陽キャすぎる2人の“闘病”ストーリー。立ち直り方、病気とともに歩む心構えとは

ポジティブでHAPPY。SNSで発信される〝陽キャ〟な姿が印象的な、二宮こずえさんと濱口沙世子さん。ともに40代で病に見舞われました。病を経て仕事復帰を叶えた今、変化したことや大事にしていることを聞きました。

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お二人のプロフィール

<右>二宮こずえさん
1981年生まれ。東京都出身。Sサイズ視点のファッションや飾らないリアルなライフスタイルをインスタやYouTubeで発信。明るく陽気なキャラクターで、幅広い層から支持を集める。15歳女の子、13歳男の子のママ。

<左>濱口沙世子さん
1979年生まれ。東京都出身。「STORY」、「CLASSY.」をはじめとする女性誌から、カタログ、Webメディアと多方面で活躍するスタイリスト。エディター・ライターの姉(濱口眞夕子さん)とYouTube「濱口姉妹のHAPPY DAYS」もスタート。

陽キャすぎる2人の「突然の病からの立ち直り方、ともに歩んでいく心構え」

<二宮さん>

◇ 応援してくれる方の声が復帰への背中を押してくれました

くも膜下出血の診断を受けたのは、2023年末。最初の異変は目の奥の痛みでした。眼精疲労かと思ましたが、脳神経外科を受診。くも膜下出血と診断され、カテーテル検査で指定難病・もやもや病も発覚。翌月、12時間に及ぶ開頭手術を受けました。

手術前は、「麻酔から目が覚めたときには、すべてが終わっているはず」と正直軽い気持ちでいたんです。ですが、実際は頭も両手足も固定され、動けないまま痛みに耐える辛い日々。退院後もなかなか回復せず、家でも横になっている時間がほとんど。SNSを見る気力もゼロで、「もう仕事は無理だな」と感じ始めていました。

病気が判明して以来、マネージャーさんは私には直接連絡せず、夫とやり取りをしてくれていました。「インスタもYouTubeも全部消して辞めたい」と直接打ち明けたのは、術後3カ月が過ぎた頃。そのときに初めて、1日も途切れずにSNSにコメントが届いていることを知りました。

家族の音読でその声を聞いて、「ここで止まっていたらダメだな」と思い、復帰を決意。今でも動画には「生きる勇気が湧きました」という反響をいただくことも。自分の経験が誰かの人生に前向きな影響を与えられていると感じると、私自身も頑張ろうと思えます。

術後は想像以上に壮絶でした手術終了後48時間は薬で寝たままの状態。体を固定され、ひたすら痛みに耐え続け、今回の経験の中で一番苦しい時期でした。
仕事復帰の気持ちが固まった頃体も心もだいぶ復活して、復帰したい気持ちがしっかりと固まった頃。支えてくれた家族と出掛けたときの1枚。
復帰動画は一色海岸で撮影手術終了後48時間は薬で寝たままの状態。体を固定され、ひたすら痛みに耐え続け、今回の経験の中で一番苦しい時期でした。

<濱口さん>

◇ 1日1チャレンジで、恐怖を成功体験に塗り替えていきました

2024年4月、運転中に突然発作に襲われました。心臓がバクバクして、気を失いそうな感覚。なんとか車を停めて救急車を呼び、姉に電話で助けを求めました。

それ以降も発作は落ち着かず、仕事をセーブしてとことん調べることに。ですが、循環器内科で心臓を検査しても、婦人科でも原因は見つからないまま。心療内科を受診したのは循環器内科の先生の勧めがあったから。具合が悪くてメークする余裕なんてないのに、〝病んでる人〟と思われたくなくて無理やり身支度をして病院へ。起きた症状を話しただけで、パニック発作と診断されました。

昔からポジティブで悩みもないタイプだったので、告げられた病名に正直、抵抗がありました。発作が怖くて家に籠りがちになる一方で、少しでも快方に向かいたくて〝1日1チャレンジ〟を開始。近所のコンビニにひとりで行ってみたり、姉を乗せて運転してみたり。恐怖を成功体験に塗り替えて、できることを少しずつ増やしていきました。

