石田さんチのお母さん、流産を経験した過去も「毎回何事もなく産まれたことなんてなかった」

1997年から「石田さんチ」の愛称で親しまれてきたドキュメンタリー番組『7男2女11人の大家族石田さんチ』。リアルな家族ドラマに心を掴まれた人も多いはず。前回取材をしてから、2年半。千惠子さんと再会し、玄関での第一声が「前のときはまだ60代だったのよね~」と。お会いするたびにファンになります。今回は千惠子さんが若い女性に伝えたいことが詰まったインタビューとなりました。9回の出産と1回の流産を経験した千惠子さんだからこその考えを語っていただきました。(4回中2回目)

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子どもを産むことに計算違いなことが起こると、自分を責めてしまうもの、多少鈍感になるくらいの気持ちで

私は結果的に子どもをたくさん産んだんですけど「何歳差で産みたい」とか「結婚して何年目で」、「仕事が落ち着いてから」、「お金貯まってから」…なんて計画的に考えていても子どもは授かりものだから、その通りにいかないことの方が多いんじゃないかな?そうなると受け止めきれないよね。だから子どもを産むことに対してはものすごく計画的になったり、決めつけない方がいいと私は思いますね。

健康で産まれるのが一番だけど、願っていても“絶対”ってなくて。無事産まれたけれど病気になって亡くなってしまうことだってある。それは誰にもわからないことで。人って計算違いのことが起きた時に、自分を責めたり、許せなくなったりするときがあるでしょ?子どもを産むって多少鈍感に考えた方がいいのよ、私は「こんなに産んでバカだったなー」と思うから、計算違いのことが起きても前を向いて生きていけているのかもしれないわね。

昔お友達でね、「うちの息子、なかなか言葉が出てこないのよ」って悩んでいたお母さんがいて。もうすぐしたら言葉が出てくるかなって心配していたんですけど、少し時間が経つとペラペラ喋り始めて。「ちょっとうるさいんですけど!」と言っていたくらいです(笑)。つまりその息子さんは、親の言う事がわかっているようなので発達の遅れでもなくてただ、アコーディオンのようにずーっと溜めて、爆発したかのように一気に言葉が出たんでしょうね。健康で産まれてからも心配はつきものですね。

9回の出産をして、毎回何事もなく産まれたことなんてなかったです

私の子も出産のときはそれぞれ色々あってね。長女が産まれたときは、産後すぐに別の場所に子どもだけ連れて行かれて、とにかく水道の音だけが私には聞こえるんですよ。その後、帰ってきて「元気な女の子です」って言われて渡された時に娘の顔を見たら、斑点が顔にいっぱいあってね…聞こうに聞けなかったですよ。少し落ち着いてから看護師さんに「あの斑点はなんだったんでしょうか…?」って恐る恐る聞いたら「へその尾が首に絡まっていたんですよ」と看護師さんからあっさり言われて。全然知らなかったので、言葉を失いましたね。無事生きててよかったー、って安堵したのを覚えています。

2回目の出産で長男を出産したときは、まだ頭が半分しか出てないのに後陣痛が始まっちゃって、「痛いんですけどー!」って叫んでいましたよ(笑)。初産だと後陣痛ってないみたいだから、初めての痛みで、何これーって思いましたよ。なかなか頭が出なかったから、引っ張ったんですけど、出てきた時の頭の形に驚きましたよ。毎回、何事もなく産まれてくることなかったですよ。それぞれにドラマがあって、全部鮮明に覚えているから不思議ですよね。ただ、もし何か子どもにあったとしても、私が育てていかないと子どもは死んじゃうんだから、立ち止まる暇もなくて家に帰ってからはゆっくり心配する時間すらなかったと思います。子どもって怪我もするし何回も病気をする時期だから何があっても全部受け止める気持ちで育ててましたね。

流産を経験して、〈妊娠したら産める〉という期待は絶対ではないと改めて感じました

でもね、末っ子の隼司を出産した後、実は10回目の妊娠があったんです。ある日、急に出血が始まったので病院に行ったら、妊娠と流産を同時に言われて。バタバタと説明を受けた後、麻酔をして…。そしたら麻酔が効きすぎちゃったみたいで、私が起きたときは次の日になっていたんです(笑)。看護師さんに「昨日は一体何があったんでしょうか…?」って聞いたら「普通の流産ですよ」って言われまして。「普通のって…、私にとっては普通も何も初めての流産なのに!」って思っていたら、看護師さんは「9人も産んでいて、今まで一度もなかったことの方が奇跡ですよ」って。子どもをお腹の中で育てていくって、当たり前のことではないんですよね。〈妊娠したら産める〉っていうのは特別なことなのよ。退院して赤ちゃんを抱いて帰って来れるって、凄いことなんですよ、感謝しないといけませんね。

私は流産した時のことってずっと覚えているんですけど、男の人って時間が経つと忘れちゃうんですよねー。だからもし同じことがあった女性がいて、パートナーに「大丈夫?」って気にかけてもらえたら、ラッキーってガッツポーズするくらいに思っていた方がいいと思いますよ。「なんで覚えてないの!?私だけ辛い思いして!」なんて思っても届かないし、気持ちをわかってもらえるなんて男性に期待しちゃダメ。そのくらいの気持ちで夫とは接するのが、長続きの秘訣だと思いますよ(笑)。

昔は立ち会いなんてなかったから、1人目産んだあと、うちの夫は「次は俺が産んでやるからな」なんて都合の良い事を言っていたのに、2人目を産む時には忘れていたのか、分娩室へ入る時、「じゃあなー」っていなくなっちゃうんだから、男の人ってずるいわよね(笑)。でも出産って毎回大変だけど、母親しか感じられない時間がお腹にいるときからあるんだから、女性の特権よね。

妊娠は努力だけでは叶わない、だからこそ“リスク”は避けてほしい

今の若い女性のなかで、 “細くないと美人じゃない” っていう考えが異常にあると思うんです。10代の時期って自分の身体を育てる、出産する身体をつくるっていう時期なのに、十分な食事を摂らなかったり、ダイエットのために身体をダメにするような薬を飲んでいたり、みんなすごく細くて、お節介かもしれないけれど私はすごく心配していますよ。若い時は細くていいかもしれないけれど、今までつくってきた自分のメンテナンスが資本になって身体も子宮もつくられているからね、不摂生や不健康なことを自ら選択することで、いざ子どもを授かりたいってなった時に「子どもができない」って泣き言いうんじゃないよ?って思います。普通に食事や健康に気を遣って生活してきた人でも子どもができないってことはあるわけだから、マイナスになることはできるだけしないで欲しいんです。それで結果的に結婚しない、子どもは産まないっていう選択をしてもいいのよ。でも選択肢は多い方がいいじゃない?だからせめて成人するまでは身体を大切にしてほしいということを声を大にして伝えたいですね。

撮影/西あかり 取材/小出真梨子

石田千惠子さんプロフィール

1954 年3月14日 茨城県東海村生まれ
1974 年 美容師資格取得後、美容師として活躍。
1979 年 同級生の晃さんと結婚。
1979 年 11 月長女を出産。
1997年に7 男 2 女のお母ちゃんとして日本テレビ『大家族の石田さんチ』で紹介され、日本一有名な大家族のお母さんに。末っ子の隼司さんは千惠子さんが41歳の時の子でした。今は夫の晃さんとは円満別居中で保護犬のりんちゃん、保護カメ(クサガメ)の石ちゃんと暮らしています。

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