね、その大爆発があったからこそ、やっとお互いの本音をちゃんとぶつけ合えた気がするんです。そのとき私の口から、ふっと出た言葉があって。
「私、幸せにしてもらいたいんじゃないの。一緒に幸せになりたいの。」
自分でもびっくりしたけど、あ、私ってこれが一番大事だったんだなって気づいた瞬間でした。怒涛のようなピンクリボン月間と、結婚生活5カ月の混乱。いろんなことが重なりすぎて、本当にヘトヘトだったけれど…今はやっと、あの時間があったから、今のスタートラインに立てたんだって思えるようになりました。そんな10月でしたね、本当に。
伝えたいのは“怖がる前に知ってほしい”ということ、それで救われる命がある
がんの告知って、本当に怖いんですよ。「あなた、がんです」と言われた瞬間の空気の重さや身体の震えは今でも忘れられません。
でも、1年経った今だからこそ強く言えるのは、怖がる前に、まず“知ること”。それが自分を守るいちばんの方法ということなんです。
ピンクリボンのイベントには、治療中の方、ご家族、治療を終えた卒業生、そしてがんってどういうもの?と興味を持って来てくださる方まで、本当にいろんな人が来られます。
街で声をかけられることも増えました。この前もエレベーターで声をかけてくださった女性が、涙ぐみながら「多分乳がんかもしれなくて…再検査が怖いんです」と打ち明けてくれたんです。
その時、私が即座に伝えたのは、
「怖いの、すごくわかる。でもね、怖がらずに、まず行ってほしい。がんなのか、がんじゃないのか知ることからしか、何も始まらないから。」という一言でした。早く見つかれば、治療の選択肢も広がるし、身体への負担も全然違う。私自身も、早く見つけてもらえたからこそ手術もできたし、標準治療も受けられました。
だから私は、声を大にして伝えたい。
“怖がる前に知ってほしい”。その一歩が、未来の自分の命を守ることにつながります。
SNS発信は、同じ病気と向き合う人へのエールの意味も
がんを公表してから、街で声をかけられる回数が桁違いに増えたんです。公表前と公表後では、「頑張ってください」「応援してます」という言葉の重みも、数も、まったく違う。そして、励まされれば励まされるほど、「ちゃんと伝えなきゃ」「間違ったこと言っちゃいけない」というプレッシャーもどんどん大きくなっていきました。
SNSでも宮古島に行った時の写真や、よっちゃんとの旅行の動画をアップすると、「自慢してるみたい」「二人でやってればいいじゃん」みたいな心ないコメントがつくこともあります。でもね、私の中では、あれは自慢なんかじゃなくて「治療を頑張った先に、またこういう日常が戻ってくる人もいるよ」「がんになっても、誰かと笑い合える未来はちゃんとあるよ」そんな希望の一例を見せたいだけなんです。もちろん、その裏には、さっき話したような大ゲンカもあるし(笑)、仕事のプレッシャー、病院通い、毎月の腫瘍マーカーを待つドキドキもある。
でも、マネージャーのマコちゃん、お医者さま方、家族、よっちゃん、 そして応援してくれる皆さんがいてくれたからこそ、私は伝える側として、どうにか立っていられるんだと思います。 夫婦としても、やっと少しずつ本当の会話ができるようになってきました。「私、こういうところがつらいんだよ」「ここをこうしてもらえると助かるんだよ」そういう心の叫びを、ちゃんと受け止めてもらえるようになった。がんになって、結婚して、爆発して(笑)、それでも最後は「一緒に幸せになりたい」と言えたこと。 その一言から、夫婦としても、人としても、もう一度スタートラインに立てた気がしているんです。
アンナさん衣装:私物
撮影/中田陽子 取材/日野珠希
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