志穂美悦子さん(68歳)「本当に夫婦でよかった、と死ぬ時に思えるのが最高なことではないでしょうか」
日本初のアクション女優として活躍するも、ミュージシャンの長渕剛さんとの結婚を機に芸能界を引退した志穂美悦子さん。「女優というより、アスリート気質なんです」と語り、頭の上まで上がる高い蹴りやキレのいい動きは現役時代とまったく変わらず。体型や美しさを保つ秘訣から、夫婦関係までじっくりうかがいました。(全2回中1回目)
◆あわせて読みたい
▶志穂美悦子さん(68歳)の人生の教訓「人生は悪いことだけじゃない。1つ扉が閉じたら、必ず1つ扉が開く」
体型も体力も気力も10代の自分には負けたくない
撮影は、愛犬を散歩させたり、トレーニングジムで筋トレをしたりと、生活の一場面でもある駒沢オリンピック公園で。この日も、愛犬を連れて颯爽と登場。そのカッコよさにスタッフから歓声が上がりました。撮影途中、足上げも披露。20代で美人アクションスターとして一世を風靡した当時のまま、ますますカッコいい志穂美悦子さん。
《Profile》
1955年岡山県出身。’72年に千葉真一主宰ジャパンアクションクラブに入り、映画『女必殺拳』初主演以降、日本初の本格アクション女優として映画やドラマに数多く出演。映画『上海バンスキング』で日本アカデミー賞助演女優賞優秀賞受賞。’87年結婚を機に引退。2010年から花創作家として活動を始める。各地で展覧会やパフォーマンスを披露。
今年は筋肉をつけることを目標に、週2、3日、毎回2時間筋トレをしています。自宅のトレーニングルームと駒沢オリンピック公園のジムではセルフで。さらに調布にある東京都パラスポーツトレーニングセンターにも通っていて、ここではかつてかの方(長渕剛さん)のコンサートスタッフだったパワーリフティング日本代表のパラリンピアン三浦浩さんに指導してもらい、トレーニングをしています。三浦さんはツアーの仕事中の事故で脊髄を損傷して車椅子に。でも、寝た状態で重いバーベルをがっと上げるパワーリフティングに出合い、パラリンピック出場を叶えた努力家。筋トレのベンチプレスを一緒にやってもらっています。
10代からずっと運動はしてきましたが、子育て中はまったくやっていなかったし、家事とのバランスで控えていた時期もあったけど基本好きなんですね。だから足上げも、やろうと思ってやっているわけではなく、運動をする中で足を上げることが多くあり、自然に今でもキープできているのだと思います。年齢を経たとき、運動で作った体が宝になるだろうなと、若い頃からぼんやり思っていました。今でも10代の自分に負けたくない、そんな気持ちで頑張っています。
「夫婦でよかった」と死ぬときに思いたい
かの方との出会いはドラマでした。俗に言う吊り橋効果。危険な吊り橋の上で出会うと連帯感から恋愛感情が生まれるというあれです。私たちが演じる独身の男女が突然小学校3年生を育てる設定で、まさに吊り橋みたいな状況。その後『男はつらいよ』でも共演し、あれよあれよと結婚。私は音楽が大好きで、13歳の頃からロックバンド、ショッキング・ブルーの大ファン。自分の中に音楽が流れているから、音楽をやっている人だったことも大きかったと思います。
でも、結婚後は大変でした。独身時代は仕事ひと筋で料理を作ったことがなく、初めて炒飯を作ったら、具材を同じ形に切ったのが気に入らなかったらしく、よけられたんです。腹が立って流しに捨てました。お味噌汁にだしが必要なことも知らなくて、「だしのとり方も知らないのか?」と言われたときは、「だしのとり方は知らないけど、ヘリコプターにぶら下がれるし、ビルとビルの間もレンジャーで渡れる」と反撃。かの方は何て答えたか忘れたけど、いまだにネタにされています。見返すために一生懸命料理を勉強しました。料理に関しては、ホント悔しいことはいっぱいあったし、今もよく大喧嘩をしています。
でもかの方は子煩悩でした。立ち会い出産がない時代に立ち会ってくれ、子ども3人の運動会、参観日には全部出席。わが家は3人とも小学校はあえて公立だったので、校庭にブルーシートを敷いた上で家族でお弁当を食べたことはいい思い出です。
かの方は躾にも厳しく、絶対に噓をつかないことは徹底していました。娘が塾をさぼっていたときは、庭に正座をさせて「噓つくなー」と叱っていました。半面、勉強はどうでもいい、ものすごく好きなことが1つあれば、将来身を助けるから、好きなことを一生懸命やりなさい、といつも教えていましたね。
あるミュージシャンの奥さまから、「60歳を超えたら丸くなるわよ」と言われて期待していましたが、うちは変わりませんでした(笑)。かの方の存在が大きく、大変すぎて、逆に子育ての苦労は感じたことがありません。
離婚しなかったのは、私の両親もかの方の両親も添い遂げたので離婚が身近ではなかったことが大きいですね。何より自分が選んで結婚した人だから、自分の判断が間違ってたとは思いたくない。ダメにしたらもっと悔しいから。一生かけて、死ぬときに夫婦でいてよかった、と思えたらそれでいいと思っています(笑)。
2024年『美ST』1月号掲載
撮影/中村和孝 取材・文/安田真里 編集/和田紀子