母として、女優として。風吹ジュンさんが明かす“家族と仕事”の50年
これまで映画やドラマなど200作品以上に出演し、存在感を放ち続けてきた風吹ジュンさんは、2023年に芸能生活50周年を迎えました。家族との関係、仕事への向き合い方、そして年齢を重ねても軽やかさを失わない生き方――風吹さんが語ってくれた“素顔”に迫ります。
◆風吹ジュンさんインタビューはこちらもCheck
▶【ブロッコリー半分・サプリ・好奇心!】風吹ジュンさんの”美の秘密”に迫りました
好奇心を持ち続ける限り死ぬ間際まで出会いはある
「スマホの新機種が出るたびに研究して、どんどん新しいことに挑戦しています」。
シャツ¥35,200 パンツ¥66,000(ともにエンフォルド) イヤリング(片耳売り)¥27,500 ピアスチャーム¥27,500(ともにアガット)
《Profile》
1952年富山県出身。’75年ドラマ「寺内貫太郞一家2」で俳優デビュー。映画『無能の人』で日本アカデミー賞優秀助演女優賞、『コキーユ 貝殻』で報知映画賞主演女優賞を受賞。幅広い演技力でドラマ、映画に多数出演。月10ドラマ「終幕のロンド」(カンテレ・フジテレビ系)に出演中。10月31日(金)より『SPIRIT WORLD -スピリットワールド-』が全国拡大公開。
間もなく公開される日・仏・シンガポール合作映画『SPIRIT WORLD ―スピリットワールド―』で、フランスの名優カトリーヌ・ドヌーヴさんと共演しました。顔合わせの日、主演のカトリーヌさんはお約束通り30分ほど遅れて、でも、さりげなくいらっしゃって(笑)。そんなフランス時間で生きていらっしゃる姿も素敵だなと。
撮影中はホテルも同じで、食事もご一緒しました。個人的なお話はしませんでしたが、日本の物がお好きで、撮影の合間にも何かしら手に取っては真剣にご覧になり、「これは何?」と質問されることも多々あり、とても好奇心旺盛な方。
カトリーヌさんは、私が子どものときに観ていた映画の中の人。女性としても俳優としても大先輩。当時から美しさはまったく変わらず、いまだ俳優としても現役で活躍されていて、とても自然体。尊敬しかないですね。
作品はファンタジーでありながら、家族の絆が美しく描かれています。私の役柄は、まだ小さかった息子・ハヤト(竹野内豊さん)を捨てて、家を出た母・メイコ。現実の私は娘と息子の母親で、離婚はしましたけれど、運よく子どもたちと一緒にいられたことは本当に幸せなことだなと実感しています。
子どもたちと孫4人はかけがえのない存在です
娘は結婚してニューヨークに住み、2人の子育て真っ最中。何でも話せる相手で、しょっちゅう連絡を取り合い、私はニューヨーク時間で生きているくらいなんですよ(笑)。今はいい関係を築けていますが、娘が思春期のころは、反抗期で難しい時期もありました。
子どもたちがまだ幼いころに離婚してシングルマザーとなり、私が働かないと生きてはいけなかったので、子どもたちを守るために必死で働きました。仕事があることにどれだけ感謝したかわかりません。とはいえ、俳優の仕事にパーフェクトに力を注げる環境でもなかったので、現場では苦しいこと、大変なこともありました。でも、子どもがいたからこそ何とか頑張れたのだと思います。
親としては、例えばディズニーランドやキャンプに行くなど、イベント的なことはちゃんとできるんですけど、日常的に一緒にいることができない。だから、お弁当だけは何があっても作りました。前日の残りものをアレンジしたり、当時は冷凍食品でも健康的で美味しいものが出始めていたので、そういったものを利用しながらですけど。娘からは、保温できる魔法瓶のお弁当はやめてほしいとか、ダメ出しやオーダーがいろいろあるんです。「芸能人の子ども」と言われたくなくて、とにかく目立ちたくなかったみたい。みんなが教室に見に来るからスカートは穿きたくないとか、中高生のころは、私には理解できない娘の感覚をすごく感じる時期で、それは大事にしてあげなくてはと、娘の言うことはなるべく聞くようにしていました。
娘には娘なりの理想の母親像があって、「〇〇ちゃんのお母さんがいい」などとよく言われましたが、どう頑張ってもそのお母さんにはなれない。だから、「いつでも仕事は辞めるよ。でも、どうやってほかの仕事をして働くの?生活していくための収入はどうするの?」と経済的なことも具体的に娘には話しました。娘にとってはイヤな話だし、私の言い訳だったりもするので、そんなのは愚痴だと責められたり、しょっちゅう母娘でぶつかっていました。