徐々に回復する中、今年4月に大きな発作が起こり、2回目の救急搬送。勝手に薬をやめたことによる離脱症状でした。薬を再開して、今は仕事に復帰しましたが、もう振り出しには戻りたくないから、できたことを過大評価せず慎重に向き合っています。

大好きなぬいぐるみをお守りに1回目の救急搬送から2カ月が経った頃。突然やってくる発作が怖くて、家にいるときはこのコを抱きしめて横になっていました。
リハビリとして姉と展示会へまだほとんど外出ができない時期に、姉と友人の展示会を見に新宿へ。恐る恐るながら、具合悪く見えないようにがんばった日。

気持ちをラクにする秘訣は「話せる人がそばにいること」

二宮さん
入院や活動休止中、一番近くで支えてくれたのは夫ですが、仕事面をサポートしてくれていたのは、マネージャーのコッシー。私が「もう仕事復帰はできない」と打ち明けたときも、賛成も反対もせずに「今じゃなくていいから、落ち着いたらSNSのコメントを見てみて。その声を知らないまま辞める決断をして後悔しないでほしいから」とだけ言ってくれて。その一言があったから、コメントを見てみよう、という気持ちにもなれました。

濱口さん
自分の不調や気持ちを正直に話せる人がいるのは、本当に大きいと思う。私が頼りにしているのは、お姉ちゃま。姉は2023年に卵巣がんを経験したがんサバイバー。自分では、パニック障害になった理由や心当たりがなかったけれど、姉に「私の闘病だったり、友人との突然の別れだったり、悲しいことが重なって、本当は頭の片隅に心配事やストレスがあったんだよ」と言われて、そういう面もあったのかもしれない、と思えたし、ひとりで抱え込むのはやっぱり良くないと再確認もできました。

二宮さん
自分の中に籠らずに、声に出して誰かに伝えるのも気持ちをラクにする方法だと思います。

濱口さん
本当にそう。でも元々陽キャだと、自分の不調を打ち明けにくい場合もありますよね。病気を発信して以降、私のインスタには、ご自身やご家族が同病の方から頻繁にDMが届きます。「夫と濱口さんだけに相談しています」という方もいて、周りに話せずひとりで背負い込んでいる人も多いことを知りました。

二宮さん
私のSNSにも同じ状況の方や別の病の方からも、反響が届きます。話すって本当に大切ですよね。私も入院中、ひとりでいると、どんどん閉じこもっていっちゃう気がしていました。濱口さんは病を経験して、変化したことはありますか?

濱口さん
昔から仕事に対して変に真面目で、やると決めたことはやり遂げないと気が済まない性格でした。でも今は、根を詰めすぎずに、余白を持つように意識しています。以前は、やるべきことが終わっていなければ、飲みに誘われても断っていたけれど、「ご飯くらい食べに行ってもいいかな」って。自分の中でのOKゾーンを広めている感じです。あとは、睡眠時間も増やしました。

二宮さん
私もできるだけ早めに寝るようにしています。元々、睡眠時間が短めで、常に動いていないとダメなタイプでしたが、今は仕事した翌日は予定を入れないようにしたり、ソファから動かない日を作ったり。「今日は洗い物も洗濯物も休みます!」って家族に宣言する日もあります。

濱口さん
宣言するのは大事!

二宮さん
宣言して自分のタスクを手放した方が後々ラク。家族に頼る場面は増えたかもしれないです。あとは、自分のカラダにより敏感にもなりました。私は今も毎日血圧を測っているので、体調の変化も把握しやすい。病をしなければ、日常的に血圧を測ることはしなかったと思います。

濱口さん
確かに私も、病気のメカニズムを理解することで、自分の性格を見つめ直せました。自分が大好きな仕事や旅を、自分から奪わないための対策も見出せたし、より自分を知るきっかけにもなりました。

<二宮さん>ブラウス¥10,450(Mila Owen/Mila Owen ルミネ新宿2店)パンツ¥28,600(アンクレイヴ)アクセサリーは本人私物

撮影/吉澤健太 ヘア・メーク/谷口結奈〈Linx〉 スタイリスト/濱口沙世子 取材/坂本結香 ※情報は2025年11月号掲載時のものです。

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