【乳がん闘病を3度経験】生稲晃子さん(55歳)「がんになったら終わり、じゃない」

元おニャン子クラブのメンバーとして活躍し、現在参議院議員の生稲晃子さん(55歳)。43歳の誕生日に乳がんの告知を受け、乳房全摘、再建手術を経験しました。仕事や家庭、親の介護などで忙しい40代、つい自分のことは後回しになりがちです。自分を大切にする第一歩は定期的な乳がん検診を受けること。生稲さんの体験談をご紹介します。

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がんになったら終わりじゃない。働きながら治療をしていく経験者として議員になりました

お話を伺ったのは……参議院議員 生稲晃子さん(55歳)

《Profile》
1980年代おニャン子クラブに所属し、卒業後は女優・タレントとして活躍し2006年に長女出産。2011年から計5度の乳がん手術を経験。2016年に乳がん罹患経験を活かし内閣府の民間議員に就任。2022年、参議院議員選挙初当選。

2010年は忙しく区の検診の時期を逃しました。そんな話を知人の医師にすると、42歳という年齢的にも人間ドックを受けた方が良いと勧められました。年末にがん研有明病院の人間ドックを予約し、年明けに受診。その後再検査の通知を受けましたが、自分は健康だと思って生きてきたので、深刻に受け止めていませんでした。

〝正式な〟乳がんの告知と手術の説明を受けたのが43歳の誕生日。私の場合、しこりは自分ではわからず、先生に私の指を持っていってもらって、やっと1cmに満たないしこりがわかりました。セルフチェックは大事ですが、素人ではわからないこともあるので定期検診も必須だというのは自分の経験から感じたことです。

初めての手術は乳房温存術で、術後ホルモン療法と放射線療法を開始しました。翌年、右乳房の手術痕の横の皮膚に赤いにきびのような突起ができて消えず、検査後に悪性であることが判明し切除。その後は3カ月に一度、再発検査を受けていましたが、2013年秋に小さなしこりを指摘され、3度目の乳がん告知を受け、部分切除の後に全摘を勧められました。

放射線を照射していた皮膚はなかなか伸びず、シリコンを入れる手術ができたのは1年10カ月後。当時、芸能界でがんを公表する方は多くなかったですが、一つの区切りを迎えたので、勇気を出して乳がんを公表しました。翌年に「働き方改革実現会議」が立ち上がり、そこで治療しながら働いている経験者として民間議員に選出されました。

命を繫げてもらった恩返しができる機会を得て、私が話したことで、一人でも二人でも勇気を持って頑張ろうと思ってくれる方がいらっしゃったら嬉しいです。それが結果として、現在の議員の仕事にも繫がっています。

生稲晃子さんの闘病ヒストリー

2011年1月(43歳) がん研有明で人間ドック受診、3月告知
同年5月 右胸の乳房温存術を受ける放射線療法、ホルモン療法
2012年9月 再発、局所手術で切除
2013年11月 右胸奥に再再発、部分切除
同年12月 乳房全摘同時再建術
2015年10月 右乳房再建手術
同年11月 治療の区切りを終え、公表

左)2011年、乳房全摘手術で入院したとき。右)2013年、初めての手術。

闘病経験を残し今後に繫げたい

乳がん公表翌年に出版した闘病の記録『右胸にありがとう そしてさようなら』(光文社)、がん対策推進企業アクションでご一緒した東京大学大学院中川恵一先生がまとめた『大人も子どももがんを知る本』(朝日出版社)。

先輩議員からの優しい応援も

選挙活動中、先輩議員が時短で便利よ!と使い方付きでくれたエスプリークのBBスプレーを机に。

2023年『美ST』12月号掲載
撮影/平林直己 ヘア・メーク/伊熊美砂 スタイリスト/日下部慶子 取材/菊池真理子 編集/矢實佑理

美ST