息子はまだ幼くて、精神的にも成長がゆっくりでしたが、娘は自立心や好奇心が強くて留学も何度かしました。空港のゲートで別れてからも一切振り向かない。もう意地だったんでしょうね。でも、物理的に距離が離れたおかげで私も彼女に思いを馳せたし、娘もそうだったと思います。最後の留学に旅立つとき、ゲートに入ってから初めて振り返ったんです。思えば、それまで振り返らなかったのは、泣いていたからかもしれない。そう思うと、彼女も頑張ったんだなと。ようやく彼女のことがわかった気がしました。離れた時間はとてもいい時間だったし、すべて無駄ではなかったと思います。
今秋は、娘の家族に会いにニューヨークに行きます。昨年は家族で日本に来てくれました。2人の孫たちには、決してグランマとは呼ばせません。ママのママだということで、(本名の麗子から)「レイちゃん」と、息子のほうの孫たち2人は「マミータ」と呼んでくれます。4人の孫たちと私の子どもたち、みんなかけがえのない存在です。
母の死の直前にわだかまりが消えました
私自身は、子どものころから母とは離れて暮らしていたこともあり、お互いに愛情はあるのに、会うとそりが合わなくて、母にとっても私は難しい存在だったようです。母と娘って、人としては理解できるけど、母親としてはどうしても許せないところがあったり、引っかかるところがあったり、いろいろ葛藤があるんですよね。でも、母が死ぬ間際にそれは見事に解消されました。
母が入院していたとき、体がとても冷たかったので、何とかしてあげたいと温灸をしてみたりしたのですが、なかなか解消しなくて……。床ずれの痛みが辛くてしょうがないようで、「死にたいの、死にたいの」と言うようにもなりました。どうしよう、どうしようと思いながらも、忙しくてなかなか会いに行けない時期があり、結局は母の死に目には会えませんでした。見送るまでの間、さまざまな思いが去来して、気持ちの整理がつかなかったとき、湯灌を手伝わせてもらったんです。体を起こして、お湯で拭き始めると、体に触れるだけで、母がこれまで歩んできた人生、苦労や痛みを感じて、痛かっただろうな、辛かっただろうなと胸が締めつけられるような思いがしました。でも、お湯で温めるうち、次第に固まっていた顔と体がふっくらして柔らかく蘇るんです。「お母さん、本当はこうだったんだよね」などと会話をしながら表情を整え、お化粧してあげて、本当にキレイになった母の姿で見送ることができました。すると、私の心も緩んで温まり、ネガティブな想いも消えていったんです。湯灌を手伝わせてもらったことは、いろいろな意味でいい経験になりました。
一方、父は穏やかに亡くなりました。私が12歳のとき、母とは女性問題で離婚して、その後はその女性と最後まで添い遂げました。父とはずっと絶縁状態でしたが、53年ぶりに再会して以来、その女性とも仲良くさせてもらって、知らなかった父の話も聞きました。最期は不思議なのですが、彼女にたまたま用事ができて、父が地域の施設に1日外泊することになり、夕飯をいただいて、「美味しかったです。ご馳走さま。おやすみなさい」と寝床について、そのまま亡くなりました。死に顔は穏やかで、とてもキレイでしたね。死に顔って、その人の人生を表すんです。両親の死をもって、いい生き方をしたいと改めて感じています。
40代のころの私
40歳で離婚し、下の息子は小学校に上がったばかり。長女と長男を女手ひとつで育てながら、父親役もこなし、同時に俳優としても仕事を選ばず、本当に一生懸命働きました。NHKと全民放のドラマに出演し、毎年映画も撮影していて、一番忙しかった時期。運動や美容をする時間も全然なかったです。
風吹さんが40代に伝えたいこと
悲喜こもごも。生きていればいろいろなことが起こります。40代って悩み多い時期ですが、どんな辛いことがあってもなんとかなるし、その繰り返しこそが人生。私はそうやって生きてきました。
『SPIRIT WORLD ─スピリットワールド─』

10月31日(金)より全国拡大公開
©L. Champoussin /M.I. Movies /©2024「SPIRIT WORLD」製作委員会
本記事は、美ST編集部が取材・編集しました。「美ST」は16年以上にわたり、40代&50代女性の美容とライフスタイルを追求してきた月刊美容誌です。
『美ST』2025年12月号掲載
撮影/中川真人(magNese) ヘア・メイク/草場妙子 スタイリスト/岡本純子 取材/安田真里 編集/和田紀子 再構成/Bravoworks,Inc.
◆あわせて読みたい
▶【池波志乃さん(70歳)】中尾彬さんを見送って1年…「新しい日常」と美と健康の秘訣