小柳ゆきさん、17歳でのデビューも「歌と距離を置きたい…」人気絶頂の中で下したある決断とは
衝撃的なデビューから瞬く間にスターダムを駆け上がった歌手、小柳ゆきさん。あれから25年。当時、17歳とは思えない力強い歌唱力と堂々たるパフォーマンスを披露しながら、小柳さんは「デビュー当時は尖っていましたね。自信のなさを悟られないように武装していました」と語ります。今回の美STオンラインでは、小柳さんのデビュー時の秘話から、トップシンガーとしてのあまりの多忙ぶりに「歌と距離を置くため」選択をしたロンドンでの生活、歌手としてのターニングポイントについてなど、たっぷりとおうかがいしました!
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《Profile》
1982年生まれ。埼玉県出身。1999年「あなたのキスを数えましょう~You were mine~」でデビュ-。ソウルフルにして繊細な美声はオーディエンスを圧倒し、同曲は45週連続チャートインするロングヒットに。2ndオリジナルアルバム『EXPANSION』はミリオンセラーを記録し、名実ともに日本のトップ・シンガーとなる。近年はオーケストラとの共演を重ね、その歌声はさらなる進化を遂げている。昨年デビュー25周年を迎え、8月8日に25周年記念セルフカバーアルバム『Orchestra』をリリース。本作を携えた25th Anniversary Tourを9月より開催中。
詳細は公式サイトから:https://yuki-k.fanmo.jp
学校が終わって、制服にルーズソックスのままスタジオへ。終電で家に帰る日々でした
音楽好きな姉の影響もあって歌を始めたのは、小学5年生の頃です。歌手になるためのオーディションをちらほら受け始めたのもちょうどその頃。歌手になろうと心に決めていましたが、途中で剣道にも夢中になってしまって。これは結果論にはなりますが、剣道の礼儀や根性、声出しを学び、その時の経験があったからこそ今があると思っています。剣道に夢中になったあとは歌に戻ってきて、そこからは歌にまっしぐら、という感じ。
ご縁があって、音楽プロデューサーの中崎英也さんとはデビュー前から曲を一緒に制作させていただいていましたが、なかなかデビューまでは至りませんでした。あの頃は高校が終わったら制服にルーズソックスのままスタジオに直行し、ボイストレーニングとデモテープ作りに没頭して家には終電で帰る日々でした。高校3年生の時に『あなたのキスを数えましょう~You were mine~』でデビューが決まった時は、「やっと決まった!」という気持ちと同時に、「バラードでデビュー!?」という戸惑いの気持ちが半々でしたね。
デビュー後はあれよあれよと激流に飲まれるように忙しくなりました。在学中に初めて音楽番組に出演させてもらい、街を歩けば声をかけていただくことも。デビュー曲がヒットしているという認識は正直なかったのですが、卒業式で久しぶりに高校に行った時、クラスメイトや先生から「わぁっ!」と応援してもらえて、「あ、私デビューしたんだなぁ」とその時初めて実感しました。
自信のなさを隠すために武装していましたが、あれは当時は必要なことでした
「もしかしたら、私は人より歌えるかも!?」とは内心思っていましたが、デビューしてからはプロの厳しさを肌で感じ、自分の至らなさを痛感する日々でした。自信もなくて、それを隠そうと武装をしていたんです。尖っていたと言うのかな。「17歳らしからぬ」と世間の方々が思ってくださっていたなら、それは私の強がりの賜物です(笑)。もし当時の自分に声をかけられるなら、「そのままでいいよ」と言いたいですね。武装して背伸びをするくらいが、あの頃の私にはちょうど良かったのだと思います。そんなことをしなくてもいい本当の強さを、さすがに当時は持っていませんでしたから。
「一旦立ち止まって、普通の生活をしたい」。歌と離れて過ごしたロンドン生活
デビュー後は本当にたくさんの方々に曲を聞いていただけて、恵まれすぎているスタートだったと思います。ただあまりにも目まぐるしく日々が過ぎていき、今思い返してもあまり記憶がないんです(笑)。そうこうしているうちに、次第に歌との距離の取り方がわからなくなってしまって…。毎日大好きで歌っていたのに、「おかしい」とはっきり自分の中で違和感を覚えたんです。そして「一旦立ち止まって普通の生活をしたい」という気持ちを隠せなくなって、2005年にロンドンへの留学を決めました。ロンドンでの生活ですか?ずっと遊んでました(笑)。語学学校にも少し通っていましたけどね。ロンドンでは4カ月ほどを過ごしましたが、最初の頃は全く歌うことなく、買い物をしたり現地でできた友人とごはんを食べに行ったり。そんな何気ない日常を重ねていくうちに、また歌いたい気持ちが沸々と湧いてきたんです。
事務所からの独立が芸能生活での一番のターニングポイント
芸能生活を送るうえでターニングポイントはいくつかありましたが、一番はやはり事務所からの独立だったかと思います。2019年のことですが、新しい歌の世界観や曲調にチャレンジしたくなったんです。一番は歌に集中するための独立ではありましたが、あの当時は楽曲のリリースとは違う仕事も増えていって、もっと高い自由度を求めた末の決断でした。いくつもターニングポイントがありましたが、挫折だっていくつもあります。特に歌については挫折し続けていると言っていいですね。年齢を重ねるにつれて音の響きや歌い回しがどうしても変わってきます。理想の歌い方に近付こうとするたびにそれへの難しさを痛感するんです。私なりの歌唱テクニックに、その時々で「こうしよう」というのがあります。18歳の時に東京ドームで行われた日米野球の際に国歌斉唱を担当させていただいたのですが、「巻き舌国歌だったね」と言われた記憶があります。そう、当時はそれが「カッコいいかな?」と思って、強めの巻き舌で歌っていたんですよ(笑)。
【衣装クレジット】
AOIWAKANA
撮影/財津裕也 ヘア・メーク/大見萌夏 スタイリスト/田川雄満 取材/キッカワ皆樹 編集/浜野彩希
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